第2話 クラブのママ。(下)

「それじゃあママ、またな!」

 二時間ぐらいたっぷりはしゃいで、大満足の「シンさん」がタクシーで帰って行った。

「帰りの足代だ、取っときな」

 とか言いながらママに万札を何枚か渡している。チップを見る限り、本当に太客だ。残念がる(演技の)女の子たちにも似合わない投げキッスをして、「シンさん」はご満悦で車中の人となった。

 ちなみに会計の四千円弱には五千円札を出して、お釣りもしっかり受け取って行った。タクシーも啓一朗が呼んでやったのに。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

「やっと終わった……」

 ボロボロの啓一朗はついつい声に出してしまった。女性陣は外まで見送りに行ったので、聞かれていた心配はないと思う。それぐらい精神的な疲れがツラい。日付が変わったのも今日は気がつかなかった。

 食器を片付けていいものか啓一朗が考えていると、外の気配が店内へ引き返して来た。

「エミちゃん、ミクちゃん、遅くまで付き合ってもらって悪かったわねえ」

「いいええ、ママこそお疲れさま」

「はぁー…疲れたぁ」

 マトモな音量のママと一緒に、客がいなくなった途端に疲労の色を滲ませたホステスたちがドヤドヤ入って来る。ママのあのキンキン声は、やっぱり営業向けのスタイルだったらしい。一般受けはしないから止めた方がいい。

 店を閉めてからもこんな時間まで付き合ったのでは、やっぱり女の子たちもきつかったのだろう。彼女たちは椅子に座らず、すぐにハンドバッグと上着を手に取って帰り支度を始めた。やっと帰れて彼女たちも嬉しいだろうけど、やっと帰ってくれるかと思うと啓一朗も嬉しい。


 そんな彼女たちを哀れみ半分迷惑半分で見ていた啓一朗。とにかく解放される喜びに浸っていた彼だが、しかしママが取った次の行動に思わず(オッ!?)と目を見張った。

「二人ともホントにありがとね! シンさんチップくれたから、はい、タクシー代にして?」

 ママはさっき客にもらった金を、そのまま二等分してホステスに押し付けたのだ。

(自分の分は無しか。マジかよ)

 あの枚数だと、見てない間に中抜きしたのもなさそうだ。

 女の子たちにもわかるのだろう。そんな、とかいやいや、とか言っているけど、ママは強引に握らせて二人を帰らせた。

 初めに入って来た時の傍若無人ぶりからトンデモな客だと思っていたけど、身内には気遣いできる良識はあるらしい。

 正直、啓一朗は彼女をだいぶ見直した。



   ◆



 見送って一人になったオバちゃんママは、女の子たちの背中が消えると崩れるようにカウンターに座りこんだ。

 その顔にもう笑みはない。疲れ果てた、ただの中年女がそこにいた。


 彼女は今晩初めて啓一朗の顔を見た。

「あんた、燗酒はあるかしら?」

(まだ飲むんかい!?)

 そう思いながらも啓一朗は在庫を確認した。湯煎にかけっぱなしの一合瓶は五本くらいある。今時どこで売ってるんだってガラス徳利に王冠が付いたヤツだ。

 栓抜きを当てる前に一応念押しする。

「一本出しますか?」

「お願い。それと蕎麦を……カケでいいわ」

「まいど」

 まずは栓を抜いて熱いぐらいの燗酒を猪口と一緒に客に出し、冷凍のそば玉を釜に放り込む。

(そういや、このグループで初めて蕎麦の注文だな……酒盛りだけで肝心の蕎麦を食わずに帰っちゃ、粋な客にはなれないぜ「シンさん」よ)

 そう口の中で呟きながら啓一朗は勢いよく湯切りして、丼の上でテボを持つ手を返した。

 結家の蕎麦汁は京都のそばにしては醤油濃い目だ。疲れた深夜労働者や舌の麻痺した酔客に合わせているので、疲れ果てたママさんにもきっと沁みるだろう。上に載せるカマボコとほうれん草は、お疲れさまの気持ちを込めてわずかに増量しておいた。




 自分の店で飲んだ分と、さっきのビールでそこそこ酔いが回っていたらしい。二本目の燗酒を出した時にはママはもう潰れかけで、抱えた丼に愚痴を言いながらおいおいと泣き始めていた。

「派手な店にどうしても客が集まっちゃうからねえ……毎月毎月やりくりで頭がいっぱい……こんなはずじゃなかったのにねぇ」

 ママさん自ら太客のタイコ持ちにアフターについてくるぐらいだ。どうも流行っていないお店らしい。

「あの娘たちも、給料も良くないのに良くやってくれてんのよ。それが本当に申し訳なくてねえ……あんたも店やってるんだから判るでしょ? ねえ?」

「そうっすねぇ」

 酔っ払いに「雇われなんで、経営者じゃありません」なんて言っても仕方ない。適当に相槌を打ちながら、啓一朗が考えていたのは別のことだった。

(さっきのチップはそう言うわけか)

