バーニングお婆ちゃん火村ハク(96)

海野しぃる

バーニング婆ちゃん、風邪をひく

 僕の住む田舎には(皮肉でなく)元気なご老人が多い。

 中でも、今僕が診察している火村ひむらハクさんはとてもお元気だ。若い頃は差別にも負けず人火力ひとかりょく発電所で発電部長をしていたほどの火力の持ち主だったという。

 普段は骨粗鬆症(骨がもろくなる)のお薬以外は何も飲まずに農作業に励んでらっしゃるのだが、今日は少し風邪を引いたということで、こうして往診に来ていた。

 布団で横になる火村さんの隣りに座って、顔を近づける。火村さんは穏やかで優しい笑顔で挨拶をしてくれた。火村さんに風邪の症状についていくつか聞いた後、早速僕は体温計を取り出す。


「それじゃあまずお熱測らせていただきますね? オデコ失礼しますよ?」


 そして僕が赤外線体温計を額に当てようとしたときだ。


「あらチョット待って、鼻が……へ、へっ、ヘヴォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」


 火村さんは今日も摂氏1400℃の青い炎を吐いて僕の白衣と天井を同時に焦がす。僕の医療用耐火繊維の白衣まで焦げるとはたいした強火だ。老いてなお盛んといったところか。

 赤外線体温計は炎の直撃を免れたもののErrorの文字を吐き出している。


「あらぁ……悪いわね」

「いえいえ、体調が悪いんだから制御できなくて当たり前ですよ。風邪というストレスで炎が飛び出すなんてよくあることです」

「あら、先生は平気でしょ? 学生時代に人火力発電所でバイトしてたんですもの」

「ま、そうですね」

「あたしが心配しているのは、そちらのお嬢ちゃんよ。新人さんだからびっくりしたでしょ。私、若い頃から強火なものだから」


 火村さんは僕の後ろを見る。僕も振り返る。


「だ、だだ……大丈夫ですぅ……!」


 小柄で童顔の女性が震えている。彼女の名前は氷雨ひさめユキ。往診に同行している薬剤師なのだが、まだちょっと頼りない。とはいえ、まだ若いのにこんな田舎に自ら飛び込んだ貴重な人材だ。あまり厳しいことは言わないであげよう。


「本当に? 怪我とかしてない? 新人さんにもしものことがあったら、私は悔やんでも悔やみきれないわ……」

「だ、大丈夫ですよぉ! 私もちょっとですが発火できますし! 炎は平気です!」

「最近はみーんな新人類だものねぇ」

「新人ではなく氷雨ユキです! よろしくおねがいします!」

「氷雨さん、新人じゃなくて新人類。発火できる人」


 氷雨さんはそう言われて初めて気づいたのか、顔を赤くする。


「……ご、ごめんなさい。勘違いしてました」

「あっはっは、シュボッ。若い子はあんまり言わないんですものね。新人類って」


 火村さんはまた火を噴く。普段も笑うだけで時々炎が出たが、今日は青い炎が多い。今日は特に強火とカルテに書き残しておこう。風邪の影響で火を吹きやすいのかもしれない。


「は、はい……すいません」

「良いのよ良いのよ。私みたいなのが生きやすい時代になったってことでしょ。氷雨さんは学生時代に発火できない人って身の回りに居たかい?」

「えっと……居ませんでした。みんな火を出すのが当たり前です。勿論個人差はありましたけど……」

「先生の学生時代はどうさね」

「十年前ですね……九割方燃えていました。人火力発電所でバイトしてたから、身の回りにそういう人多い印象でしたね」

「私の頃は、九割は燃えない人だったからねえ……」


 そう、新人類は驚くべきスピードで増えている。

 発火もできなければ、耐熱能力も持たない旧人類はそれに飲み込まれる形でいまやほとんど居ない。

 火村さんはしんみりとした表情で窓の外を眺める。


「氷雨さん、お薬の説明お願いできる? 僕、予備の温度計外から持ってくるから」

「は、はい! 丁度いくつか気になるところもあったので!」

「あら、新人さんからお薬の説明をしてもらえるのね。楽しみだわ」


 空気を切り替える為に、新人に仕事を振ってみることにした。少し危ういが、薬のことなら僕よりも詳しいし、薬剤師ならではの視線というのもあるだろう。二人きりにしても気まずくはならなさそうだし。


