家が鳴る――書きおろし

【第5回】家が鳴る(前編)


 見るからにはいきょとわかる古めかしい日本家屋の正面玄関が映った。

『それではこれから中を探索したいと思いまーす』

 リアルな靴音。

 臨場感溢れる揺れ動くスマホカメラ。

 動画配信者の息遣いまで聴こえてくる。

『こちら玄関ですね。今時珍しい横開き。……立て付け大丈夫かな? これで開かなかったら探索終了です。有給使ってわざわざ遠出した意味なくなっちゃいますね。笑い話にもなんないや』

 しかし、玄関扉はガラガラと音を立ててあっさりと開いた。

 太陽の下から暗闇の中に移動したことで光調節が間に合わず、一瞬、画面全体に靄が掛かったみたいに白くなる。やがて、カメラは暗視モードに切り替わり、廃墟の内部を鮮明に映し出した。

『……中は庭みたいに荒れてませんね。でも、ゴミとほこりが凄いんで土足で上がらせてもらいますよ。お邪魔しまーす』

 カタカタカタ。

『おっと、物音がしました。ネズミでしょうか? それとも野良猫が棲み処にしてるのかしら。ちょっと緊張感漂ってきましたね。この先、グロ映像とかあるかもしれませんので、視聴者の方は覚悟して閲覧しててくださいね。苦情は一切受け付けませんよ。あしからず』

 廊下を歩く。ぎし、ぎし、と床板がきしむ。

 廃墟ではあるものの、それほど朽ち果てた様子がないので、掃除をしないズボラな家庭を訪問したようなつまらない映像が続く。

 武家屋敷に相応ふさわしく畳部屋がいくつも連なっていた。外廊下もあってかなり広い。

『元の家主は結構金持ちだったんじゃないでしょうか。夜逃げでもしたのかな? 物は無いけど、造りはしっかりしてますよ。この家』

 しばらく探索が続き、次第に配信者の解説が無くなっていく。

『あんまり面白くないね。せっかく来たんだからさあ、もうこの際死体でもいいからあってほしいんだけど』

 ひとり笑いながら畳部屋を抜けていく。

『誰か居ませんかー? 居たら返事してくださーい』

 誰も居ないのをいいことに、ふざけてはしゃぎ始めた。

『大きなお家ですねえ。何か悪いことしたんですかあ?』

 誰にともなく呼びかける。

『死体を隠すのに便利そうですよねえ。私もあやかりたいなあ』

 大きな風呂おけの中に持っていた空のペットボトルを投げ捨てる。

『広い! 広い! 運動不足解消にはもってこいの広さですよ!』

 大広間を映し、そこを一気に駆け抜けた。

 すべての間取を見て回り、探索は終了した。

『広いだけの家でした。収穫はありません。残念です。そろそろ帰ります』

 長い廊下を曲がりきったところでカメラ位置を直す。

 そのとき、画面に何かが見切れた。

『あれ? え?』

 困惑の声。配信者の動揺がカメラのブレに表れる。見切れた何かを追うように天井や床や壁が次々に映される。そして、やがて止まった。

『人が……、へ? 何で? あれ? あれ? どした?』

 カメラはずっと床板だけを映した。配信者は別の何かを見つけて驚いている様子だが、それが何かわからない。

 息を呑む音。

 次の瞬間、配信者の声に緊迫感が乗った。

『やばい、やばいやばいやばい……! ここ駄目だ! これっ、これはない!?』

 小声だが必死な悲鳴。

 激しく上下するカメラ。

 小走りで玄関に向かっているのがわかる。

『……ちょっと、うわ! 駄目だ!? うわああああああっ!?』

 絶叫。画面は暗転。

 ガタガタと激しく音が鳴る。

 どうやら配信者が玄関扉を開けようとしているようだ。

『何で何で何で!? 開けってば!』

 カメラが玄関の様子を映す。配信者が侵入したとき開け放しておいたはずの玄関扉は閉まっていた。それどころか板張りまでしてあって外に出られない。

『待って!? 嘘だろ!? おいって! そんな、うわああああああっ!?』

 ガタン、とカメラが床に落ち、天井を映しだす。

 そこに配信者の顔が映り込む。顔面そうはく

 廊下の奥に何を見た?

