第1話 クラブのママ。(上)

「ごっそさん」

 クラブのボーイらしい派手な頭髪とシックな制服のアンバランスな二人組が席を立った。

「まいど」

 啓一朗は客を見送ると急いで席を片付け、大雑把にテーブルを拭いた。ぶっちゃけ、こぼした汁とか目に見える汚れが無ければそれでいい。結家はカウンター六席に四人掛けが二つの計十四席。席を遊ばせておく余裕は無い。

 器の方は余裕があるのですぐに困ることはないけれど、それはそれとして啓一朗は早く片付けるようにしている。流しが狭いので洗い物が溜まると身動きが取れなくなってしまう。

(そしてそういう時ほど、面倒な客が入ってきたりするんだよな……)

 好事魔多しというヤツで、油断している時ほどトラブルは重ねてやってくる。ピークタイムに対応するには、普段から心がけておくのが大事。

 丼を洗いながら啓一朗は、この商売に付きものの困った客の事を考えた。

(どうせ迷惑な客なら、トラブル起こす客より黙って長居する客の方がいいよなぁ……客が動かなければ余裕ひまができるし)

 その分客の回転率が下がって売り上げも下がるけど、啓一朗は固定給の雇われ店長だ。ちょっとぐらい売り上げが変わったって、どうせ自分には関係ない。

 ピークタイムはいつも、そんな事を考えながら皿を洗っていた。何のことはない、試験前に台風で休校になるのを夢想する小学生とおんなじだ。

 人間なんて、そう簡単には成長しないのかもしれない。




 瀬田啓一朗は今年三十二歳になる。

 京都の二流私大を出てから地元に戻らず家電メーカー系の販社に勤めたのだけど、ちょっと体と心に負担がかかる企業文化だったので三年で辞めた。その後は流転の人生というヤツで、五年前に拾われてからはずっと結家二号店の店長を務めている。

 安かろう悪かろうの夜鳴きそば屋なんて、決してやりがいだの将来性だのがある仕事とは言えない。歓楽街の場末で、独り酔っ払いを相手にそばやうどんを作り続けるだけの毎日。

 だけど……色々な人間がやって来ては酔った勢いで人生や素顔をポロっと漏らす、そんな毎日があるこの店を啓一朗はなんとなく気に入っていた。



   ◆  



 ちょうど入れ替わりの波が来て、お客がまとめて四人出て行った。


 ホッと一息入れて壁の時計を見れば、あと五分で十一時だ。そろそろピークタイムも終わる頃。

 酔客はあと一時間ぐらいはパラパラやってくる。それを過ぎれば飲み屋の従業員が仕事帰りか昼休み・・・の腹ごしらえに来てくれる。近頃はコンビニやカラオケとかの二十四時間営業の店も多いので、わりと午前様の客も増えて来た。

 外をうかがうけど、今のところは次の客の気配は無い。三人いる客も食べ始めだったり時間を潰していたり、すぐ動く様子はない。九時前から動きづめだった啓一朗に、台風の目のように静かな時間がやってきた。

(やれやれ、コーラでも開けるかな)

 啓一朗はまかない代わりに、ウキウキしながら冷蔵庫から黒いガラス瓶を抜き出した。

 身体を使った後の一本は最高だ。晩飯は閉店後に食うことにしているので、休憩中はジュースを楽しむことにしている。

「この時間、ニュースは何チャンだったっけ……」

 テレビに目をやりながら啓一朗が栓抜きを瓶に当てようとしたところで……扉の外が騒がしくなった。身を強張らせた啓一朗が心の準備をする暇もなく、やたらとけたたましい一団がガラス戸を開けた。

「ここよ、ここ! 着いたわよぉ!」

 耳に痛い黄色い声で、もうわかる。これはかなりめんどくさいタイプの客だ。

(……さようなら、俺の休憩時間のんびりタイム

 素直に諦めた啓一朗はそっとコーラの瓶を冷蔵庫に戻し、お冷のグラスを用意し始めた。


「あー、シンさんシンさん大丈夫! お店全然ガラガラだから入れるわよう!」

 毒々しいほど厚化粧をした和服のオバちゃんが、啓一朗が思わず膝から崩れ落ちるような破壊パワーワードを吐きながら踏み込んできた。甲高いオバちゃんのキンキン声に、一番入口に近い席に座っていた常連客が思わず顔をしかめるのが見えた。