「では菊池さん、こちら普段から出ている月に一度の骨のお薬になるのですが……」


 僕は二人を残して部屋を出る。

 そして予備の温度計を車から取ってきたと同時に、外からでも分かる程の火柱が上がり、家中に氷雨さんの悲鳴が鳴り響いた。


     *


「キャアアアアアアアアッ!?」


 悲鳴を聞いた僕は、火柱が消えたのを確認してから寝室に駆け込む。

 そこには水浸しで苦しそうに呻く菊池さんの姿があった。


「氷雨さん。これはどういうことだ?」


 空のペットボトルを握りしめた氷雨さんに問いかける。


「菊池さんが燃えて……炎で何故か苦しんでいて……!」


 動揺しているのか、氷雨さんは空のペットボトルを更に強く握りしめる。

 

「ふむ、それで?」

「部屋の中に空のペットボトルがあったので聞いてみたら、最近ミネラルウォーターを飲むようになったって分かって、新しいやつをお借りして成分表を見ながら、ビスホスホネート製剤の服用に使って問題ないかを見てて……カルシウムが多すぎると吸収率が落ちるんです。じゃなくて、それで、ええと、それで……」

「分かった。君は悪くない。よくやった。少し下がっていてくれ」


 成る程、生活習慣の変化による服薬のリスクを事前に察知して調べていたのか。薬剤師としては良い解答だ。

 炎上し始めたハクさんに、とっさに水をかけた判断だって決して悪くない。

 とはいえまだ新人だ。動揺していて、自分の行動を端的に説明できなくなってしまっている。今は時間が惜しい。ハクさんの方から話を聞こう。


「ハクさん、お話できますか?」


 ハクさんはこくこくと頷く。


「何があったんですか?」

「ボーボッボォオオオオオ!」


 何かを話す代わりに小さな炎が口から飛び出した。

 ハクさんも混乱しているらしい。


「熱くないですか?」


 ハクさんは首を左右に振る。

 どうやら思った以上に緊急性は無さそうだ。


「わかりました。ゆっくりでいいので、状況を話してみてください」

「今まで……身体が燃えたことはないから……びっくりしちゃって」

「身体が? どの辺りが燃えたんですか?」

「腕が……」

「見てもいいですか?」

「ええ、お願いします」


 ハクさんが差し出した腕は一部が白く灰化していた。

 信じられないことに、それは間違いなく新人類の身体が燃えた痕だった。

 この現象は全世界で同時に発生し、人体灰化現象呼ばれる新たな人類の脅威になった。


     *


 翌日の昼休み。

 僕は喫煙所でノートパソコンを広げる。

 新人類の人体灰化現象について、厚生省のホームページに集められ、公表された事例を一つ一つ閲覧していた。

 基本的に老人が発火する事例が多いように見受けられた。悪いことに初期対応が遅れて、患者がそのまま灰になってしまった事例もあったそうだ。水をかけた氷雨ちゃんのとっさの判断は悪くなかったのだろう。


「人が燃えるってありえねえだろ……」


 煙草の先端に指を軽く当てて、指からの炎で火を点ける。

 僕は煙を軽く味わってから、困惑と疲労を吐き出した。


「あ、ありえないと言いましてもですね! 現実に起きていますし!」


 顔をあげると氷雨ちゃんが眼の前に居た。

 喫煙所は診療所の敷地内にあって、診療所と薬局で共用だ。簡単なベンチと灰皿があるだけの粗末なもの。一応患者から見つからないように、診療所の裏手の小さな山の中にある。だから氷雨ちゃんが来たからといって問題は無いが、しかし此処の雰囲気には不似合いで少し笑ってしまう。


