そうした職場の話を、ネットで多少読んだことはある。これからどんどん需要が増すだろう。
無論、それは必要不可欠な仕事であり、私自身大変尊敬している。誰にでも出来る話ではない。
そんな私に、主人公の淡々としたプロ意識の発露がじっくり伝わる内容だった。いつそれがくるか分からないからアルコールを控えて欲しいという要望を実質的に黙殺する姿はなまくらな筆では到底描けないだろう。その感覚は作中の一大事件の暗喩でもある……そう、所詮人は人と『通じない』。
コミックリリーフ役の後輩にも大変好感が持てる。作品の構成、配置の巧妙さは、実はこの脇役が影で担っているといっても過言ではない。
現代社会でこそ生まれたのだし読まれて欲しい傑作短編。
新米納棺師の苦悩と葛藤を描いた邦画「おくりびと」。
怪に魅入られた特殊清掃員を描いたホラー映画「クロユリ団地」。
こうして例を挙げ始めれば枚挙に暇がないほど、
「生と死」、そしてその「境界」は多くの作品が扱ってきたテーマです。
またその重たい主題は、
永遠に答えの出ない禅問答のように、
生きとし生ける人々を惑わせ続けてきました。
本作品の中では、華やかな門出を祝福されるはずの新生児の死をきっかけに、
日常生活のありとあらゆるバランスが崩壊していく姿が描かれます。
遠く他人事だと思っていた死の存在は、実は我々の生と地続きの場所にある。
忘れることさえ許されない悲痛な死の存在が、我々の生の中に土足で踏み込んでは手を招く。
そうして出口の見えなくなった主人公の苦しみの生々しさに、
思わず視界が滲んでしまいました。
抗いようのない悲しみに心を侵食されてしまった時、
人はどのようにして前を向けば良いのでしょうか。
この作品を読了した今も、答えは尚、私の中にありません。
それでもこの作品のタイトルが【埋葬】である意味を思えば、
赤子の死と地続きの場所にある新たな生を迎え入れる覚悟を、
作中の彼らの眼差しに見ることができます。
特殊清掃の職に就く男は死臭にまみれて働くうちに、《死》の悪夢にうなされるようになる。特殊清掃の仕事を辞めたいと考えながらも、ちょうどその時、彼の妻は妊娠しており、新しく増える家族を養う為にもいま職をなくすわけにはいかなかった。喰らいつくようにして懸命に働く男――だが、娘は死産だった。
そこから、彼の、そうして妻の精神は瓦解し始める。
死は重い。
他者の死でさえも重く、まして愛する家族の死ならば、その重さは想像を絶します。
愛は重い。
大抵は他者から掛けられる愛の重さが語られますが、実際には愛の重さは誰かを愛する側にこそ掛かるものではないでしょうか。誰かを愛するとはすなわち、その相手を抱えこむことに他なりません。相手の暮らしを肩に乗せ、精神の一端を担い、責任の一部を背負うことです。それは喜びや幸福だけではありません。肩に負い難い荷もある。負担するにはあまりにも、誰かのこころというのは重い。
故に、時には愛することから、逃げだしたくなる。ましてみずからが苦境にあるのならば、なおのことです。それは、責められることではありません。他者の負を担ぐには、ひとは脆すぎるのですから。
けれど愛したかぎり、愛するかぎりは。
その重さと向きあわなければ、ならないときがあります。
暗い題材を取り扱いながらも細部からも視線を背けることなくしっかりと書きあげ、なおかつそれぞれの傷に優しく寄り添うように綴られています。ほんとうに素晴らしい小説を拝読させていただきました。
《男》が最後に埋葬したものとは……?
是非とも、多くの読者さまに読んでいただきたい小説です。