第6話 バイト君。

 夕方五時から深夜二時の営業時間で、一日の半分は閑古鳥が居着いているような蕎麦処 結家むすびや。こんな店でも週末になるとそれなりに忙しく、繁忙時間帯だけのバイトを入れたりもする。

 バイトの勤務は週に三日、夜八時から午前一時までの一日五時間。しかも誰もが遊びたい金土曜の夜が中心。勤務時間帯が最悪な上に、月に幾らにもならない半端な時間数。店の都合ばかり詰め込んだ、こんな仕事にどこの馬鹿が応募して来るんだと啓一朗でさえ思うのだが……現実問題、結家にはその馬鹿が一人いる。

 雇う側なのに、啓一朗はそれが不思議で仕方ない。




「店長、期限チェック終わりました」

 厨房スペースの狭い通路にしゃがみ込んで、隙間に積み上げた段ボールを調べていたバイト君が顔を上げて報告してきた。

「おう。まかない作るから、客が来る前に飯食ってくれ」

「もう晩飯ですか。それじゃ、今日は花巻蕎麦をお願いします!」

「おまえ、アレ好きだな……」

「海苔が一枚ババンと載ってて、上に花がつおがてんこ盛りってのが豪華で好きなんです」

「そういうもんかなあ」

 首をひねる啓一朗に、彼は自分なりのこだわりを主張してエヘヘと笑う。

 ひょろっと細長いイメージの彼は、立ち上がってみると実際の背はそれほど高くない。百七十あるかどうかの啓一朗と大して変わらない。背が高いんじゃなくて身体が細いようだ。


 昨年から働いてくれているバイトの彼、浦上勇気うらがみゆうきは大学の三回生らしい。らしい、と不確かなのは採用面接は本店長がしたからだ。

 月一回の定期報告で啓一朗が「週末のピークタイムは手が回らない」と言ったら、翌々週の営業前にいきなり彼が連れられて来た。チンピラにしか見えない佐古に連れられたひょろひょろの浦上は、啓一朗の目には買われた奴隷か借金漬けのパチンカーのようだった。もしかして騙されて連れて来られたのでは? という疑念がどうしても拭えず、気になっていたので落ち着いた頃に尋ねてみた。

 実際には本当にバイトの募集を見てきたそうで、

「こんな勤務条件でよく来たな」

 と本人に訊いたら、

「学校の方と勤務時間がまずかぶらないので、僕には丁度良いです」

 と返された。ついでに、

「下宿に一人でいても暇なんで」

 と、どこかの誰かみたいな事を言い出した。遊びたい盛りの二十かそこらの若者がいったい何を言っているのかと、啓一朗は呆れて二の句が継げなかったのを覚えている。


 大盛にしてやった花巻蕎麦を喜んで食べている浦上を見ていると、彼のそういった理解しがたい言動が幾つも脳裏に浮かんでくる。それらを思い出すたびにどうしても、啓一朗は丸々一回り違う歳の差を思わずにはいられない。

 浦上がニ十歳ならば、今三十二の啓一朗はちょうど干支が同じ計算になる。

(干支が同じだとすると、俺がコイツの歳の時はコイツは小学校の真ん中辺りだったわけか……)

 そう考えると、物凄く歳が離れているような気がする。だって小中高と人間の一番思い出が濃い時期が全部、彼と啓一朗では重ならないのだから。

 二十と三十二では、老いを感じるような歳の差じゃあないだろう。けれど小学生と大学生でタメの友達付き合いをしようと思うほど、啓一朗は痛々しく若さアピールをする気もない。親子ほどは違わないけど、仲間とも言えない距離感の相手だなと単純に思ってしまう。つまり中途半端に年の離れた相手に、どう接していいのかわからない。

(大学で同期だった連中、みんなもう部下や後輩がいるよな。若手とどうやってコミュニケーション取っているんだろう)

 中間管理職の心得を訊いてみたいけど、昼間の世界の連中とは今ではすっかり没交渉だ。気軽に聞ける相手がいない。

(そう言えば、あいつら元気にやっているかな……)

