第147話:禍福ハ糾エル縄ノ如

 ちょうど部屋と同じ形、大きさの立方体。心那の霊がそんなものを作り、その外からの霊や音の伝達を阻害する。

 だがそうやって張った結界の一部に、心那は自ら穴を空けた。


六根清浄ろっこんしょうじょう異間いかん霊門れいもんを通ずるなり」


 式言に合わせて広げられた厚手の布には、心那のよく用いる式図が描かれている。その中央に誰のものか、朱で手形が捺してあった。

 離れた二点を繋げる結界の先は、心那以外の誰にも見えない。こちらから向かうのでなければ、あちらから誰かが来るのだ。待っていればそれは、自ずと知れる。


「――皆、大儀であるな」


 数秒程度だったろう。僅かな時間の後に姿を見せ、労ったのは若い男。まだ少年と呼んで良いその人はこの世で唯一、心銘を名として持つ。

 愚かという一文字を選んだ若き王は、平伏した全員に顔を上げるよう声をかけた。


「陛下。どうぞ上座へ」

「構わぬ。余は招かれざる客。ここへ居たと太政大臣に知れれば、大目玉ゆえな」

「あのような固茹で玉子、好きに言わせておけばよろしいのです」


 王を除けば飛鳥において最高権力者である太政大臣を、心那は平然とそう評価した。この場にそれを驚く者も、いまさら居なかったが。


「おお蕗都美。今宵は余の味方をしてくれるか。ならば一つ、気が楽になるというものよ」

「誰が味方か敵かなどと、おむつが取れましてからご心配なされませ」

「お、おぉ……」


 こちらの言には誰も反応を示さない。むしろ聞こえない振りといった風に。

 ――いや、例外が二人。也也は鼻の先でフッと笑い、萌花はおどおどとした目で心那と久遠の顔を交互に見た。


「して、遠江久遠」

「は、はい」

「伽藍堂弥勒はどうなったか」


 久遠が攫われたあとの経緯だけは、病院に心那が訪れて話した。当然にそれを愚王は聞いている筈だ。なぜ繰り返し聞くのか、理由をこの場で知っているのは愚王本人と心那だけだっただろう。


「僕、いえ私は」

「平易に申せば良い」

「僕は――伽藍堂に喰われました」


 久遠の認識としてはそうなるようだが、事実は明らかでない。

 暗い地中を進み、どこか広い空間に連れていかれた。既に討王の頭骨だけがその身となった伽藍堂は、物理的な加害行為として噛みつくくらいしかなかった。

 それは久遠の右手で、その部位をあえて狙ったのか偶然だったのかも不明だ。

 もしも左手だったら、どうなっていたのか。久遠自身の被害としては、最も軽微だったのかもしれない。しかしそこに霊を置いている真白露は消滅しただろう。

 結果。久遠は右手を失った。

 正確には右腕の肘から先、前腕部分を。不思議なことに、伽藍堂が食った肉や骨は消えてしまう。頭蓋骨だけで、喉も臓腑も肛門もないのにだ。


「喰って、彼奴はどうした」

「申しわけありません、分かりません。気を失ってしまいましたので」

「そうか。それではお前の身に変化はないか」

「曖昧な返答となりますが、自覚はありません」


 前後不覚となって、次に久遠が意識を戻したのは病院のベッドだった。どうしてそこに居るのか、伽藍堂がどうなったのかも全く意識になかった。

 ただなんとなく「統括の――いえ、親しく感じる誰かの声が聞こえた気がします」と、心那には語っている。


「相分かった。なに気を揉むな。聞いてはいるが、思い出したことでもないかと確かめてみただけのこと。皆も聞いたな?」


 愚王はここに居ることを、臣下として最高位の太政大臣にも知れてはならないと言った。するとここでの会話は、この場に居る者限りとなる。つまりこれは、ここに居る者全員が久遠の監視者となって、なにかあれば責任を負えと釘を刺されたのだ。


「さあ食おう。飲もうではないか。余が居ることは、もう忘れて構わぬぞ」


 仕切り直しの宣言があって、宴は再開された。也也や四神、面道は当然のこと。久遠と萌花も段々と緊張を解して楽しんだ。

 遅れて顔を見せた久南は愚王の出席に肝を冷やしたが、すぐに忘れてしまったようだ。顔色を変えることなく機械人形の姉妹と三人、酒を飲み続ける。


「てめえ、マッドエンジニア。ちっせえの二人も、酒の味が分かってんのか」

「ああ美味しいよ。なあ静歌、鈴歌」

「なんだと? なら飲め。この店の酒、飲み尽くすぞ」

「よしきた」


 おかしな気勢を上げる四人をよそに、心那は静かに酒と食事を楽しんでいた。それとは別に愚王の口を付ける物を毒見もしていたから、まあまあの大食ではある。


「ときに……例の金塊はどうされるのでしょう」


 崩壊した塞護の調査に当たっているのは、粗忽千引。彼女は守るべき都市を壊滅させた責を負って、衛士の任を解かれた。

 ただし事情を鑑み、数年がかかるとされた調査を終えれば復職出来ると条件が付けられたのだ。


「表には出せぬし。新たな都市開発の資金に紛れさせるしかなかろうな」


 特に声を潜めるでなく、心那が問いかけ愚王は答えた。

 千引の調査及び捜索対象には、朱鷺城にあった筈の金塊も入っている。それは現時点において、表向きには発見されていない。

 見つかったのは、久遠の退院したこの日。場所は太政官が個人として所有していた倉庫。

 当人は半年前に捕縛され、収監されたままだ。数回に渡って捜索がされた倉庫だったが、そんな場所へ誰がなんの為に金塊を運んだのか。全く分からなかった。

 太政官の罪状は既に重く、金塊に関わっているか否かはさほどの問題ではない。気にするべきはやはり、見つかったタイミングだ。


「ひとたび濃いえにしを纏えば、逃れ得ぬものよ」

「復活の無きよう、心を致しましょう」


 愚王は大きな茶杯に顔を隠し、心那は久遠に笑みを送る。

 姉と機械人形の姉妹から無理やり酒を勧められていた久遠に、この会話が届いていたか。それは定かでない。


東の国の呪術師たち―纏繞の人々― 完結

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東の国の呪術師たち―纏繞の人々― 須能 雪羽 @yuki_t

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