心残り撲滅作戦その一

 部長のネーミングセンスがなさすぎる作戦に巻き込まれた週末が明け、月曜がやってくる。嫌なことが待ち構えていると、一日は瞬く間に過ぎて。いつのまにか放課後になっていた。もういっそ逃げてしまおうか、なんてことを考えもしたがその方が後々面倒なので、私は素直に部室に向かった。


「おー、昨日ぶり」


「こんにちは」


「早速なんだけど、一年の教室行くぞ」


「嫌ですよ、めんどくさい」


「幽霊にも心はあるんだぞー」


「それ、この前も聞きました」


 かたくなに動こうとしない私を部長がじとっとした目で睨んだ。正直全く怖くない。さらっと目線を外し、涼しい顔でカバンから取り出したミルクティーを口に含む。微糖のものを買ったつもりが、甘いやつを購入していたらしく甘ったるい液体が舌の上に広がる。思わずぎゅっと眉を寄せた。


「甘いの飲むなんて珍しいじゃん」


「間違えたんですよ、いります?」


「嫌がらせか」


───ああ、飲めないのか。


 普通に会話をしていると、ついこの人が幽霊だということを忘れてしまう。忘れてはいけないことなのに、私の脳はその事実を認めたくない、とでもいうように意識の外に追いやる。だから今のように、部長の言葉で冷水をかけられたような心地になることは少なくなかった。


「嫌がらせです」


 部長から目をそらして答える。平坦ないつもの声が喉から出たことにほっと小さく息をついた。 


「さ、行くか」


 そういって壁をすり抜けて部屋を出ていく部長。


「いや、行かないですけど」


そうつぶやいた声は多分部長には届いていない。いつだって人の話を聞かない部長にため息をついてからその背中を追った。


 部長を追いかけてたどり着いたのは、一年三組の教室だった。真面目な生徒が多いのか、残って勉強している生徒がちらほらいる。人がいるのに、話声は聞こえず紙とシャーペンのこすれるわずかな音だけが響いていた。


「おし、新入部員の勧誘に行ってこい」


「は?」


「俺の心残りその一!文芸部が寂しい!」


 デデンッと自分で効果音をつけた部長はなぜかどや顔だ。おかしなポーズをかっこいいと思っているみたいだ。どうやら壊滅的なのはネーミングセンスだけではないらしい。私は大きくため息をついてから、部長に反論しようと口を開いた───ものの前方から人が歩いてくるのが見えて、言葉を飲み込む。


 人が通り過ぎてからもう一度口を開く気力はなくなっていた。このまま一年生の教室の前にいたら、確実に変人扱いされてしまうだろう。私は肺の中の空気をすべて吐き出すくらいの長いため息をついてから、教室の扉を開けた。


「あの、おさげの子がいいと思うぞ」


 部長を軽くにらんでから、彼が指さした女の子のもとに向かう。


「あの」


 勉強ではなく読書をしていたらしいその子はびくっと肩を震わせてから振り返った。


「えっと……?」


「文芸部に入らないかな、と思って」


 最初から困惑気味だった女の子の顔にさらに困惑が広がる。今は夏休み前。どう考えても、新入部員を勧誘するには遅すぎる時期だ。


「でも私、小説とか書いたことなくて」


「最初は本の話をするだけでもいいんだけど……」


 私が食い下がると女の子は困ったように眉を下げる。あと一押し、と「だめかな?」と笑えば女の子は眉を下げたまま頷いてくれた。


「ありがとう。またあした入部届とかもってくるね」


「わかりました」


 心優しい女の子に感謝しながら、教室を後にする。


「猫かぶったお前久しぶりに見たけど、相変わらず気持ちわりいな?」


「誰のために猫かぶったと思ってんですか」


 じとっとした目で睨めば、ハハッと乾いた笑みが返ってくる。


 心残りなんて消化しないで、ずっとここにいてくださいよ。決して口にできない思いが強く残った。

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