ライブな二人!

笹野にゃん吉

ライブな二人!

 プルタブを起こせば、プシュと小気味好い音が鳴る。次いでぷんとアルコールの匂いが香る。でかでかと「生」の一文字がプリントされた缶ビールを、生田きだはいきおいよく呷った。


「「ング、ング……ッ!」」


 ローテーブルを挟み対面に腰かけた丹生にうも喉を鳴らし、ビールを胃の腑へ叩きつけた。


「「ああ~ッ!」」


 そしてほぼ同時、感嘆の息とともに缶を置く。丹生の手が空の缶に当たる。コロンとテーブルから落ちた空き缶は、フローリングを転がって生田の足許で止まる。

 ここは生田のアパートだ。ゴミを放置するのは狼藉だ。

 しかし彼はそれを一瞥しただけで、すぐにスマホへ視線を落とした。その目は赤く充血していた。


「グエップ!……終わったんだよな」


 丹生も自身のスマホを見下ろし、下品なゲップも詫びずにそう言った。


「終わった。でも、まだ来ない。今日も来なかった」


 俯きながら答える生田。その口調は譫言のよう。かなり酔いが回っている。テーブルの上は、二人が飲みほした空き缶で溢れそうになっている。隙間に無理やり置かれたスマホは、峨々ががたる山々に囲われた孤島へ挑もうとする小舟のようである。


「いつ来るんだろうな……。まさか今年はないとか言わないよな?」


「おれに訊かれても知らねぇよ。でも、きっとあるだろ。まだ一発目のフェスが終わっただけなんだ。次のフェスぶちかましたあたりで、きっと来る……」


 互いに覗きこむ画面は同じ。とあるロックバンドのSNSだ。二人はこのバンドの全国ツアー情報が更新されるのを待っていた。

 いよいよ夏が始まり、様々なバンドやシンガーソングライターがツアー情報を解禁していく中、二人の推しは一向に動きを見せなかった。


 そして今日。


 推しの出演した大型音楽フェスティバルの一つが大盛況のうちに幕を下ろしたのだった。

 二人は、全国ツアー情報が解禁されるなら、ここだと踏んでいた。

 ところが日付が変わるまで待ってみても、SNSやオフィシャルホームページには、フェスの感謝を告げる文言や数枚の写真が添付されただけだった。


「ああああ、クッソ!」


 突然、丹生が頭を抱えた。生田も同じ気持ちだった。

 缶ビールだけが慰めだ。二人はまた同時に酒を呷った。


「東名阪ツアーのチケット、今からでも買えねぇかな?」


「無理だろ。もうソールドアウトした。そもそも買えたところで、どうすんだよ。地方大学生に、東名阪はリスキー過ぎるって……。生活費くずすのか?」


「ダメだ……。今月は那奈にしぼり取られた。マジで死ぬ……」


「おれもそんな感じ……」


 大学生になったら彼女ができる。


 高校時代、色恋沙汰と無縁だった二人は、それを都市伝説の類だと信じてこなかった。しかし、それが真実であると身を以て知った。同時にそれは、恋愛に対する神性が打ち砕かれることを意味した。常に胸の高鳴りを抑えられず、嫌なことをすべて忘れられる恋――それこそが都市伝説の類だったのだ。


 要するにどちらの恋人も、男の優しさや逞しさより、その財布を愛していた。


 丹生がまたぞろ缶ビールを呷る。中身はもう出てこなかった。


「クソ、もう空か! 金もねぇのに、ビールもねぇ!」

「車もそれほど走ってねぇ」

「うるせぇよ!」


 丹生は缶をテーブルに叩きつけると「小便!」と怒鳴って、トイレのほうへ消えていった。独り残された生田は、ふらふらと立ちあがり、冷蔵庫から缶ビールを二本とりだした。

 テーブルは空き缶に占拠されている。無性に苛立ちがこみ上げてきた。


「ウゥン!」


 面倒になって腕で振り払った。無数の空き缶がコロンコロンと床の上を転がった。

 生田はふいに口の端を歪ませた。


 ――山々は消えた。おれは神だ。このビールを置けば、そこがたちまち新しい島だ。壊すことも創ることも、フフ、こんなに容易い……。


 謎めいた全能感が胸を満たしていた。生田は酔っていた。


「ふいぃ……すっきりしたぁ」


 やがて用を足して戻ってきた丹生は、どっかと座りこみ、臀部でんぶで空き缶を潰した。わずかに顔をしかめると、尻の下から潰れた空き缶をとってテーブルの上に置く。そして、当然のように新しい缶ビールのプルタブを起こした。


 それら一連の行動が、生田の全能感にきずをつけた。


「……オイオイ、おれ神、お前市民」

「は?」

「その汚ねぇ山、おれが壊した。今からここが新しい島だ」


 生田は酔っている。口調が妙だ。ラップ――だろうか? しかしあまり韻を踏めていない。


「そぉい!」


 さらに、突然テーブルの上に身を乗りだしたかと思えば、潰れた空き缶を手で払った。それが窓にぶつかり、コーンと間抜けな音を反響させる。安っぽいゴングのような音色だった。