「氷雨ちゃんよー、ここ喫煙所だぜ? 君、吸わないっしょ。どうしたの?」


 患者の前という訳でもないので、僕は普段より砕けた態度になる。

 三十代も半ばになるとなんというかこう、ゆるくなるのだ。


「先程のお礼を言いに来ました! 売店のチョコです!」

「お礼? あー、新人のサポートも含めて仕事だからな。気にしなさんな。むしろ君は優秀だから、サポートしやすいミスばかりで助かる」

「でも助けていただいたのは事実ですから!」

「あっそう? あんがとよ。糖分足りてなかったんだわ」


 僕はチョコをパリポリ食べながら、ペットボトルのコーヒーを飲む。

 

「先生はどうお考えですか?」

「人体灰化現象か? そもそも、僕たちが炎を出せるメカニズムでさえ分かっていない。そんな状況で炎を出せて炎が平気な人間たちが何故か灰になっちまう理由なんぞ分からないね」

「……ですよね」

「しょぼくれるなよ。別に理由が分かる必要なんて無いんだ」

「治れば良いと?」

「僕はそれで良いと思っている。水かけて済む話なら水かければ終わりだろ。でもそんなのこのど田舎で水入りのバケツを持って四六時中待機する訳にもいかないからな……」


 実際、火村さんは四六時中水をかける為に人員を待機させられる札幌市の大学病院に入院してしまった。

 医師や看護師のチェックの下で二十四時間態勢だから、しばらくは安心だろう。

 だが、命が助かればいいというものでもない。


「早くお家に戻してあげたいですよね……農作業がお好きでしたし」

「それだ。患者にベッドの上で残りの時間を過ごさせない為に、僕たちは田舎で頑張ってるんだ。なのに灰化現象のせいでその努力がパーだ。やんなっちゃうよな」


 煙草の火を灰皿に擦り付ける。

 昼休みの時間ももうすぐ終わる。

 患者さんは火村さんだけじゃない。


「ともかく、だ。まずは他の患者さんの診療もしなきゃいけねえだろ。一旦頭の中を切り替えていけ……ボーン!!!!!!!!!!」


 口から火が出た。

 つーか、ケボーンってなんだよ。

 そんな思考は突如として口の中から飛び出した白い灰で吹き飛ばされた。

 灰が気管に入って激しくむせて、その度に赤い炎が勢いよく口から飛び出す。

 不味い。これは不味い。何故僕? 僕が何をした? 何が原因で発症している?


「先生!」


 氷雨ちゃんが慌てて自分のジャスミンティーを口の中に押し込む。


「げほっ! ごほっ!」


 酷くむせたが、自分の意思と無関係の火は消えている。

 他の事例からして高齢者に特有の疾患で、感染症ではないと判断していたが、何故僕が燃えた?

 寒い。急に寒気が来た。何が起きている? 


「ごほっ! ゴッ……ボボボボボボボボボボボブゥウウウウウウン」


 今度は視界が炎に包まれる。

 事態が飲み込めないまま、僕の意識はゆっくりと闇の中に消えていった。


     *


 次に目を覚ました時、僕は波間に浮かんでいた。

 僕以外にも何人かの人間が浮かんでいる。

 一体ここはどこだ。海にしてはやけに暖かい。それに色もおかしい。白っぽく輝いているし、時折水が柱のように飛び上がって……まさか、ここは、太陽か?

 

「ボボボボシュッボォ」


 火村さんの声がする。

 だが周囲を見回してもそれらしい姿は無い。


「ボーボボポンポンッ」


 小爆発が起きている。

 耳を澄ませて、周囲の音に意識を配る。

 音だけに集中していると、少しずつ、それらの音が言語として理解できるようになってきた。


こっちの声は聞こえているかいボンボンシュボボンボンシュボンボンボ?」


 よし、意味がわかる。

 ……ナンデ?

