n人目の恋人

PURIN

n人目の恋人

「……もういいよ。お前なんて、もういい」


 とある日の昼食時のこと。パスタの塩加減をどうすべきかという口論の末、恋人が家を飛び出した。

 直後、地面が大きく揺れたと錯覚するほどの爆音がした。


 何事かとベランダから見下ろす。見覚えのある、というか、つい先程までこの部屋にいた人の背中が、地面に横たわっていた。通行人達が、見向きもせずそのそばを素通りしていく。


 悲鳴を上げ、部屋を飛び出す。エレベーターを待つ時間も惜しく、階段を全力ダッシュで駆け下りた。8階分もの距離はきつかったし、日頃の運動不足がたたって息が切れたけれど、どうにかこうにか見慣れた背中の元までたどり着けた。


 しゃがみこんで、じいっと見つめてみる。

 茶色く染められた髪の毛、よく日焼けした肌。

 ファストファッションの白いTシャツ、何年も前から履き続けてボロくなりだしたジーンズ、地べたに投げ出された、私の部屋の合鍵。

 それらをじわじわと染め上げ、広がっていく赤い水たまり。


 間違いない。恋人だ。


 違う。そんなつもりじゃなかった。ただパスタはもう少し塩を入れた方がいいと思ったから意見したんだ。いなくなってほしかったからじゃない、美味しいものを食べてほしかっただけなんだ。

 嫌だよ。こんなことでお別れなんて……

 呆然と顔を覆った。




「こんな感じでいいかな?」

 肩を叩かれ、振り向いた先には中腰で笑顔の恋人がいた。

「うん、良かった!」

 立ち上がり、私も笑顔で恋人に抱きついた。




 技術が進歩し、人間は誰もが自分のクローンを無限に持てるようになった。

 各地域にクローンを作っている工場があり、誰かが死んだら瞬時にクローンが作成される。本人の記憶も能力も、全てが引き継がれた、本人同然のクローン。以前の本人の死体は、巡回の専門の業者が片付けてくれるので心配いらない。

 これで、人類は死によって大切な人と永遠に分かたれることは無くなった。




 だから、こんな「遊び」もできる。


「どうだった? 『くだらない喧嘩が最後の会話になった悲劇のカップルごっこ』は?」

「最っ高! やっぱマンネリ打開のためには定期的に刺激的な展開をやるのが一番だよ!」

 



 笑い合うカップルの後ろには、二度と起き上がることも思考することもないただの肉塊が転がっていた。

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n人目の恋人 PURIN @PURIN1125

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