第3話 道標と道を進む者

「たぶん、他殺だと思います」


「その根拠は?」


「オレがもし、デロメラブレで自殺するのなら。赤ワインの中にわざわざ溶かしたりはしない。デロメラブレは、無味無臭の液体ですからね。物凄く不味い液体を飲むならまだしも」


「普通は、ゴクンと行くか?」


「そう言う事です。それに」


「ん?」


「薬の容器はもちろん、遺書の方もまだ見つかっていないんでしょう?」


 部屋の中が静かになった。


「あ、ああ。まだ見つかっていない。が、それがどうしたんだ?」


 ロードは、部屋の中を歩き出した。「分厚い遮光カーテン」と「奇妙な熊の置物」、それから「本が無造作に置かれた本棚」を睨みつけるように。

 

 彼は窓の鍵を確かめると、真面目な顔で警官の方に振り返った。


「簡単な事です。さっきの二つがもし、見つかっていたのなら。あなた達は、今回の事件をすぐ『自殺』として処理していた筈です。それなのに」


「俺達は、その処理をしなかった?」


 ロードは、彼の言葉にうなずいた。


「『自殺と認定できない』と言う事は、そうするのに『十分な証拠が揃っていない』と言う事。殺人の有無は、司法の世界でとても重要な判断です。その判断がもし、間違ってしまったら」


「司法の世界がエラい事になるな」


「ええ。世の新聞社は、その事を間違いなく糾弾するでしょう。『司法の世界に誤りがあった』と。情報の力は、強いですから。舐めて掛かると」


 部屋の空気が重くなった。


 ロードはその空気を無視して、目の前の警官に微笑んだ。


「オレの推理は、以上です。何か質問は、ありますか?」


 警官達は、互いの顔を見合った。


「い、いや、何も」


「君の推理で合っていると思う」


 ロードは、彼らの上司に頭を下げた。


「今回も事件現場を見せて頂き、ありがとうございます。ここで調べられる事は一応、調べきったので」


「クリス警部の所に行くのか?」


「はい。屋敷の応接間にいるらしいので」


 ロードは彼の前から歩き出し、警官はその背中を見つめた。


「坊主」


「はい?」


「頑張れよ」


「はい! ありがとうございます」


 ロードは部屋の外に出て、案内役の警官に頭を下げた。


「お待たせしました」


「現場の方は、もう良いんですか?」


「はい、現場の状況も分かりましたし。次は、『被疑者』の方を調べたいと思います」


「分かりました。それでは、応接間の方にご案内します」


「よろしくお願いします」


 ロードは案内役の警官に続いて、屋敷の廊下をまた歩き出した。



 ウォランは屋敷の廊下に溜め息をつくと、左手で自分の腹を押さえ(空腹にイライラしていた)、右手のモップを握りしめつつ、今朝の言葉を、「俺には、関係ない」の一言を思い出した。


「くっ! 何が『関係ない』だよ? 思い切り巻き込まれているじゃねぇか? 朝の黒パンも誤魔化されて……」


 彼はまた、屋敷の廊下を踏み付けようとした。だがそうしようとした瞬間、遠くの方から歩いてきた人物に「止めた方が良いよ」と止められてしまった。


「はあん?」


 ウォランは不満げな顔で、その人物に目をやった。


 自分と同い年くらいの、おそらくは十四歳くらいの少年。身長も、自分と同じくらいだろうか。体型の方も痩せ型で……服の質は自分よりも高かったが、それ以外は自分とほとんど変らなかった。瞳の色は、自分と同じダークブラウン。

 容姿の方は……屋敷のメイド達曰く、自分も「その部類」に入るらしい。所謂『美少年』だが、その表情には……何だろう? 優しい目の裏に、何処か憂いのようなモノが感じられた。


 ウォランは「その少年」をしばらく見ていたが、少年が「うん」と微笑むと、不機嫌な顔で彼の微笑みを睨みつけた。


 少年は、その威嚇に怯まなかった。


「イライラする気持ちは、何となく分かるけどさ。でもだからと言って、仕事場の物を踏み付けるのは、流石に不味いと思うよ?」


「くっ!」と苛立ちながら、少年の前に詰め寄るウォラン。「初対面の相手に偉そうに。俺が何を踏もうと勝手だろう? どうせ、俺の屋敷じゃねぇんだからさ。その廊下が傷つこうと」


「君!」


 警官は、彼の態度を怒った。


「労働者の身分で、その態度はないんじゃないか? 仮にも給料を貰っているんだし。雇い主への敬意も」


 ウォランは、彼の注意を嘲笑った。


「雇い主への敬意、か。ふん! そんなもん、あるわけねぇだろう? アイツらは、文字通りの悪魔だからな。テメェの財布が肥えれば、それでよし。労働者の事は、くっ! これっぽっちも考えていねぇよ」