 

「火村さん、火村ハクさんですよね?」

そうよゴォッ


 炎のゆらめく音だけなのに、不思議とそれが理解できた。

 信じられない。


病院に運んでもらってからボォオオオオオオオオオオオオオオオオオオずっとここにいたのゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ夢なのかしらねポーンポーンシュゥウウ? いえシュー夢じゃなさそうねゴォオオオオオオ


 やはり炎が明滅したり小さな爆発を起こしながら、こちらに意図を伝えてくる。

 それが理解できてしまう僕も僕だ。

 理解を越えている。


「夢……かもしれません。ですが僕も先程、身体が灰になっていました。もしかしたらなんらかの症状かもしれません」

「……そうプシュー

「新人類の炎がどこから来るか、それはまだ現代の科学では理解できていません。人体発火現象と同様に、新人類の灰化現象もまた……解明できない何かが理由なのかも……」

そうだわポーン! 先生がここから帰れたらボボボボーンシュウウウウ解明の助けにならないかしらシュゴオオオオオオオオオオオオオオ?」

「どういうことですか?」

待ってボボボボボ……もうシュゴ……貴方みたいにハッキリしてないからボオオオオオオオオオカチカチカチカチ


 白い海の中から、火村さんによく似た形の炎がゆっくりと浮かび上がる。


「聞こえ……る?」

「此処に来る前にね、私は呼ばれたのよ。貴方は?」


 炎は人間の言葉で、間違いなく火村さんの声で、僕に語りかける。

 悪い夢だ。


「知らない。僕は呼ばれてません」

「ああ、じゃあまだなのね……でもここは良いところだと思わない?」


 僕はしばらく目をつぶって考え込む。

 確かに、この白い海はひどく心地が良い。

 自らが最初からここでこうしているのが自然じゃないかと思える程、リラックスすることができた。だが、その訳のわからない安心感こそ不安だ。


「分かりません。でも僕は帰りたいんですよ。帰らなきゃいけないんです。患者がまだ居ますから」

「そう……じゃあボォオオ……」


 火村さんは再び火の中に溶けていく。


「火村さん!?」

私はもうこっちで暮らすわババババッボォオオオオバイバイだけどボォオオあなた一人くらいなら返してあげられるシュッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「何を言っているんですか? こちらに来るって、一体どういうことなんです!?」

心配しないでボンボンスボボン若い頃から強火で有名だったんだからボンスボンボンボボォオオオオオオオオオオ


 足元の白い海が輝きを増す。

 海は突如として盛り上がり、僕の身体を空高く放り投げる。

 高く、高く、高く、どこまでも高く。

 真っ暗な闇を抜けて、それでも隆起する白い海は僕を運んでいく。

 そしてその先に、僕はまた見覚えのあるものを見つける。

 地球だ。教科書で何度も見た、青い惑星がそこにはあった。


     *


「――はっ!」


 僕が目覚めた時、最初に目に入ったのは診療所の白い天井だった。

 着火を制御できない小児の為に使われる部屋だ。

 時間を見ようとしたが、時計はつけてなかった。慌てて懐のスマートフォンを取り出すが、うまく動作しない。


「……いや」


 この部屋には時計があったのだ。壁の方を見る。電波時計なので常に正確な時刻を出している筈だ。午後三時――そう思ったのだが、時計の秒針は止まっていた。

 何が起きている?