 ママさんは経営が思わしくなく、待遇を良くできないことにずっと罪悪感を抱えていたのだろう。それで思いがけない臨時収入を、懐に入れずに気前良くホステスたちに配ったと。

 人生の先輩に言うこっちゃ無いが……どうせ人が居着かない商売なんだから、店が苦しいならホステスに臨時ボーナスなんか払うこともないのに。

 店を優先と開き直れば気も楽だろうに、ついつい従業員の生活も考えてしまう。律儀で不器用な生きざまだと啓一朗は思った。

(このママさん、夜の世界で肩肘張って生きて行くには真面目すぎるのかもな)

 もう意味不明な呟きしか出て来なくなったママを、せめて閉店時間までは寝かせといてやろう。

 啓一朗は客をそのままに、厨房の片付けを始めた。



   ◆



 とは言っても、閉店時間は午前二時なので大して時間はない。

 一時間もしないうちに起こしたママをタクシーに放り込んで、啓一朗は店じまいを始めた。




 身支度をして看板をしまおうとしている啓一朗に声がかかった。

「おう、啓ちゃん。今日の客は大変だったな」

 声の方を見れば飲料を納品してくれている酒屋のオヤジだ。帰宅途中だったのか、自転車にまたがったまま足を止めていた。彼の店は祇園の店がみんな頼りにしているだけあって、午前一時まで配達してくれる盛り場特化型の素敵なお店だ。

「清水さんのとこまで響いてた?」

「バカ言うなよ、さすがに隣の通りまで響くほどじゃないさ。いや、配達に来たら客が覗き込んじゃ帰っていくもんで何かと思ってさ」

 酒屋の清水氏はかぶっていた野球帽を脱ぐと、癖なのか禿頭をツルリと撫でてケタケタ笑った。

「おたくの二階の保坂んちのジジイがよ。酷くうるさいもんで苦情を言いに降りては来たけど、中見て諦めて帰ってったのは笑えたな」

「俺、その中にいたんだけど」

 啓一朗はオヤジと話しているうちにふと思い出して、一旦中に入ってラップした瓶ビールを持って出て来た。

「清水さん、一本飲むかい?」

 いきなり中瓶を突き出されて、酒屋が怪訝な顔になる。

「なんだよ?」

「いや、その客がさ……」

 あの「シンさん」、最初に大盤振る舞いでビールを四本も頼んだはいいものの……やっぱり全然飲まなくて、二本は手つかずだった。一回栓を抜いているからすぐに炭酸が抜けちゃうけど、とりあえずママさん一人になった時にラップだけかけておいたのだ。

「別に客に出し直せるわけじゃないけど、一口も飲まずに捨てられるビールが可哀想でな。自分で飲んでやろうかと」

「ホントに客には出すなよ? クリーン作戦で蕎麦屋がパクられるとか勘弁だぞ」

 軽い小言は言いつつも、酒屋も一本受け取った。お互いに仕事上がり、誰気がね無くアガリの一杯を楽しめるご身分だ。

 受け取ったオヤジと瓶を軽く打ち合わせる。まだまだネオンの輝く深夜の雑踏で、近所のオッサンと中瓶をラッパ飲み。いくら祇園でも非日常感があって、ちょっと面白かった。

「啓ちゃんは酒の心がわかっているな。そうよ、手間暇かけて造られたのは流しに捨てる為じゃねえや」

 満足そうにぐいぐい空けるオヤジに苦笑いしながら、啓一朗も茶色の瓶を傾けた。

「清水さん、パクられるって言ったら自転車も飲酒運転になるからな? サツはともかく、頼むから鴨川に突っ込んだりしないでくれよ?」

「それを言ったら啓ちゃん、家は西陣だっけ? 歩きじゃ帰れねえだろ」

「西大路の衣笠辺りだよ。いいさ、抜けるまで店で寝て行くよ」

 炭酸が抜けかけたビールが喉を通るたびに、その分強く感じる苦みが舌を撫でていく。

「苦いねえ」

「そりゃ、ビールだからな」


 能天気なオバちゃんに見えたママさんも、悩みを隠して生きている。

 そんな姿を垣間見た啓一朗の人生だって、やっぱり楽しいだけでもつらいだけでもない。

 みんな苦いものを噛みしめながら笑顔を作って生きている。


 啓一朗はもう一口飲んで、手元の瓶のラベルを見つめた。

「うん、苦いわ」

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