最初で最後の夏祭り

 夏休みに入ったというのに、私は毎日のように学校に来ていた。もちろん先生に呼び出されたのではなく、幽霊部長のせいで。ここのところ毎日心残り撲滅作戦に付き合わされている。


「今日夏祭りらしいぜ」


「へえ」


 大して興味もないことを前面に押し出して返事をすると、部長は唇を尖らせた。そんな顔をされても、突然興味が湧くことはない。そもそも夏祭りに誘ってくれるほど、親しい友人はいない。ノートにペンを走らせる私に部長はため息をついた。


「誰かと行く予定は」


「ないですけど」


「じゃあ俺と行くぞ」


「意味わからないですね?」


 ぶっきらぼうな声で言葉を紡いだ部長は、私の言葉に傷ついたような顔をしてから黙ってしまう。いつもの軽口の応酬のつもりだったのだが、かなりぐさっと刺さってしまったらしい。なにを言えばいいのかわからずに、俯いて言葉を探した。


 いつもうるさいくらいの部長が黙っているせいで、部室に沈黙が満ちる。居心地が悪くなってきて、間を埋めるように咳払いをこぼした。


「何時にどこ集合ですか」


 ぶっきらぼうな声になってしまったのは、許してほしい。これでも精一杯恥ずかしさを飲み込んだのだ。


「六時に風海神社の前!」


 キラキラとした目でいつもの調子を取り戻した部長に、ほっと安堵する。その後は居心地の悪い沈黙が訪れることもなく、平和にお昼の鐘が鳴った。


「じゃあ、私一旦帰るので」


「おう、後でなー」


 ご機嫌な部長に気恥ずかしい気持ちを抱えながら、部室を後にした。




 カランコロン。履き慣れない下駄が立てる音が、羞恥心を煽る。母に夏祭りに行く、と報告したら目をキラキラさせて、浴衣と下駄を引っ張り出してきたのだ。送り出す時の母の笑顔を思い出して、げんなりしながら神社までの道を歩く。かなり人が多く、人気なお祭りなのがわかった。


「おーい」


「すみません、遅かったですか」


鳥居の前で先輩と合流する。


「ん?全然」


 鳥居の前で部長と合流し、出店を回る。といっても、部長はなにもできない上に、人混みでは話すことすらままならない。私たちは早々に人が少ない河原に向かった。


「浴衣似合ってんな」


「母のお古ですよ」


 眩しいくらいの笑顔から目をそらす。


「花火、もうすぐみたいだな」


「そんなにそわそわしないでくださいよ」


「楽しみなんだから仕方ねえだろ」


「五歳児ですか」


 先輩が口を開こうとしたところで、空が突然光る。大きな火の花が咲いて、あっという間に夜空に溶けた。その後すぐにお腹に響く音が聞こえてくる。私はこの大きな音が好きだった。部長の顔を盗み見ると、口を開けて、次々と上がる花火を見つめている。その顔があんまりにも楽しそうだったから、思わず笑ってしまった。ふい、と部長の視線がこちらに向く。


「お前は笑ってる方がいいな」


 赤く鳴った顔を隠したくて視線を花火に向ける。


「先輩の前ではもう笑わないです」


「そうだな」


 てっきり「なんでだよ」とか「おい」とか咎める言葉が返ってくるとばかり思っていたから、拍子抜けして、部長の方を向いてしまった。


────もう、終わりなのか。


 半透明になった部長が泣きそうな顔で笑っていた。どうしたらいいのかわからない迷子の子供みたいな顔だった。


「さよならだな。夏海なつみ


 初めて呼ばれた名前の甘い響きを、私はたぶん一生忘れないと思う。そんなことを思いながら、いつのまにか頬を流れていた涙を拭った。


「行かないでくださいよ、まだ、一緒にいてくださいよ、部長……!」


「ありがとな」


 最後まで、私のほしい言葉をくれない部長は。きっと、その言葉が私を縛ってしまうことに気がついていたんだと思う。なにも見ていないようで、なんでもお見通しな人だから。


──好きでしたよ。部長。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

文芸部の幽霊部長 甲池 幸 @k__n_ike

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