 久しぶりに学生時代の友人たちを思い出し、啓一朗はちょっとあの頃が懐かしくなった。


   ◆


 あんな勤務形態に応募してくるぐらいだから、浦上はちょっと抜けている。

「浦上、甘揚げの在庫は?」

「七十二あります、大丈夫です」

「土日は入荷ないぞ?」

「今までのデータで見れば、多くても金土日で五十は出ません。急に流行らない限り問題ありません」

 ここまでは良い。よく売れ数なんか見ていたと、むしろ褒めてやってもいい。しかし……。

「そうか……で、バットに補充は?」

「あっ!」

 この調子だ。

 計算だとか暗記だとか分析だとか、そういうのがパッとできるのは大したものだと思う。学生として成績は良さそうだなと思うし、将来エリートコースに乗れたら出世しそうだ。だけど、成績がいいのと機転が利くのは違うというか……ひらめきが現場の作業に活かせなさそうな男だった。

 今日もカウンターの客に、手元が狭いだろうと気を利かせたのは良いものの……ビール瓶を啓一朗に申告せずに厨房側の床に下ろしてしまい、客が帰ってしばらくしてから会計忘れが発覚した。

 浦上は頭を掻きながらエヘヘと笑った。

「僕、こういううっかりミスが多いんですよねえ」

「自分で言ってれば世話ねえな」

 反省しているんだか無いんだかわからないぐらい、叱ってもあっけらかんとしている。後に引かない性格なので叱る方も気が楽と言えば楽だけど、暖簾に腕押しで全く響いてくれないのも困る。


 一度その辺りを言ったら、彼はいつもの当てにならないエヘヘで胸を叩いた。

「大丈夫です。僕もその辺りをちゃんとしたいと思ってバイト始めたんですから」

「ちゃんとしたくてバイトを始めた?」

「ええ。社会人のアレコレなんて大学じゃ身につかないじゃないですか。お客さんとの人付き合いとか、どういう事が求められるとか……そういう事の心構えができたらいいなとバイトに応募したんです」

「ああ、そういう……」

 なるほどな、と啓一朗は腑に落ちた。

 浦上は稼ぐのに熱心な勤労学生のタイプに見えないし、そもそも結家のバイト自体が生活費を稼ぐのには向いていない。なぜこのバイトなのかとずっと思っていた。

 どうにも頼りないけど根が真面目なのは確かだ。いわゆる“社会勉強”が目的なら、慣れない手つきで働くのも彼らしいと思う。


 そんな事を思っていると、逆に浦上が訊いてきた。

「どうです店長。僕って成長していますかね?」

 言われて啓一朗は、彼が入ってからの日々を振り返ってみる。

 失敗や叱らねばならないことも多かったけど、何度か繰り返せば覚えて失敗しないようにはなってきた。やる事は危なっかしいけど、働きぶりは真面目だ。酔客に絡まれておたつく事とか、オーダーミスでお客に謝ることもだいぶ減った。頑張っているのは啓一朗も認める。

(ただ、減ったんだけど皆無じゃないんだよな……)

 そこが浦上の抜けている所。

「まあ成長しているとは思うが……低空飛行かな」

 彼の働きぶりを思い返していたら、いつか自分がぬらりひょん老人に言われた言葉を啓一朗はつい繰り返してしまった。言ってしまってからハッとする。

(……浦上、今ので気持ちが折れないか!?)

 自分がどう思ったのかを思い出して、啓一朗はまずい事を口に出したと内心慌てた。自分が言われて嫌な事を他人に言ってしまったのはまずかった。

 浦上は、と心配になって目をやれば。

「そうですかあ。僕、着実に前進していますね」

 傷つくどころかむしろ、ちょっと満足そうだった。


(マジか!?)

 受け取り方が正反対の浦上に、啓一朗は愕然とした。驚きを隠すのにちょっと苦労した。

(今時の子って、そういう考え方なのか?)

 今日一番のビックリだわ。そう心の中で考えて動揺しつつも作業に戻り、ネギを切っているうちに……啓一朗は彼の反応がなぜ違うのかに気がついた。

 ネガティブに捉えた自分と、ポジティブに受け取った浦上。

 これは浦上だから、というより……まだ社会人にもなっていない二十歳の若者と、社会経験を一巡したのにハマりどころが無くて焦っている三十二歳じぶんの“残り時間”の差ではないのか。つまり俺は、とうとうおじさん世代に……。

 やる気を新たに丼を洗い始めた浦上を見ながら、啓一朗は思わず呟いてしまった。

「……これが、若さか」

「はい? 店長何か言いました?」

「いや……なんでもない」

 怪訝そうに首を傾げた浦上がその拍子に洗剤まみれの丼を取り落とし、洗い桶に派手に水柱を立てた。

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