 僕は部屋の外の喧騒に耳を澄ませる。


「医療機器予備電源に切り替えられますか!?」

「電子カルテの緊急バックアップ入ります!」

「予備電源は2日保つので、落ち着いてください」

「車動かねえぞ! バッテリーじゃなくて制御用の回路だわこれ!」


 騒がしい。

 居ても立ってもいられずに僕は部屋の外に飛び出す。

 看護師が驚いている患者さんをなだめ、事務さんが忙しそうに駆け回ってる。

 僕以外の医師は所長も含めて医療機器と接続された患者さんに応急処置を行っている。

 と、その時だ。


「お忙しいところ失礼します! 薬局の方の冷蔵庫に空きがあるので、冷所保存の医薬品等ならお預かりできます! 緊急のものは何かありませんか!」


 丁度、氷雨ユキが診療所の玄関に飛び込んできた。


「あっ、先せ――」


 そう言いかけて、彼女は僕を見て目を丸くする。

 そしてまだ持っていたペットボトルを力いっぱい振り回し、ジャスミンティーを僕の右目があった場所にぶちまけた。


     *


 一時間もすると全世界的な停電騒ぎはあっけなく終わった。

 原因は太陽フレアによる電磁波。

 それが消えた後の復旧は、現代の技術ならばそう難しくはなかったらしい。

 通信用の電波はまだ不安定だが、医療機器の動作やデータの保存自体は完璧に行われており、完全復旧は時間の問題だ。


「先生、まだ燃えてるんです?」

「まだ着火ファイヤーだよ……どうするのこれ……」


 一方、僕は眼帯姿で相も変わらず煙草を吸っていた。

 ただ、今回は一々指で火をつける必要は無い。

 右目が有った場所で、青い炎がチラチラと燃えているのだ。耐火眼帯がなければ患者の診療も一苦労である。


「ていうか、氷雨ちゃんさ。吸わないのに禁煙室来ることないでしょ」

「じゃあ私も吸います!」

「吸わなくて良いよ。ウイルスや細菌と違って、煙草の害は新人類にもあるんだから」


 煙草の火を指で揉み消すと、吸い殻を灰皿に捨てる。

 タバコの臭いが染み付いた髪をかきあげて、ため息をつく。


「マジで訳わかんねえわ。所長に相談しようかね、ほんと……」

「なにかあったんですか?」

「僕が意識を失ったあとのことって覚えてる?」

「えっと、先生の右目が燃えて……灰になって意識を失いました。それから診療所に運ばれていって、停電が起きて、その最中に先生も起きてきて……ああ! そうそう! フレアですって! さっきの停電、巨大な太陽フレアのせいだったんですって!」


 太陽フレア。

 太陽表面で起きる爆発だ。規模によっては地球の近くまで届くという。

 あの時、夢の中で見たものはあれだったのか?

 だとすれば、火村さんは太陽フレアを起こして地球の近くまで僕を送り届けたのか?

 馬鹿な、何故人間の意識だけ太陽に向かう。

 そんな理屈は無いだろう。

 考えろ。高齢の患者と僕の共通点。考えろ、考えろ。


「人火力発電……」

「先生?」

「火村タエさんは人火力発電で長い期間働いていたな?」

「そ、そう仰ってましたね」

「……僕もなんだ」

「え?」

「僕も、学生時代に金が無くて、人火力発電のアルバイトに参加してた」

「で、でも! こう言っては難ですが、先生の火力ってそんな大したものじゃないって聞いて……」

「だからだよ」

「え?」

「確かに僕は元々大した火力を持っていなかった。だがどうしても金が要る。実家が裕福じゃないし、医学部の勉強で忙しかった僕は、無理やり炎を出したんだよ。僕はカフェインを大量に飲んで、人火力発電のバイトに参加できるだけの火力を無理やり出していた」

「先生何やってたんですか!?」

「声がでかい! 当時の法に触れてないんだからセーフだっつの!」

「オーバードーズは薬剤師として見逃せません!」


 新人類と呼ばれる人々の炎は、感情や思考の状態に大きく影響を受ける。

 覚せい剤、あるいは精神刺激薬と呼ばれるものを服用した新人類が、これまでにない量の炎を出した事例は当時から知られていた。


「はいごめんなさい! もうしてません! ともかく、事態はシンプルなんだ。炎の出しすぎだよ。灰化現象はキャパオーバーだったんだ。元から大量の炎が出せる人に比べて、僕みたいな人間はより早くキャパオーバーが来る! となると、ご老人だけじゃないな……僕みたいな無理をした奴にも遅かれ早かれ反動が来る可能性がある」

