最初の被害者

「だけど、現状、手がかりはゼロに等しいんだよね。秋槻聰明も空振りだったんだし……」

「そうでもないかもしれないぜ」

 萎れそうに唸るみづほへと、無明は切り出す。

「俺は、聰明の奴に『怪異が溢れ返る』と告げられ、初めてこの街にやって来たわけじゃない。元から俺にとっては都合のいい街だったんだ。やたらと怪異が生まれるからな。お前等だってそうなんだろう? 怪異の溢れる街だから、ここを根城にしてる訳だ」

「違うわよ」

「あれ?」

「単に、ここが生まれ故郷なだけよ。私にとっても……真知にとっても……」

 想い出かこを想起しているのか、美玖は静かに目を伏せた。狭められた睫毛が彼女の瞳に影を落とす。その表情は、どこか、憂いているようにも見える。嘆いているようにも見える。

「ひとつの街から『怪異の天敵』と『人間の天敵』が同時に生まれるなんてね、数奇な運命もあったもんだ。まあいいや。とにかく、この街では怪異が生まれやすいことだけは確かだ」

 そこで、と無明は指を立てる。

「怪異譚が生まれるためにはそれなりのきっかけが必要だ。有象無象の人間がちょっとやそっとばかし心を動かしたところで、心を揺さぶられたところで怪異は生まれない。それがホットスポットを形成するまでとなれば、都市伝説や口承文芸として語り継がれていなければおかしい。或いはこの街のように、全土がホットスポットに包括されるなんて事態になれば『歴史』として刻まれるはずなんだ。だけど、それさえもない。おかしいとは思わないか?」

 明らかに、怪異が絡んでいるだろ、と無明は結論付ける。

 見計らったように構図も似通う。根本たる理由も分からないまま怪異が発生し続ける街と、同時多発的に人々が怪異に見舞われる伝染。「理由なき怪異の発生」に焦点を絞れば、二つの事件は偶然とは思えない精度で一致を見る。繋がりを見いださない方が不自然とさえ言える。

 怪異の発生に理由がないなどあり得ない。「理由なき怪異の発生」にも理由はある。人間の摂理からどれだけ逸脱したところで、因果関係からだけは決して逃れられない。

 それが怪異だ。怪異という現象に定められた、絶対不変の原則だ。

「他人に怪異を植え付ける怪異の持ち主がこの街にやって来て、存在設定に従うまま、怪異を産み落としてきた。……そう考える方が妥当だと、俺は思う」

「でも、それだと説明が付かないわ。いくら怪異が生まれやすいとはいえ、五十人もの人間が一斉に怪異を発現するなんて事態はこれまでなかったもの」

「それこそ、俺等がいま助けようとしてる奴と同じ理由なんだろうさ」

 みづほのように誰かからの助けがなければ、怪異を発現した人間の辿る道は二通りしかない。すなわち、発現と同時に人間性を喪失して怪異そのものへと成り果てるか、辛うじて人間性を残したまま怪異と人間の綯い交ぜへと成り果てるか。遅いか早いかの違いだけで、どちらになったところで悲惨な終焉は避けられない。怪異を使わないこと、怪異に頼らないことができずにいれば、いつかは怪異そのものへと成り果てる。引き延ばすことはできても逃れられない。

 そうやって怪異へと堕ちれば、後はもう、存在設定に従うままに害悪を振り撒くだけの装置となる。善心も悪心もない。世界の均衡を破ろうなどという大それた願いもなく、ただ、人間性を残していたときには選ぶことができていた悪意の矛先を、制限なく振り回すだけとなる。

 世界を搔き乱す因子として消されることを待つだけなのだ。どれだけ悪意を迸らせたところで関係なく、そもそも、もはや抑え付けることなどできないのだから。

「――……怪異として完全に堕ちた。だから、規模は膨れ上がり、伝染が生じた?」

「その可能性も否定できないというだけだ。真に取られても、こっちが困る」

「いいえ。伝染が発生した瞬間から後を追っていた私達にとって、それは盲点だったわ」

「最初から『連続殺人』を疑うような奴は碌な探偵になれねえよ。アンタ等は間違っちゃいなかった。或いは麻痺してたんだよ、怪異が生まれるという異常が日常になってたんだ」

「否定はできないから、困ったものね」

 大仰に肩を竦め、美玖は携帯電話を取り出す。

「あの人ね?」

 みづほの訊ねに、美玖は頷く。筒井崕ゆり子。たとえその理由を解き明かしていないとしても、怪異譚の蒐集と縫合を司る彼女ならば、街で発生した怪異譚を網羅しているはずだ。

 数回の呼出音の後に応じたゆり子に、事情を説明する。初めは怪訝そうな様子だったが、そのように考えるに至った理由を聞かせれば、彼女はあっさりと肯定を示した。

『……あり得ないことではありませんわね。それでわたくしの出番というわけですか』

「そうよ」

『とはいえ、わたくしが蒐集しただけでも二千を越えますわよ? ひとつひとつを精査などしていれば、その、和宮さんが手遅れになるのでは?』

「言葉を選ぶ必要はないし、その心配もいらないわ。この仮定が正しいとすれば、この街で最も初めに生じた怪異譚、その背後に伝染の黒幕が潜んでいるはずだから」

『…………なるほど』

「どこでいつ発生したか、どういった怪異譚が生まれたのか。あとは……望みは薄いけれど、その人が今も人間性を保っているのか。それさえ分かれば、詳細は私達で調べるから」