 パチンコ店の店員が思わず反応してしまうぐらいだから、オバちゃんの声量は大したものだ。

(騒音計が店にあればと、今ほど思ったことはないな……すげえやかましいわ、このオバハン)

 記録していたら何デシベルくらい行っただろう。

 結家に限らず、この辺りの地元民みずしょうばい御用達の飲食店では他人に反応しないのは不文律になっている。周りの存在を無視する筈の常連が、ポーカーフェイスを崩しただけでもオバちゃんの騒音はタダモノではない。




 啓一朗は思いっきり失礼なオバちゃんに内心(帰れ!)と思いながらも、

「いらっしゃい」

 といつも通り愛想のない声で挨拶をした。

 世話を焼かれたくないのも結家の客の特徴なので、挨拶も務めて素っ気なくしているのだけれど……ここまで愛想よく「したくない」客も珍しい。

 しかし。

「あーお腹空いた! シンさん、ここどう!?」

 オバちゃん、啓一朗てんいんの挨拶を完全無視。会釈どころか視線も来ない。あっけに取られるくらい啓一朗は綺麗にスルーされて、オバちゃんは勝手に空いてるテーブルを占拠し始めた。


 ……いや、この商売をしていれば良くあることだけれどね?

 別に今さら腹も立たないけどね?


 それにしても、無視の仕方がなんか腹立つ。

(なんなの、このオバハン……あれか? 盛り塩の取替えをしなかったのがあかんかったかな……)

 なんとも割り切れない思いを抱えながら、どうでもいい事を啓一朗が考えていると。

「おー? なんや、しょぼい店やの。こんな店でええんか? そばなら尾張屋ぐらい連れてったるぞ?」

 啓一朗の手が一瞬、うっかり包丁に伸びそうになったぐらいのセリフを吐きながら「シンさん」が次にご登場。芸人か成金かという感じに似合わない派手なスーツを着た、パンチパーマの貧相なおっさんだ。夜中に茶色のサングラスもイタい。

(こんなのがダブルでご来店かよ……迷惑極まりないカップルだな、おい!)

 もちろん口には出せない。色々飲み込んで、黙って会釈する啓一朗を「シンさん」も完全無視。本当に有難迷惑な客だ。

 ちなみに包丁を本当に手にしなかったのは、別に我慢をしたわけではなかった。どうせネギぐらいしか切らないので、出していたのが菜切り包丁だったからだ。出刃とは言わないけれど三徳包丁ぐらいじゃないと、腹に突き刺すイメトレの小道具にもならない。

(とにかくさっさと注文を取ろう。そしてとっとと帰ってもらおう)

 啓一朗がそんな事を考えていると……まだ続きがいた。

「いいやんココで! 良いトコは今度、お店に入る前に連れてってよ」

「そうそう。尾張屋なんてもう閉まってるやない」

「シンさん」に続いて明らかにホステスが二人キャンキャン騒ぎながら入ってくる。四人掛けでシンさんを囲むように女三人が座った辺りで、啓一朗にも団体様の事情が呑み込めた。

(あー、一応アフターか……)

 金の使い方を間違えているとしか思えない男が客で、ママと女の子二人が残業中と。

 太客しか眼中にないっぽい御一行に、啓一朗はあきらめの境地で黙ってお冷を出した。




「とりあえずビール四本! あと、適当に摘まめる物を出してや!」

 オバちゃんママに負けず劣らず、周りを気にしない声量で「シンさん」が注文を出してきた。こういう客は〝太っ腹な俺”を女の子に見せたいだけだ。細かい注文を訊き返すと機嫌が悪くなるだけなので、本当に適当にツマミを用意する。そもそも「シンさん」、メニューも見ていない。訊くだけ無駄だ。

