死人が恩人
naka-motoo
Benefactor is Dead
恩人の名前にあやかったペンネームをつけたワナビがコンテナハウスの暖簾をくぐった。
「あの。一人お願いしたいんですけど」
「誰?」
「わたしの恩人なんです」
「男? 女?」
「女性です」
「写真は?」
「はい。これです」
「モノクロだね・・・カラーのやつは?」
「すみません。この一枚しかなくて」
「ふうん」
「実は会ったことがないんです」
「ほう。それは?」
「わたしが生まれる前にもう亡くなってました」
「ふうん。
「見た目は普通のおばあさんですけど、多分普通じゃなかったんだと思います」
「だろうね。何十年と経った写真なのにビンビン来るよ」
イタコとは名乗らないその女性霊媒師は極めてノーマルなパンツスーツで召喚の儀式を始めた。
蝋燭を一本灯し、その火を写真と自分の額の間にかざす。
10秒かからなかった。
「済まぬ。私では無理だ」
「え」
「媒介したら私が死んでしまう。身がもたない」
ワナビはこういう場合の作法が分からずに失敗だったのだろうかと状況を理解しないまま今度は神社を訪うた。
「なるほど。ですがアナタはその恩人に会われてどうするんですか?」
「はい。わたしが今書いている小説が本当に意味があるものかどうか訊きたいんです」
「それはアナタが決めることでしょう。アナタの小説なのですから」
「いいえ。わたしはこの小説の隠れたキー・ウーマンとして恩人をイメージした登場人物を一人描きました。そしてその設定を思いついた後はわたしが脳を経由しなくてもタイピングしているような感覚なんです。何か不思議な力が手伝ってくれているとしか思えません」
「わかりました。神託を伺ってみましょう」
神職は袴の裾を直し正座した後祝詞をあげた。
「当地に住まう小説を書きし者に恵みを与えたる恩ある御魂をこの者に巡り会わせんことを切に願い申し奉る」
礼した後神職はワナビの方へ向き直り告げた。
「済みません。神託はこうです。『罷りならん』と」
「そうですか・・・恩があるというのはわたしの一方的な思いなんでしょうか」
「いいえ。そうではありません。アナタの恩人は余りにも畏れ多い方のようです。私も直感でそのイメージは脳裏に与えられましたが具体的に言葉にするのは恐ろしいぐらいの
「位? 位ってなんですか?」
「さあ・・・私の口から申し上げてよいものかどうか。ヒントとして私には五十二という数字が見えたことをお伝えしておきます」
「五十二・・・」
「失礼ですがその方との接点は」
「歌、というか詩のような文章が遺っているんです。わたしはそれを読んだり・・・あとはその詩を解説してくれるその人の縁者がいたり」
「・・・アナタ、山道を走れますか」
「え。山道を?」
「走るんです」
ワナビは神職の言葉が感覚でしか分からなかったがおそらくは千日回峰を行う阿闍梨のような感覚を瞬間的に毛ほどでも持てという意味で走れと指示したのだろうと推測した。幸いにもワナビは収入源である会社勤めの同僚たちとの唯一の社交上の接点としてランニングの合同練習を時折行っており、ロードを走ることに関してはある程度慣れてはいた。ただ、トレイルランニングについては本格的なものは未経験だった。
「はっ、はっ。止まりたい。歩きたい」
神職が指定したのは標高300mほどではあるが車では頂上まで行くことのできない山だった。
途中まではアスファルトの道を30分くらいかけて走り、その後は『人間用の獣道』とでも呼べるような土と腐敗しかかった葉の堆積物の上を踏みしめながら走る道だった。
ロードならば太ももの後ろあたりの筋肉を使って走ることも可能だったがこの勾配のある自然の道では臀部の筋肉を有効活用しないことには脚に乳酸が溜まりつづけるために肉離れを起こしかねなかった。
だからワナビは臀部に意識を集中させた。
「まだ、見えない」
アスファルトの道から獣道に入る手前に熊の出没情報を告げる看板があったがワナビは筋肉の疲労と心肺の苦しさが尋常ではなく、熊以外の猪やスズメバチ等の危険生物を恐れる余裕すらなかった。
そしてワナビはそこに辿り着いた。だが。
「階・・・段・・・」
木製の鳥居の先にほぼ垂直に聳えるのではないかという少なく見積もっても200段以上の石階段が存在していた。苔むしたそれは、この獣道しかない山のこの高度の地でどのように建造されたのかという疑問を即座にワナビに抱かせた。
ただ、登る方法も即座に理解した。
「ここを馬で駆け上がった。そして駆け下りた」
神職はその神社は八幡宮であるとワナビに教えていた。そしてこの地方がかつて合戦の地となった折に、地元の古武士たちが騎馬の実践練習と『覚悟』を身につけるために馬を駆って走り抜けたと。
「普通、死ぬよね」
ワナビは独り言をつぶやいた後、苔で何度もランニングシューズのソールを滑らせながら、けれどもゆっくりながら一段一段駆け上がって行った。
『リズムに乗った方がいい・・・』
ワナビはベタ足にならずにつま先で階段を駆けた。ただしそれはある程度のスピード感を持ってやらないとふくらはぎの細い筋肉を痛めてしまう。だから、無理にでもスピードを上げた。
「はっ、はっ、はっ、ぜはっ」
うつむき加減だった目線を無理に上げる。
「ぜはっ、ぜはっ、ぜ・ぜ・ぜええぇ」
ああ・・・苦しい!
「南無八幡大菩薩!」
ワナビはリレーのアンカーがゴール前の最後のスピードを得るために発する『はっ!』という気合の代わりに八幡を唱えた。それから僅かの数瞬間の後、自らの体が消えるのが分かった。
「あっ!!」
ほぼ垂直の急段を登りきった瞬間は石段を空振るような感覚で宙空にジャンプした後、石畳に着地した。
「ああ・・・着いた・・・」
そのまま石畳の向こうにある社殿までジョグする。左手の口を閉じたやはり苔むした狛犬と右の口を開けた狛犬とのコントラストがかわいいと思った。
肩幅に足を広げて立ち、ワナビは二礼した。
柏手を打つ。
この山に人間は今ワナビ独りだ。声に出して唱えた。
「わたしは今、『
深く一礼する。
「どうか無事この小説を上梓させ給え。八幡さまのご意向のままに」
参拝が終わった後、ワナビは社殿の横へと移動する。そこは断崖となっていたが、光が差し込んでいた。枝をカーテンのように開く。
「わあ・・・」
海が眼下にあった。
ワナビが住まう街の海が、よく晴れた朝の陽光にきらめいていた。
沖に外航・内航のタンカーが見える。
離れたこの標高300mの山頂からはどの船もスクリューの飛沫を白い残像のようにしたがえる静止画のように見えた。
画像というよりは絵画のようだった。
観る人によってはそれは油絵にも、当然鮮やかな顔料で描かれた日本画にも観えるだろう。
「美しい・・・」
きれい、という言葉では足りないと思った。
だから文語的な言葉を使った。
わたしは書く。
おそらくはわたしの人生を賭けて。
そしてそれは実はわたし自身が生まれた原因であるはずの恩人の歌のようなその詩として遺された真実の言葉として。
わたしは、小説家に、なる。
「日月(にちげつ)の交わり」
死人が恩人 naka-motoo @naka-motoo
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