「そういうことなんですか!? でも、それならなんで今……」

「なんだって良い。診療所の皆に仮説を伝えてくる。君も帰る前に薬局に戻って伝えてみてくれ」


 いかにもそれらしい説明だ。

 僕は夢で見たものを無視している。

 火村さんの呼ばれたって言葉に、何の意味があるかわからないまま、対症療法的にその場を乗り越えようとしている。

 知るのが怖い。知ればまたあそこに連れて行かれるような気がする。僕はまだ此処に居て、誰かを助けたい。

 僕はあの場所に行きたくないんだ。

 それ以上、氷雨ちゃんに何も聞かれないように、僕は走り出した。


     *


先生シュポッ先生ボボ……」


 診療所へと走る。火村さんの声が聞こえてくる。

 幻聴の筈だ。まだ疲れているらしい。無理が祟ったのか? そもそも僕こそ札幌の病院に搬送されるべきだものな。


「所長」


 努めて冷静な声を出す。

 所長の居る部屋の中へと入る。


「おや、もう休憩は良いのか? しばらくはあの部屋を使って仮眠をとるように言ったつもりだったのだが」


 所長は片足を引きずる小柄な老人だが、その目つきは鋭い。

 新人類が増加する中で、長く第一線で医療を支えたベテランだ。


「人類灰化現象は恐らく炎の使いすぎが原因です。厚労省に報告し、患者に注意喚起を促すべきかと」

「それは実際に灰化現象にみまわれた君自身の経験から来たものかね?」


 僕は頷く。


「貴重な意見だね。実は先程、札幌の大学病院から連絡が来た。火村ハクさんがお亡くなりになったそうだ」

「……そうですか」

「それだけではない。太陽フレアのタイミングで、同様の人体灰化現象に巻き込まれた患者の半数が灰になっている。もう半分は帰ってきた。君と同じように」


 押し返されたんだ。あのフレアで、太陽表面から地球まで押し返されたんだ。


「だが君のように制御できない炎が身体に点いたままのものはいない。灰になった身体が回復したものは居たが、不思議だとは思わないか」

「……こちらも、仮説なのですが。新人類の炎は、太陽と関係があるのではないでしょうか。そういった論文を学生時代に読んだことがあります」

「この状況で疫学的にそういった仮説を立てるのが妥当だな。とはいえ、直接的な物証は無いしデータも不十分だ」

「そんなの患者が助かるならなんでも良い。僕は意識を失っている間に夢を見たんです。火村さんは呼ばれていると、呼ばれていない人間は押し返すと。夢だと思いこんでいたのですが、もしもあれが事実だとするならば、僕を始めとしたというのは……」

「呼ばれていないから帰された、と?」


 僕は頷く。所長も納得したように頷く。予想してなかった。何を馬鹿な、と言われるものだと思っていた。


「いや実は、同様の報告が大学病院から来ている。まだ公表はされていないが、君と同様に『呼ばれていないから帰ってきた』と言っていた人が居たそうだ」


 背筋に寒気が走る。

 やはりそうなのか。


「……ところで、右目はまだ不調なのかね?」


 僕は頷く。


「新人類と太陽のつながりに物的な証拠は無い。だが、もし、炎を自らの限界以上に使った新人類が太陽に呼ばれるのならば……」


 所長は僕の右目の眼帯を見る。


「その消せない炎、どこから吹き出しているんだろうね」

「恐らくは――太陽かと。他の新人類と同様に」

「君は常に太陽と繋がり続けている訳だ。君の意思でなしに」


 そうだ。そのとおりだ。灰化現象の研究が始まればまっさきに注目されるだろう。研究に協力……などと穏やかに事態が進むとも限らない。海外の軍や、反新人類過激派の残党に狙われる可能性もある。家族が巻き込まれたら最悪だ。できればこのことは公にしたくない。


「あくまで仮説ですよ。それに、繋がっているのは僕だけじゃない」

「そうだな。私を含め、全ての人類がそこに繋がっている。今は使いすぎが原因かもしれないが、その使いすぎとやらの定義がまだ明確ではない。危険だよ、実に危険だ」


 僕は黙り込む。そう、危険なのだ。

 だから、これは絶対に隠しておきたい。

 所長ならばカルテを不審ではない形で書き換えられる。太陽フレアによる電子カルテの混乱なども合わせれば、事実を有耶無耶にすることはそう難しくないだろう。


「所長、その……」 

「なあ、我々の頭の上にいつも浮かぶあの輝く星は一体何なんだろうね?」

「分かりません」

「我々はあれを只のエネルギーとしか捉えない。だが我々は何かを見落としているんじゃないか。なあ、あの太陽という星はなんなんだ? 何故我々は燃えるようになった? 我々はどこへ行く? 報告によれば、太陽の中に天国があったと証言する者も居たそうだ。ありとあらゆる物が揃っていて、帰りたくなかったと。君はどうだった?」


