祇園のはずれの夜鳴き蕎麦 ~雇われ店長 営業日誌~

山崎 響

第0話 蕎麦処 結家(むすびや) 

 同じ場所を見ても、見る者の立ち位置によって違うものが見えている。それが京都という街の面白いところだと思う。

 街の住人から見れば、そこは何の変哲もない生活の場。

 でも観光客が見れば、観光ガイドに載ってる名所になる。

 はたまた歴史マニアからすれば、有名な事件の現場に大興奮だ。

 住民ネイティブでも訪問客ビジターでもない学生からすると、そこは四年の……たまにそれ以上の……仮初めの住み家で社会人の揺りかごと言える。

 それはCADソフトのレイヤー構造のように、同じ白図に用途別の色分け図を重ねるだけで全然別の図面に見えるのと一緒だ。味もそっけもないただの市街図の上に、様々な視点の図を重ねていくと……“京都”と言う観光名所で、住宅地で、歴史があって今を生きる、複雑で魅力的な都市の姿が浮かんでくる。

 どこの地方都市もそういうものかもしれない。

 でも啓一朗は京都と言う街は……特に祇園と言う街は、それがもっとも顕著に出ている街ではないかと……そう思っている。




 皆さんは“祇園”と言うと、どんなイメージがあるだろうか。


 他所よその人は、花見小路辺りの和建築が立ち並ぶ辺りを思い浮かべるのではないだろうか。いかにもな風情を感じられる街並みを舞妓が歩いていたりして……あの辺りは古都と聞いて浮かぶイメージ通りの、絵になる花街だ。

 一方“おまちの人”が「祇園さん」と親しみを込めて呼べば、それは当然四条通のドン突きにある八坂神社を指す。この神社に捧げられる祇園祭は京都の町衆の象徴だ。


 しかして啓一朗達、夜の住人が“ギオン”と言えば。

 それは観光客が闊歩する花街と表裏一体の、今なお怪しいネオンに彩られた古びた歓楽街に他ならない。観光客の“祇園”の合間合間、あるいは裏通りに広がる「生きている祇園」だ。

 御茶屋や料亭が“歴史と文化”を護る表の祇園とすれば、バーやクラブは“盛り場”という“本質”を今に伝える真の祇園と言えるかもしれない。町衆の社交場だった祇園の“機能”を数百年の昔より今に受け継いでいるのが、どこの町にもありそうなネオン街。何とも皮肉な話だと啓一朗は思う。


 そんな街の中でもはずれの、もう酔客もそこより奥には行かないという片隅に。

 啓一朗が雇われ店長を務める蕎麦処 結家むすびや 祇園二号店はあった。



   ◆



「よいしょっと」

 出勤してきた啓一朗は自転車を店と隣の隙間に押し込むと、シャッターを引き上げた。

 僅か五センチ先にあるアルミサッシの扉も開ける。

 照明が消えて薄暗い店内には、一歩入ったところに行燈あんどん看板。

 墨痕一筆の店名よりもビールメーカーのカラフルな協賛ロゴが目立つそいつを、店前の路上へ引きずるように引っ張り出す。歩行者の邪魔になりそうでならないギリギリに置くのが、通行人の視界に入れてもらうコツだ。

 看板に替わって自分が店内に入ると、まず釜に水を入れてプロパンガスの火を点火。湯を沸かす間に客席のテーブルやカウンターを拭き、床を掃く。そこまで出来たら今日の開店準備は完了で、啓一朗は一旦外へ出て暖簾のれんを出した。


 蕎麦処 結家むすびや


 看板には書いてないけど二号店。今年三十二歳になる雇われ店長、瀬田啓一朗の任された城だ。


 暖簾掛けを終えて店内に入った啓一朗は、手を一つはたいてからテレビのリモコンを手に取った。午後五時のニュースをBGMに、開店準備を始める。

 釜の湯はあとまだ十五分ぐらい沸かないけど問題なし。

 食材は冷蔵庫からバットのまま出して、まな板の脇に並べればOK。

 調理器具を洗うのも今からやればいい。

 飲み屋街のはずれの夜鳴き蕎麦に、開店直後に駆け込んでくるような酔狂な客なんていやしない。

「おっと、忘れてた」

 慌ててまた外へ出た啓一朗は、さっき出した行燈看板の古びたコードを壁のコンセントに突き刺した。

 まだまだ明るい夕方の路肩に、看板からぼんやりとした灯りが輝き始める。明るい中の行燈看板は、よく見ないと点いているんだか点いていないんだか判らない。

「煌々と照らす」というより「漏れ出る」と言う感じ。「昼行燈」とはよく言ったものだ。

 結家の商売は、この看板が光って見える頃にやっと客が入って来る。


 立ち上がって腰を伸ばす啓一朗が街行く人を眺めれば、夜になり切れないこの時間は昼間の・・・住人の姿が多い。“夜の祇園”が目を覚ますのはこれからだ。

 雑踏に背を向けると、啓一朗は思いっきり手を突き上げて背伸びをした。

「さーて、今日も一晩・・頑張りますか」




 蕎麦処 結家むすびや。今日も夕方五時から営業中。

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