『な、何なんだよ!? おまえらはッ!?』


 ――ザザ、ザ……ザアアアアアアアア――――。


 生配信はそこで停止した。

 これ以降、配信者から動画が投稿されることはない。


      *   *   *


 モキュメンタリーとは、架空の事件や出来事をドキュメンタリー風に構成して作った映画や動画ジャンルのことである。この手法を用いたホラー映画の中に8ミリフィルムのみで撮影され一大ムーブメントを巻き起こした作品があり、類似作品が二〇〇〇年代以降多数制作されるようになる。

 ネット上の動画投稿サイトで一時期話題となったとある心霊動画もまたモキュメンタリーの手法を用いていた。

「調べてみたら結構有名だったよ、その動画。タイトルは『やばいやばいやばい生配信』。もしかして、知ってた?」

 運転席に座るういみやゆきゆきが助手席を振り返る。見目うるわしい彼に見つめられると、慣れてきたとはいえ三秒以上見つめ返すことは難しい。みちは視線を泳がせながら質問に答えた。

「あ、はい。確か三年くらい前ですよ、流行ったのは。そのとき私は高校生で、部活で忙しかったから観てませんけど。クラスで話題になってたのは知ってます」

「ははあ、多忙を理由に閲覧を避けてたな? ヘタレだなあ、ミウ助ってば」

「ギクッ。――あ、あははは、そんなわけないじゃないですか!」

 ワンテンポ遅れて猛然と振り返る。

「ミウ助って何!?」

『やばいやばいやばい生配信』の配信者は廃墟マニアを自称している男性で、それまでにも全国の過疎化した集落におもむいては朽ち果てた廃屋を探索するというシリーズものを定期的に配信していた。チャンネル登録者数は短期間で二十万人を越え、くだんの動画が話題になってからは瞬く間に二百万人を突破した。

 しかし、『やばいやばいやばい生配信』を最後に消息は不明。武家屋敷の幽霊に呪い殺されたのだとコメントする動画閲覧者もいるが、あの動画自体モキュメンタリー作品で、ヤラセに違いないというのが大多数の意見である。

「そりゃ、素人が観たらそう言うだろうね」

「じ、じゃあ……」

「本物だよ。その動画の中にもたっくさん幽霊が映り込んでいた。しかも、かなり根深い奴らがね」

 呪い殺されない方がおかしいレベルだ、と何でもないことのように言う。

「う、ううう……」

 美雨はスマホを手にしたまま固まっていた。画面中央に表示された再生マークを押せないでいた。

 仕事だからと朝早くに車で連れ出され、隣県の山間にある小さな集落に到着した。何気なく始まった怪談話は今、行幸からスマホを手渡されたところで止まっている。

「ほら、早く観なよ。いつまでそうしているつもりだい?」

 背が低くて小学生……良くて中学生くらいにしか見えない美雨は、傍目には年上の男性にいじめられているようであった。

 行幸を半泣き状態で縋るように見た。

「あの……正直聞きたくないんですけど、これ観た後、この話にはどんなオチが待っているのでしょうか?」

「何だい、オチって? オチも何も、まだ始まってもいないよ。今回の仕事はその動画を観ないことには始まらない。ほら、あそこに見えるだろ」

 行幸がフロントガラスの向こうにそびえる古びた門構えを指差した。

「あの奥に動画の舞台の武家屋敷がある」

「……な、中に入るんですか?」

「もちろん。除霊しに来たんだから当然だろ」

 美雨はおお項垂うなだれると目一杯嘆息した。

「はああああああ――――っ」

 薄々予感はしていたけれど、実際に宣言されると気が重くなる。ますます動画を観る気が失せた。

 初ノ宮行幸は今をときめくスーパーアイドルだ。今でこそ歌にドラマにバラエティと何でもこなすマルチタレントとして知られているが、元々の肩書きは『霊能アイドル』であった。