 丹生は挑戦的に目をすがめた。心地好い酩酊の中から沸々と湧きあがる怒りを自覚した。眠気でふらついていた頭が、規則的なリズムで揺れ始めた。


「山? 島? 意味わかんねぇ。つべこべ言わずに酒飲ませろや」


 なんと傲岸ごうがん不遜ふそんな態度だろうか。

 生田はもちろんカチンと来た。相手とほぼ同じリズムで、生田の頭も揺れ始めた――。


「は? バカ? ここおれの家。誰の許しでビール飲めてんだ?」


 相手のリズムで韻をふみ、生田は威圧的に床を指差した。

 自分が家主――ひいては神であることを主張したのだ!

 無論、それに屈する丹生ではなかった。


「ビールを飲むのは、オレの勝手。文句言うなら酒代払って?」


 これに生田は怯む。場所を提供したのは生田だが、酒代を支払ったのは丹生なのだ! 

 どちらが神に近しいかは最早明白であった。


「……ッ!」


 このままではリズムも途切れてしまう。


 沈黙、即ち、それ敗北。


 しかし、その時だ!

 勝利を確信し「ん」と挑発的に突き出された手をふり払い、丹生の鼻先に逆に指を突きつけた!


「おい待て、この酔っ払い野郎! 先月の家賃、立て替えただろ? 酒代程度でけぇ顔すんな! お前の生活、おれ、支えてんだッ!」


 金銭問題には金銭問題、酒と家では家のほうに分がある――!

 丹生の表情から余裕が抜け落ち、生田は一瞬にして優位をとり戻した!

 住を統べる者こそ、即ち神である!


 勝負あった。


 両者ともに、その予感を嗅ぎとっていた。実際、丹生は顔をしかめたままで、身体は最早リズムを刻んでいなかった。素人のフリースタイルなどこんなものだ。


 ところが生田が勝利の笑みを浮かべかけたその時、試合中止のゴングが鳴らされた。生田のスマホが振動したのだ。


「「!?」」


 推しSNSからの通知か!

 判断能力の鈍っていた二人は、あらぬ希望を抱いた。SNSの更新でいちいち通知が来ない事など失念していたのだ。


「クッソ、絶対別れてやる……」


 案の定、生田のスマホに届いたのは、恋人からの媚びたメールだった。

 額をつき合わせながら画面を覗きこんだ二人は、だから己の愚かさと現実の非情に、深い嘆息をこぼした。


 もはやラップバトルの勝敗などどうでもよかった。

 金をせびってくる女のいない場所へ行きたかった。愛するものを共有できる生家ライブハウスへ帰りたかった。音の洪水に呑まれながら、世界と一体になりたかった。


 二人はバツ悪そうに、目の前の相手を見た。目が合うと、そこに自分が映っていた。

 そして豁然かつぜんと気付かされた。

 これこそが大切なものなのだと。

 暗に貢いでくれ、と醜いハートマークの連絡を送りつけてくる女ではなく、本当の幸せを共有できる相手が、こんなにも近くにいるのだ。

 生田と丹生は酔っていた。


「……ライブ行きてぇ」


 生田が言った。

 そして舌を鳴らし、チッ、チッとリズムをとりはじめた。


「遠征つれぇ」


 丹生が自嘲気味に笑う。スマホをいじって画面を見せる。

 そこに古参ファンと丹生の二人の、教師と生徒じみた交流がある。

 生田は微笑んで、リズムをとって返す。


「古参との交流、まるで師弟」


 丹生の目に驚きと悦びが過ぎった。

 友好的な闘志が燃えあがる――!


「おお……ツアー通知まだか? オレ終始裸」

「それより聴き逃してる曲はねぇのか?」


 間髪入れずの反撃だ!

 二人はおもむろにTシャツを脱いだ――!


「ねぇねぇ! ナメんな、推しへのパッション! 心は常に推しの限定ファッション!」


「でもでも! 今はおれらネイキッドファッション! 剥き出しの肌に突き刺さるエモーション!」


 生田、音楽アプリ起動!


「一曲一曲噛みしめてこうぜ! いちいち文句言う奴は更生!」


「ツアーなくても盛り上がって昇天! それがおれらの細やかな応援!」


「「金がなくても切り拓くマイウェイ! そんで築いてく推しのランウェェェェェイッ!」」


 パァン!

 ドンッ!


 二人のハイタッチと隣の住人が壁を殴る音が重なった。それがラップのピリオドだった。


 二人はフッと薄気味わるく笑った。彼らの胸には、おかしな一体感が充ち満ちていた。

 そして、どちらからともなくこう言った。


「「……ユニット組んじゃう?」」

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ライブな二人! 笹野にゃん吉 @nyankawa

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