第5話 双子の家のお揃いの失恋
おかしい、と気付いたのはその翌朝のことだ。
うっかりアラームをオフにしなかったせいで、せっかくの土曜だというのに6時に起こされてしまう。まぁ二度寝すりゃ良いか、と寝返りを打った時。
「――?」
また、じくり、と胸が痛痒くなったのである。
ぼりぼりとシャツの上から掻いてみるも、やはり届いていない。じくじくとしたその痛みは、シャツの上から掻こうが、直接肌に爪を立てようが、治まる気配はなかった。
けたたましく朝の訪れを知らせてくれた忌々しいスマホを手に取って、『胸の痛み 治らない』と検索してみる。ずらりと表示されるのは、何やらおっかない病名ばかり。
血管がどうだとか、心筋梗塞がどうだとか、いやいや、俺、ぴちぴちの10代だから。ほんとまだそういうのとは無縁だから。
そんなことを考えながら画面をスクロールしていく。すっかり眠気も冴えてしまっていた。ただただ胸が痛痒く、その辺りをぐいぐいと強めにさすりながら、画面を見つめる。
と。
『先輩と目が合う度に胸が痛いんです。もしかしてこれって恋でしょうか』
そんな一文が俺の目に飛び込んできた。
この質問に対してのベストアンサーは『自分で考えろバーカ』などという優しさの欠片もないものだった。これが投票で決まったベストな回答らしい。日本、終わったな。
でも、確かにそうなんだろう。
こんなこと、誰に聞いたってわかるわけがない。ていうか、顔も知らない、名前も知らない人間から「それは恋ですね」なんて言われたところで、「そうか、これが恋か」なんて納得するんだろうか、この人は。
恋。
恋か。
そうだよな、聞いたことあるわ、恋わずらいとか。
いや、だとしても。
いや、恋か、これ?
姉ちゃんだぞ?
そこで、ぽん、と浮かんでくるのは、あの眼鏡のことが好きなのかと尋ねた時に真っ赤になった姉ちゃんの顔だ。ちくしょう、どんな眼鏡野郎だ。今日見に行ってやる。
と、そんなことを考えると今度は胃がむかむかしてきた。まだ何も食ってねぇのに。
「くそ、何か腹立つ」
とても寝ていられる状況ではない。
まだ6時半。両親はたぶん起きてるだろう。どうして大人って休みの日でもちゃんと起きるんだろうな。
シャッと勢いよくカーテンを開ける。窓の向こうに見えるのは、姉ちゃんの部屋だ。張り替えたばかりの網戸の奥で、白いレースのカーテンがぴったりと閉まっている。きっとまだ寝てるはずだ。
「……ねーえちゃん」
窓を開け、ぽつりとそう言ってみる。
『お前のその『好き』は絶対そういう意味じゃねぇ。ガチなやつだって』
岸田の言葉を思い出す。
「ガチって何だよ」
姉ちゃんが好きで何が悪いっていうんだ。そういう意味もこういう意味もねぇよ。
「……ねーえちゃん」
こんな声で呼んだって聞こえるわけがない。そもそも呼ぶつもりで呼んでるわけでもない。
「……
声に出してみると違和感がすごい。
そういや名前で呼んだことなんてなかったな。
「……ゆーづき」
身を乗り出し、頬杖をつく。
「くっそぉ……。すっごい下着、誰のために買ったんだよぉ」
吐き捨てるようにそう言うと。なぜか、ほろりと涙が出て来た。
どんなやつかは知らないが、その『すっごい下着』とやらは、きっと例の眼鏡君のために買ったんだろうなって思ってしまったのだ。俺が見れるのは、あの色気の欠片もねぇ『もっちウサコ』なのに。それも、偶然飛んできたやつ。その眼鏡は、何の苦労もなく、すっごいやつを見れたかもしれないのに。しかも、本体付きで。
「俺に見せろ、ばーか」
そう呟いて、がっくりと肩を落とす。
ああもう、成る程な。
この胸のじくじくは、そうか。恋か。
俺、姉ちゃんのことが好きなんだ。
弟とかじゃなくて。
そういうんじゃなくて。
そんじゃ、俺も失恋したんだな。
一昨日は姉ちゃんが失恋して、そんで、昨日は俺が失恋したんだ。
何もそこまで双子にしなくてもさ。
見た目がそっくりの俺らの家。
玄関ポーチには、お揃いの寄せ植え。
「そんでもって、子どもはどっちも失恋中、と」
声に出すと何だかちょっと笑えて来た。
何やってんだ、俺達。
「おおい、姉ちゃん起きろ」
さっきよりちょっと声を張る。模様替えをしてなければ、あの窓の向こうはベッドのはずだ。そんなことを考えて。
網戸の向こうのカーテンが揺れ、その端を小さな手が掴むと、緩み切った寝起きの姉ちゃんがひょこりと顔を出した。カラカラと窓が開く。こんな起きたての顔を間近で見られるのなんて俺だけだぞ、なんて優越感に浸る。
「なぁによぉ。土曜日なんですけどぉ」
ぼさぼさの頭を手櫛で整えつつ、大きなあくびを一つ。
「昨日言ってた、すっごい下着見せて」
そのあくびにわざと重ねて言う。
「ふわぁぁ――あ? 何見せてって? ちゃんと聞こえなかった。もっかい」
「何でもない。今日予定ある? 遊び行こ」
「……珍しいね、そういうの。小学生の頃みたい」
そう言って、ニコッと笑う。
確かに小学生の頃はいつもこうやって遊びに誘ってたんだっけ。
「良いよ、ご飯食べたらね」
「おう、あとでそっち行くわ。ちゃんと可愛い恰好しろよ」
「可愛い恰好? どうして?」
「デートなんだから当たり前だろ」
「デート?
「そ」
ニィ、と笑って、レースのカーテンを閉める。
部屋着のシャツを脱いで、さて、何を着ようかとクローゼットの扉を開いた。
これかなぁ? と赤いシャツを掴んだ時。
「――違う違う、そっちじゃなくて、白いやつ!」
窓の向こうからそんな声が聞こえる。風でカーテンがめくれ、室内が見えたらしい。別にいまさら恥ずかしがるようなものでもない。
「白? これ?」
と、白いシャツをハンガーから外して振ると、「そうそう」と姉ちゃんが返してくる。
「デートなんでしょ? だったら陽も恰好良くしてよ」
「俺は何着ても恰好良いんだよ」
「はいはい。早くご飯食べちゃいな」
「そっちもちゃんと可愛くしろよ」
「私は何着ても可愛いの」
「はいはい。早く飯食いに行けよ。あと、今日はもっちウサコやめろよな」
「ふーんだ、すっごいやつ着けてやるんだから!」
おぉ、着けてくれるのか、すっごいやつ。
ちょっとどきっとしたのをごまかすようにイーッと歯を見せると、姉ちゃんも同じ顔を返してきた。そして、ほぼ同時にカーテンを閉める。
何だか力が抜けて、ぷっと吹き出すと、そのカーテンの向こうからも何やら似たような音が聞こえた気がして息をのんだ。たぶん向こうもそうなんだろう。
とりあえずは。
とりあえず俺はスタート地点に立ったらしい。
失恋して初めて気付くとは、鈍い野郎だ。
向こうの気配が消えたのを確認してから、そっと窓の外を見る。
姉ちゃんは窓を開けたままで行ったらしい。
白いレースのカーテンが風になびいていた。
「春すぎて 夏
俺の姉ちゃんは、俺の姉ちゃんではない。 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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