 本業は霊媒師で、『霊能相談士』を名乗っていた。幽霊嫌いが行きすぎて商売として除霊活動を行っているのだ。美雨はひょんなことからその手伝いをさせられていた。

 霊能相談士の助手にされてからこっち、いくつもの現場に駆り出されてきたが、心霊スポットのお約束とも言うべき廃病院や廃校舎のような場所にはまだ行ったことがなかった。できればそんな機会一度も来ないでほしいと願ってもいた。

 廃墟と化した武家屋敷――これも定番と言えば定番だ。

 美雨はオバケ屋敷が大の苦手だった。雰囲気からしてもう駄目だ。入り口で立ちすくんで入れなかったことも数知れず。だというのに、今回の現場は本物のオバケ屋敷だというからもうお手上げです。

 できれば逃げ出したい。動画だって観たくない。今すぐ東京に帰りたい。

「ちなみに、除霊しない限り東京に戻ることはないからそのつもりで。あと、すぐに行けば日のあるうちに終わらせられるかもだけど、このままじっとしてたら確実に日が暮れるぞ。深夜の幽霊屋敷がお好みならそれでも構わないけどね」

「……ぐうううう、いじわる言わないでぐだざいよおおおおっ」

 そんなの死んでもお断りだ。目に涙を溜めたまま、ヤケクソ気味に再生マークをタップした。


          *


 玄関扉を前にして、行幸と美雨はひとまず武家屋敷を見渡した。

 廃墟廃墟、と言うが、屋敷は言うほど荒れ果てていなかった。荒れ具合で言うなら、東京の下町で空き家になったまま放置されている一軒家の中にはもっとひどい物件がある。ここはまだマシな方だ。

 庭先は確かに雑草が伸び放題で踏み分けていくのも難しいくらいだが、建物自体は見た限りまだまだしっかりしていそうだ。黒々とした屋根瓦もおもむきがあって立派である。

「誰かが管理してるんでしょうか?」

 思いのほかれいに保たれてあったので訊いてみた。

「そんな話は聞いていないが」

 行幸も首を傾げている。動画に映ったものではなく、実際に目にした建物は印象がまるで異なっていた。

「いや、そうか」

 目を細めて霊視した行幸は何かに気がついたように頷いた。

「見た目にだまされないように。心配しなくてもここは歴とした霊場だ」

「いえ、別に心配とかしてませんから。むしろ断言されてがっかりしましたから」

 きちんと管理されている空家であれば恐怖心も多少は薄れたものを。

「ま、外から見ていたってしょうがない。幽霊は中に居るはずだからね」

「ううう、やっぱり入るんですね」

「入るに決まっているだろ。許可は取ってあるから大丈夫だよ」

「え? 許可って誰の?」

「依頼主だよ。村役場の係の人だ。一応、名義は村長だけどね」

 よくわからなかったのでつい首を傾げてしまった。

 行幸はそんな美雨の反応を見て「君はなのかい?」とあわれんだ。

「まさか、僕が趣味と実益を兼ねて暇潰しがてら噂の幽霊屋敷に除霊しに来たとでも思っていたのか?」

「ち、違うんですか!?」

「僕はそこまで暇じゃないよ。そんなの君が一番よく知ってるだろ?」

 そりゃもちろん知っています。押しも押されぬイケメントップアーティストである初ノ宮行幸の事務所で働き始めて早数ヶ月、そのせわしない日常にマネージャーを任された美雨の方が翻弄されっぱなしであった。

 マネージャーというのはいわゆる芸能マネのことではない。そっちの専属は同事務所に勤務する初ノ宮が担当している。美雨の専門はもっぱら心霊系である。

 芸能人と霊能相談士の二足のわらじを平然と履きこなし、空いたスケジュールには必ずどちらかの仕事がすぐさま埋め込まれた。芸能方面のスケジュールを完全に把握していない美雨からすると行幸がいつ休暇を取っているのか謎である。常にひょうひょうとしているから正直オンオフで見分けがつかないのだ。

 ――何も聞かされなかったからてっきり休暇だと思ったんだけどなあ。……あれ?