 ウォランの顔が暗くなる。


 少年は、その表情を見逃さなかった。


「確かに、そう言う人もいるかも知れない。けど、その人達も人間だ。君や俺と同じように、大事な命を持っている。……君も、事件の事は知っているんだろう?」


「『俺の主人が死んだ』って? ふん! もちろん知っているさ。周りの奴らもあれだけ騒いでいたし。気づかないわけがねぇよ」


 フッと、笑うウォラン。


 少年は、その笑みに目を細めた。


「楽しそうだね?」


「楽しそう?」


「ああ、『人がひとり死んだ』って言うのに。胸をちっとも痛めていない」


 フッと、また笑うウォラン。


「痛めねぇのは、当然だろう? 俺にとってのアイツらは、ただの金蔓でしかないんだからさ。給料分の金が貰えれば十分、主人が死のうが生きようが、知った事じゃねぇんだよ」


 少年は、警官の「何て言い方だ、君!」を遮った。


「ねぇ?」


「なんだ?」


「君は今、『雇い主は金蔓だ』って言ったよね?」


「ああ、言ったよ。『それ』が何だ?」


「その雇い主から、君は十分な給料を貰っているの?」


 ウォランはその答えに戸惑ったが、少年はその反応を見逃さなかった。


「貰っていないんだね?」


「……貰っているよ」


「いや、絶対に貰っていない」


 少年は一歩、彼の前から離れた。


「今の反応を見る限りは、ね。君は、今の仕事に不満を抱いている。『ああもう、やっていられねぇ』と。クソみたいな給料で俺の事をこき使いやがって。今日も本当は、仕事が休みになる筈だったんだ。屋敷の主人も死んじまったし。でも、仕事は休みにならなかった。俺みたいな人間を仕切る人間……そう、執事のダグラスさんだっけ? その人が指示したんだろう? 『コレは我々の問題で、下働きおまえたちには関係ない。だからお前達は、いつも通りの仕事をして、屋敷の中を回していればいい』って?」

 

 を聞いて、ウォランの顔が青ざめた。


「テメェ、自分がまるで『見てきたような事』を言うな」


「そんな事は、ないよ。少し考えれば、誰にだって分かる事だからね。別に凄い事じゃない」


 ウォランは、彼の言葉にポカンとした。


「そ、そうか、別に」


「そう、別に。だから、そんなに驚かなくても良いよ?」


 少年は彼の顔をしばらく見ていたが、何かを思いついたように「そうだ」と笑い出した。


「ねぇ、君」


「ああん?」


「急なお願いで悪いんだけど……今日一日、オレの助手になってくれないかな? 屋敷の中とか良く分からない所があるし、案内役の助手ひとがいてくれると凄く助かるんだよね?」

 

 少年は一歩、彼の前に近づいた。


「ダメかな? もちろん、無報酬タダでとは言わないよ? 君の時間を縛るわけだし、相応のお金はきちんと払う。だから」

 

 ウォランは、彼の言葉に揺れ動いた。

 

 相応の金を払う?

 屋敷の中を案内するだけで?

 コイツは……。

 

 ウォランは誘いの答えをしばらく考えたが、案内役の警官が「案内役は、クリス警部に頼んだ方が」と言うと、真剣な顔で少年の目を見つめた。


「俺は! 俺は別に構わねぇけど……俺の一存じゃ」


「それはたぶん、大丈夫だと思うよ? 『捜査に協力するため』と言えば、ダグラスさんもきっと分かってくれる筈さ」


「そ、そうかな?」


「そうだよ」


 少年は、ウォランに握手を求めた。


 ウォランは戸惑いながらも、その握手に答えた。


「契約成立だ」


 少年は、ウォランの手を放した。


「掃除用具を片づけて」


「あ、ああ」


「それが終わったら、次は俺と屋敷の応接間に行ってもらう。そこで事件の関係者達に、執事のダグラスさんになると思うけど、助手の事を話すからさ」


「お、おう、分かった。ありがとう」


 ウォランは用具入れに向かって歩きだしたが、大理石の廊下を三歩ほど進んだところで、少年の方をサッと振りかえった。


「なあ?」


「ん?」


「テメェは一体、何者なんだよ? 今日の一日、自分の助手になって欲しいとかさ。そこの警官とも仲が良さそうだし、ただの客とは思えねぇ」


 少年は、彼の質問に「ニヤリ」とした。


「探偵だよ。叔母の下宿屋で事務所を開いている、しがない私立探偵さ」


「し、私立探偵!」


「君は?」


 ウォランは、彼の質問に言いよどんだ。


「俺は……ウォラン・レー」


「ウォラン、か。うん、善い名前だね。確か……『道を進む者』って意味だったかな?」


 少年は、正面のウォランに微笑んだ。


「オレの名前はロード、帝国の古い言葉で『道標どうひょう』って意味らしい」


道標どうひょう……」


 ウォランは用具入れの中にモップを戻すと、探偵と連れ立って屋敷の応接間に向かった。

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