 血の気が引く。皆がそこまで同じものを見ているのならば、あれは決して幻などではない。

 暖かく柔らかな白い海。あれは素敵なものだった。それは認める。不思議とそう思ってしまったのだ。

 だが、僕はあれを天国だと認める訳にはいかない。絶対に認められないがある。


「……分かりません」

「だろうな。幸い、厚労省もこのあたりの話は慎重に取り扱うつもりのようだ。今すぐに社会に混乱が広がるという話は無いだろう。君も生還者として協力してくれるね?」


 僕はため息をつく。

 今すぐ自分の身柄がどうこうなることはないと安心しているのか、患者の証言の隠蔽に加担することになるであろう我が身を憂いているのか。


「勿論です。灰化現象は無理な発火の後遺症であり、高齢者ほどそのリスクは大きくなる。それだけ、それだけの病気です。発火の原因がわからないように、灰化のメカニズムは未だに不明。この現象がなんであっても、それで患者が救える可能性が高いんだ。それで構いません」

「それで良い。君の仮説をまとめた報告書を作ってくれるかな? 急がなくても良い。君が目立ちすぎると色々勘ぐられる。私もこの診療所の貴重な人手を奪われたくはないのだよ」

「はい」


 僕は安堵のため息をつく。


「道路も復旧し始めたそうだ。今日は家に帰りたまえ。細君も待っているだろう」

「そうさせていただきます」


 僕は一礼すると所長室を出た。


     *


 駐車場に向かうと、丁度氷雨ちゃんも帰るところだった。


「先生もお帰りですか!」

「定時帰宅ができるのが、この診療所の良いところだよ」

「昨日今日とトラブル続きでしたよねえ」

「全くだ」

「先生はお家どちらなんですか?」

「山を越えた先の湯地温泉だよ」

「えっ、道民ならば誰もが知っているあのクマ牧場の有名な!? 隣町から通勤してらしたんですね!」


 隣町と言っても車で三十分程度、飛ばせば二十分で済む。

 楽なものだ。


「妻は身体が弱くてね。湯治目的でこっちに引っ越してきたのさ」

「へぇえ……そんな事情が! 素敵ですね!」

「そういう氷雨ちゃんはどうしてこんな田舎に?」

「私はこの辺りの生まれですから! 実家はアスパラ農家です!」

「あー……なるほどねぇ?」


 お年寄りに妙に可愛がられてると思ったけど、道理だわな。


「んじゃ、僕は帰るわ。氷雨ちゃんも寄り道せずに帰るんだよ」

「子供扱いしないでください!」

「ははっ、悪い悪い。うち、子供居ないからついついよ」

「もう!」

「じゃあおつかれ……」


 僕は車に乗り込もうとした。


「待ってください」

「なんだい?」


 氷雨ちゃんは僕を呼び止める。


「骨を形成するのに必要なビタミンDは、別名太陽のビタミンとも呼ばれているんですよ」

「聞いたことがある」

「火村さんの検査値を見たんですけど、骨粗鬆症の患者さんと思えないくらいビタミンDが豊富で、びっくりしたんですよね」

「……それが?」

「それで気になって、大学の先輩に教えていただいたんですけど、大学病院の患者さんも血中ビタミンDだけが妙に豊富だったそうです。何か妙だと思いません?」


 そういやこの子、国立卒か。だったら大学病院にもツテくらいあるだろう。

 それにしても鋭い子だ。実際に見た訳でもないのに、ゆっくりと、確実に真相に近づきつつある。

 良くない。実に良くない。


「それは……疲れてるんだよ、氷雨ちゃん。ぐっすり寝て、目の前の患者さんのことを考えよう」


 未来のある君は、こんなことに関わってはいけない。引き返せなくなる。


「先生!」

「悪いね、まだ今度だ」


 氷雨ちゃんはしょんぼりとうなだれると、僕の住む方向と逆の方に車を走らせて行った。

 彼女は何も知らぬままで居て欲しい。こんな恐ろしいことは、知る必要が無い。


『これから帰ります』

『大丈夫だったの? 忙しいのは分かるけど、こういう時くらい連絡してよね』