 というか、マネージャーの美雨が仕事の内容を現場に来るまで一切聞かされていないことがそもそも問題なのだと遅まきながら気がついた。

「仕事なら仕事だと最初から言っておいてくださいよ!」

「君ね、僕がどんなつもりで君を連れ出したと思っていたんだ? まさかデートだとでも言うまいね」

「デっ!? あ、や、そんな……めっそうもありません」

 あはは、と乾いた笑みを浮かべ、両手をぱたぱた振った。

「行幸さんとデートだなんてありえませんよ。おそれ多いと言いますか、そら恐ろしいと言いますか。ホント無理です。絶対無理です。勘弁してください」

 全国の行幸ファン(幽霊含む)につまらない恨みを買われたくない。

「ごめんなさい。他を当たってください」

「おい。僕がフラれたみたいな空気を出すな」

 はあ、と嘆息すると、行幸は話を戻した。

「この武家屋敷は現在も誰かの持ち家なんだよ。地権者は随分前から消息不明で連絡が取れないでいるらしいが、所有物には違いないんだ。だから、勝手に入ったら不法侵入で逮捕される」

「え? じゃあ、動画の配信者さんは違法行為をしていたってことですか?」

「そういうこと。勘違いしているやからが結構多いんだが、廃墟だからって好き勝手出入りしていいってわけじゃないよ。探索とか言ってね、自ら犯罪の証拠をネットに上げているんだからそういう奴は莫迦としか言いようがない」

 逮捕は言い過ぎのようだが、動画や画像の削除命令とか警告などが出されるらしい。

「心霊動画はサイトからすでに消されている。たぶん役所が地権者に代わって削除を求めたんだろう。こんなおもしろ動画を残しておいたら真似をしたがる莫迦が集まってきてしまうからね。治安対策さ」

「じゃあ、さっき観た動画は?」

「依頼人が保存しておいたものだよ。念のため、刑事訴訟があったときに備えて証拠は残しておかないと」

 行幸が受けた依頼はネットで噂になった武家屋敷の心霊調査である。村役場としては地権者不在の心霊物件をそのまま放置しておくわけにいかなかったようだ。

「さあ、入ろうか」

 横開きの玄関扉が音を立てて開く。

 その瞬間、中からえも言われぬ悪臭が漂ってきた。

「これって……」

「腐乱臭だね。配信者の死体がすぐ近くにあるのかもしれない」

 ぞわぞわと全身が粟立つ。行幸にがっちり腕を掴まれていて逃げられず、声なき悲鳴を上げながら屋敷の中に引きずり込まれた。


          *


 行幸のスマホを持たされた。

「動画を見ながら配信者の行動をなぞっていこう。それが行方不明になった彼に辿り着く近道になる。……おいこら、そんなにしがみつくな! コアラか、君はっ。動画が観づらいだろうが!」

 ひっく、えっぐ、としゃくり上げながら行幸の腰に抱きついた。

 中に入ってすぐにわかった。

 姿こそ視えないが幽霊の気配は感じている。――その数が半端ない!

「ものすごく見られてますぅううううう!」

「そりゃね。君は『渡し屋』で、僕は『はらい屋』だ。餌と漁師がセットでやってきたようなものなんだから雑魚なら釣られて来るだろう」

「いま餌って言ったぁあああああ!? 私をおとりに使う気なんだああああ!?」

「今さら何を言っているんだ。そんなのいつものことじゃないか。さあ、きっちり幽霊を引きつけて僕の仕事に貢献しなよ。成功したらお菓子買ってあげるから」

「うわあああああああん! 安上がりだああああああっ!?」

 命が懸かっているのにこの扱い。だから来たくなかったんだ。

『渡し屋』とは、幽霊を無意識に呼び寄せてしまう霊感体質保有者のことである。人から人へ、余所よそから余所へ幽霊を渡す。その影響力には個人差があり、美雨の場合、悪霊のみを招くという最悪の部類に入る『渡し屋』であった。

 それまでは亡き祖母から貰った御守りによって悪霊を弾いていたのだが、御守りを失くしたことにより美雨の人生は一変した。

 行幸に保護され、行幸の事務所に軟禁させられ、行幸の仕事に駆り出される日々。

 命の危険に晒されたことも一度や二度ではない。しかし、行幸の保護無しには生きていけない今となっては、どんなに嫌だと言っても最後には命令に従わざるを得ないのであった。