 電話口の向こうで逡巡する様子がした。告げるべきかどうか迷うような、これで本当に正解なのかと躊躇うような沈黙。どうにも話ができすぎていると、呟く声が漏れ聞こえた。

「ゆり子?」

 怪訝な呼びかけに揺さぶられたように喉を鳴らし、ゆり子は意表の言葉を放つ。

『あなたです』

 その声音に揺らぎはなく、嘘を吐くような必要もなく、彼女は凛然と事実のみを告げる。

『髙田美玖――……あなたが、この街で初めに生じた怪異です』

 その仮説に則れば、伝染を追いかける美玖こそが最初の被害者だと、ゆり子は言った。



 それは、少女が僅か十歳の頃の話だ。誤りから父親を殺してしまった少女は、罪の意識から逃れるため、呵責の念を忘れるために父親を生き返らせたいと願い、怪異を産み落とした。頼れる誰かはどこにもおらず、大好きだった父を亡くした少女には、怪異に願うしかなかった。

『どうか、私が殺してしまったお父さんを生き返らせて――……』

 そうして等価交換は発現した。何かを得るためには対価が必要だと怪異から諭され、等価交換の弱体化と自分の成長を差し出した。結果として父親は生き返り、幸福な日々が戻って来ると期待した少女の背に、怪異は重く圧し掛かる。その幸福は許されないと言うかのように。

「私はお父さんの元から去ったわ。だけど……どうしてだろう……」

 戸惑い気味に言葉を濁らせ、彼女は長年溜め込んできたのだろう疑惑に触れる。

「憶えていないのよ。どうして私がお父さんと別れなければいけなかったのか」

「憶えていない?」

「靄がかかる感覚……の方が適当かな。お父さんのことを思い出そうとしたり、お父さんを生き返らせた一連の日々のことを考えようとしたりすると、もやーって思考が鈍るの。いろんな映像は浮かんでくるんだけど、どれも大事なところが見えないというか、そもそも、私ね、あんなに大好きだったはずのお父さんの顔さえも憶えていないの」

 或いはそれが、怪異による怪異の発生の障害なのかもしれない。事実だけは拭うことなく刻まれ、怪異の発現に関わった記憶だけは埒外とされる。当然のことといえば、その通り。怪異とは意志を持った感情だ。感情を誰かに操られたのだとすれば、記憶は失われて然るべきだ。

「本人が憶えていないなら、厄介だな」

 お手上げだと言うかのように無明は腕を組んだ。微妙な沈黙に堪えられず、けれど活路を見いだせるわけでもなく、みづほも同じように腕を組み、カウンターへと突っ伏した。ちらりとカウンターの向こうを覗き見る。珈琲の香りとともに、そこにいることが当たり前になっていた青年はいない。美玖と肩を並べ、彼女とともに生きる青年は、彼女を守るために姿を消した。けれど、皮肉なことに、思考螺旋があればどうにかなったかもしれない方向へと駒は進む。

(何してんのよ、真知)

 記憶を覗く怪異、おあつらえ向きの怪異の持ち主は何処にいるか知れない。

(あなたと美玖は、二人でいてこそでしょうに)

 真知のことを思い、彼が美玖に向ける眼差しのことを思い、彼との出会いを思い出す。

 不良少女と呼びかけられた。あたかも怪異を発現する未来を読んでいたかのようにCELIAへと招待され、そこで彼女は、怪異のことを教えられた。和宮真知から、怪異のことを――

 みづほは顔を上げる。そうだ、あの本。真知が綴ったというあの物語。

 本の中には、美玖が登場していた。

(これは……ただの偶然?)

 疑いながらも動き出した体は止められない。本棚へと駆け寄り、最上段の右端、隠されるようにしまわれた本を引き抜く。その題目タイトルは『世奇恋語』、怪異に翻弄される人々の恋の模様を綴った真知の著作。ページを繰り、美玖の話を開き、目を走らせる。

「……みづほ?」

 もはや美玖をモデルとしただけとは思えなかった。そもそも彼は言っていたじゃないか。

 まだ物語は動いていないから書けないんだけど。

 実在する誰かをモデルにして想像したわけではなく、この物語は事実と虚構の中間体ファクションなのではなく、事実そのものだとしたら。真知は美玖の真実を綴ったのだとすれば。

「突飛な話かもしれないけど、聞いてくれる?」

 該当するページを開き、本を差し出す。

「…………真知の本よね?」

「読んだことは?」

「ないわ。苦手なのよ、活字って」

「それなら、この中に美玖が出てくることも知らない?」

「私が?」

「うん。美玖をモデルにしてるとしか思えない人物が登場するの」

 訝しむように本を受け取り、そこに綴られている物語へと目を落とす。興味深そうに、美玖の背中越しに無明も本を覗き込む。その物語が何によっているのか、確かめるために。

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イザナイガタリ 亜峰ヒロ @amine_novel_pr

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