『ごめん。色々有ったんだ。色々複雑だから……帰ったら話す』


 しばらく返信が止まる。

 車を出してしばらくしてから、助手席に置きっぱなしのスマホが震える。

 車のディスプレイに、文字が浮かぶ。


『ちゃんと話、聞かせてね?』


 眼帯に手を当てる。熱は感じない。きっとまだしばらくは大丈夫。

 妻は炎を出せないし、火傷もする。だから、もしまた灰化現象が起きたら、彼女を巻き込むかもしれない。

 いや、それ以上に僕は……僕は不安なのだ。


お熱いねえ先生シュボオオオオオオ


 そんな時、右目の中で火が踊る。

 そしてまた声が聞こえる。


「火村さん!?」


 ハンドルを誤ってガードレールにぶつかりそうになる。

 慌ててハンドルを逆方向に切って、それからおちついて運転を再開する。


奥さんが心配でこっちに来れないのかいマジチャッカファイヤーバーン?」


 急に何だ?

 何を知っている?

 どこまで知っている?

 返事ができなくて、怖くて、黙り込んでしまう。


心配することはないよシュボボバーン先生が呼ばれないようにポポッポポポポポポちゃーんと言っておくからゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

「なんですって?」

奥さんは旧人類なんでしょうボボボッバボーン?」

「それは……!」


 何故、そこまで知っている。

 僕は車を路肩に止める。


私の夫もそうだったのチキボンボンチキチキボンボン貴方だけこっちに来てもチキチキボンボンボォオ寂しいものねゴォオオオ


 炎か? 炎を通じて理解しているのか? 灰になった僕の身体は向こうに送り込まれていたのかもしれない……まさかそんな。でも、そうとしか考えられない。あの夢の中で、そして今、炎のゆらめきだけで僕が火村さんの言葉を理解できているように。


「火村さん、どういうことなんです? 何故それを知っているんです? 貴方たちを呼ぶものって何なんです? 一体何が起きているんですか? 教えてください! 僕は医者です! 助けさせてください! 火村さん!」

駄目シュボ頑張ってる人を助けるのは私の趣味ですものゴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ! 私に助けは要らないわゴーフォーイットボォオオオオオンッ!」

「火村さん!」

「ジュッ」


 眼帯の隙間から煙が立ち上る。

 その後、声は聞こえなかった。


     *


 後日、人体灰化現象は政府から公式にその存在が発表された。

 炎の使いすぎによる反動。人類が纏う炎によってほぼほぼ撲滅された感染症に代わる人類の敵。そのように発表された。

 だが僕は知っている。事態はそこまで簡単でないことを。

 

「先生! 今日もよろしくおねがいします!」

「はいはい……それにしても氷雨、往診同行もだいぶ慣れたね」

「そういう先生もお仕事モードですね! 今日もバリバリやっていきましょう!」

「はは、そりゃ頼もしい。手加減してくれよ」


 季節は夏。太陽が眩しい。

 日常は続いているのだと改めて実感する。

 人体灰化も、僕のような現場の医師からの報告を元に研究が進んでいるそうだ。


「どうしたんですか先生?」

「ん?」


 ふと、眼鏡を外して空を見上げている自分に気づく。

 太陽が眩しいのに、恐ろしいのに、それでも見上げずにはいられない自分が居る。


「太陽を直接見たら目に悪いですよ」

「……そうだな、だけど、もう少し」


 僕はまだ此処に居る。

 何を見たとしても聞いたとしても、何が頭の上に居るとしても、僕は此処で頑張っている。

 あの近くて遠い星の、肌を焼く日差しに、不思議と見守られているような気持ちがした。

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