 スマホの動画を確認しながら、行幸はやおら上がり框に土足で上がった。

「お邪魔しまーす」

 その瞬間、四方八方から幽霊の声が響き渡った。

「ゆ、行幸さん、い、いま、今の、聴こえました!?」

「床や壁からカタカタと音が鳴ったのは聞こえたけれどね。あいにく、僕は幽霊の声は聴こえないんだ。連中、何か言ってた?」

「いらっしゃいませとか、ようこそとか、……も、もう帰さない、って!?」

「歓迎されているようで何よりだ。なら、遠慮は要らないな」

 薄暗い廊下をずんずん進んでいく。一旦幽霊に目を付けられてしまった後では、ひとり外に出るのも恐ろしい。美雨も慌てて行幸の後に付いていく。

 動画に映っているのと変わらない内装。多少汚れてはいるが、住めないほどではない。これを廃墟と呼ぶには少々厳しいように思う。

 腕に縋りつく美雨を煩わしそうに引きずって、行幸は言った。

「見た目に騙されるなよ。僕はさっきからあまりのしゅうあくさに頭がどうにかなりそうなんだ」

「え? で、でも、気配がするだけで幽霊の姿が全然視えませんけど」

「ミウ助はすごいね。僕もそれくらい鈍感だったらって思うよ」

「絶対めてませんよね。あと、そのミウ助って呼ぶの本当にやめてください」

 長い外廊下からガラス戸越しに庭が見渡せた。しかし、雑草が生い茂った庭にも幽霊の姿は確認できない。

 動画は畳部屋を訪れていた。ふたりの足も丁度そこに差し掛かった。

 行幸が両開きの襖を、パァン、と勢いよく開けた。その音に心臓が飛び出そうなほど驚いた。

「や、やめてくださいよ! そうやってびっくりさせるの!」

「ミウ助が驚くのは勝手だがね、僕が相手にしているのは幽霊どもだ。音を立てると反応するのさ。見てみなよ。こいつら全員僕たちを警戒しているぞ」

「え?」

 しかし、畳部屋のどこにも幽霊はいなかった。

 こいつらって何のこと? と、周囲を見回す。

「違う。上だよ、上」

「上?」

 上を見た。

 天井に無数の首が逆さまに吊り下がっていた。

 老若男女様々な首が、美雨をじっと見下ろしている。

 悲鳴を上げる寸前に行幸の手が口をふさいだ。

「おっと、君が騒ぐと一斉に襲い掛かってくるぞ。こいつらも人間の思念の塊だから強い刺激にはびっくりして活動的になる。できるだけ大声は上げないように。いいね?」

 力なくこくこく頷く。

「ミウ助が居るおかげでこいつらもこうやって顔を覗かせに来る。どこにどれだけ幽霊が潜んでいるのか、簡単にあくできるから楽でいい。だから、襲われるのは幽霊の総数を把握し終わった後にお願いするよ」

「んんっ!?」

 どうして決定事項であるかのように「襲われ」なければならないのか。

「幽霊を見つけるたびに除霊していたんじゃ疲れるし手間だろ? やるなら一網打尽が効率的だ。なんで、屋敷探索が終わったら一斉に呼び寄せてくれ。それがミウ助の今日の仕事ね」

 嫌々と首を横に振ろうとするが、あごをがっちり掴まれて否定させてもらえず、それどころか無理やり首肯させられた。

「おお、そうか! やってくれるか! わかってくれて嬉しいよ!」

「んーっ、んーっ!?」

「逸るな、逸るな。ホイホイ係になるのは今日の締めくくりに一回だけでいいから」

「んんんん! んんんんっ!?」

「そんなに怒るなよ。何があっても僕が守ってやるからさ」

「んっ!? んー……」

 事後承諾とか無理難題とか、そういうのを吹っ掛けてからかってくるから怒るのであって、安全面に関して心配しているわけではないのだ。むしろ、そっちは割と信頼している。論点をずらされたのは癪だけど、守ってやるだなんて言われちゃうと「まあいいか」って気になってしまう。軽薄な台詞も行幸が言うならそれは確かなことだから。自分自身、ちょろいなあ、と思わなくもない。