(蕎麦前なんて注文されたの何か月ぶりだろ……)

 みんな蕎麦うどんしか食べないから、啓一朗もおつまみなんて忘れてた。

 店長自ら存在を忘れていたメニューをお品書きを見て確認。作り方を思い出す。

 冷凍の海老天をレンジにかけて、タッパーに切ってストックしてあったカマボコをまな板皿にきれいに並べる。板わさの語源をぎりぎり思い出して、皿の隅にちょろりとチューブのワサビを絞り出した。同じく湯掻いてあったほうれん草を小鉢に移して、そば汁の原液をチロッと垂らして花鰹を振る。

「三品……もうちょいか」

 啓一朗は湯煎してあった真空パックの身欠きニシンも二枚開封して皿に並べる。これぐらいでいいだろう。


 この手の御大尽ぶりたい客には、見栄え、品数、高くない値段を押さえておけばとりあえず間違いはない。気が大きくなっているので「適当に見繕え!」なんて言うけど、お会計の時に予想より高いとぼったくりだと騒ぎ出す。二千円かそこらぐらいの物を出しておけば、まあ大丈夫だろう。そもそも結家には高級食材もないけど。

 中瓶四本の栓を抜いて、グラスやツマミと一緒に卓に並べて行く。飲みきれるかどうかは客の勝手だ。啓一朗が知った事じゃない。



   ◆



 すでに酒の入っているご一行は、ろくに呑まないうちにすぐ騒ぎ始めた。

 特に「シンさん」はご機嫌で、中腰になりながら大きく身振り手振りを入れて過去の武勇伝を実演している。

「そん時俺は言ったのよ! おいおいタグチ、オレ様を見くびるんじゃねえ! ってな!」

「キャー! シンさん、さっすがー!」

「ウへヘ、イケてる!? 俺イケてる!?」

 一ヶ所だけ盛り上がっている店内の様子に、啓一朗はうんざりした顔を隠し切れない。

(マジで今週一番……いや、四半期一位行くかもしれん)

 もちろん、啓一朗の心の中のお客ランキング「ウザい」部門の話。


 やかましい。


 とにかくやかましい。


 一応他の客に絡んだりしないし、器物を壊すこともない。でも出ていって欲しい。

 しかし、やかましいだけでは「どこまで騒いだら」追い出すって目安が無い。なので「出てって下さい」とも言いにくい。かと言って公害レベルの騒音なので、グループ以外には堪ったものじゃない。

 どうしたものかと啓一朗が思っている間にも、

「店長、お会計」

「あ、はい」

 残っていた他の客は、思った通りそそくさと逃げ始めた。

(そうだよな。短い休憩時間をこんな環境ところで過ごしたくは無いよな……)

 薄情な常連客達の背中を見送り、一人逃げられない啓一朗はこっそりカウンターの陰でため息をつく。もう何度目だろう。

(あー、やっぱヒマよりも仕事があった方がいいわ……)

 誰か腰を据えて呑んでくれないか、なんて妄想していたのが遠い昔のように思える。

 希望通り長居して酒盛りする客のおかげで新規の客は入って来ない。追加注文も入らないので啓一朗は見事に暇だ。念願かなったと言えなくもない。

 だけど夢が叶ってみれば……本当に何もすることがないし、騒ぐ声で頭はくらくらするし、とてもじゃないけどいたたまれない。夢は見ている時が一番楽しい。

 ガラス戸の向こうに時々暖簾を掻き分ける顔が見えるのだけど、中の酒盛りを見てUターンして入って来ない。そりゃそうだ。

(売り上げも悪そうだなあ……俺、今日何か神様に嫌われるような事をしたっけ?)

 長居する上に四人で十四人の店を貸切にされちゃ、回転率なんて笑い話にしかならない。

(楽をしたいなんて願うから、罰が当たったんかな……)

 いよいよ佳境に入る「シンさん」劇場のドラマチックアクション巨編を聞き流しながら、啓一朗は一つ決意を固めた。

(うん……やっぱり盛り塩は、毎日交換しよう)

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