 逆さ首は見てくるだけで何もしてこなかった。

 悲鳴を上げないよう気をつけながら、次々部屋を移動する。次第にわかってきたことは、幽霊は居るには居るが隠れるように潜んでおり、こちらが大人しくしている限り危害を加えてこないということだ。

「悪霊は少なそうですね」

 美雨が襲われていないのがその証左である。

 しかし、行幸は浮かない顔をした。

「こういった霊場は、その土地に縁ある最初の幽霊が核となって、通りかかる浮遊霊を引き寄せ定着させることで規模を拡大させている。霊場でなくすにはその核となる幽霊を祓うのが最も効果的なんだ」

「その最初の幽霊をいま探しているってわけですか」

「まあね。でも、効果的ってだけでそれが正解とは限らないわけなんだが。しかし、……まずいな。そもそもそんな幽霊が居るかどうかも怪しくなってきた」

「?」

「鬼門思想ってものがある。家の中の丑寅の方角から邪気が流れ込むっていうアレだよ。出典が不確かで根拠なんかも諸説あるから信用ならないが、家相学に地相学を合わせて考えるとまるきり眉唾というわけじゃない。幽霊は霊場に引き寄せられているのではなく、この家そのものに吸い込まれている可能性がある」

「お家が吸い込む……んですか?」

「うん。気圧の高いところから低いところに風が吹くように、上流から下流へ水が流れるように、幽霊も意思に反してこの家に吸い込まれているんじゃないかな。いわゆる鬼門があるのかも。方角関係なくね」

 行幸は物陰に潜む幽霊をつぶさに観察した。

「さっきからこいつらを縛る『くさり』がどうも視えづらいんだ。核となる幽霊に囚われているようには視えないし、かといって土地に取りいている感じでもない。何だろう、この感じは……」

 顎に手を添えて考え込む。幽霊が集まってくる謎が解けなければ、いくら一網打尽にしたところで時間が経てばまたこの家は幽霊の棲み家に戻ってしまう。除霊するからには霊場の土台もろとも崩さなくてはならないのだ。

 台所にやって来た。動画では素通りするだけで何も特別なものは映っていない。

 だが、現実には流し台に立って手首から血を滴らせている老婆の幽霊が居た。

 こちらに気づいて顔を向けてくる。

「放っておきなよ。目を合わせると粘着されるよ」

「わ、わかってますけどっ」

「君が先に行くんだ。僕が後ろから見張っててやるから」

 台所は狭く、並んで歩くのは難しかった。先を歩くのは嫌だが、幽霊とすれ違った後に無防備な背中を晒すのはもっと嫌だ。

 水滴が垂れる音がやけに耳にうるさい。意識して見ないよう顔を正面に向けたまま脇を通り過ぎていく。動画はすでに台所を抜けた先にある浴場を映していた。

 ぽたり、ぽたり、ぽたり、――。

 血が垂れて流し台の底を打つ。一体どういうシチュエーションなのかと心の中で突っ込みを入れつつ、ようやく幽霊の気配を背後に置き去りにした。

 思わず、ほう、と息を吐きだした。

 すると、今度は左右反対側から、ぽたり、ぽたり、と音がし始めた。

「え?」

 気づいたときにはもう台所は奥行きを伸ばし、鏡で写したかのように新たな流し台が左右反転して現れていた。流し台に立つ幽霊は老婆でなく壮年の男性で、美雨に無表情を向けている。

 ――え? 流し台が増えてる? いつの間に? あれ、初めからあったっけ?

 慌てて背後を振り返るとそこは壁になっており、入ってきたはずの入り口も、すれ違ったはずの老婆の幽霊も、見守ってくれていたはずの行幸の姿も消えていた。

「は?」

 変形を終えた屋敷に、美雨はひとり取り残された。




【次回更新は、2019年7月11日(木)予定!】


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