第6話 建築家の約束
レンナンとティは炊事場の奥の食料庫に閉じ込められた。次の日、アメヌイは二日ぶりに石切り場で仕事をこなし、家へ戻るとティはいなくなっていた。レンナンはまだ食料庫に閉じこめられていた。
「レンナンにどんな罰を与えるつもりですか」
翌朝、食事の席でアメヌイはなんてことなさそうに父にたずねた。
「あれも反抗的な奴隷だ」
アメヌイの父は不機嫌に鼻を鳴らしながらパンをちぎって口に入れた。
「だが、新しい奴隷を買いかえる余裕もない。ムチ打ちくらいが妥当だろう」
「女の奴隷を買ったらいかがです? 子どもを産ませてしまえば少しは役に立ったことになりますわ」
普段は口数の少ないアメヌイの母が言った。
「そのあとで人柱にでもやってしまえばいい。そうすればこの家も楽になります」
父は重くうなずいた。
「それも、十六になるまで待たねばならんがな。まったく、テリ人と同じ齢まで結婚を待たねばならんとは腹立たしい」
「でも、猶予があると思えば楽ですわ。女の奴隷を買うお金を貯めなくてはなりませんもの」
「いっそのこと、エイラと婚約させたらどうだ。あれもまだ子が産めるだろう」
アメヌイの母は少し考えてから、いいかもしれませんね、とうなずいた。
「どうせレンナンも里子ですもの。そうしましょうか」
アメヌイは黙って食事を続けた。父と母はやがて席を立ち、それぞれの職場へ向かった。ティの話題が出ることはなかった。
アメヌイが席を立つと、エイラが食卓を片づけようと近づいた。アメヌイは首をふった。
「自分でやる」
「でも、ぼっちゃま……」
「エイラ」
アメヌイは奴隷女を真正面から見すえた。エイラは小首をかしげて、アメヌイを見返している。
先ほどの会話は、すべて聞こえていたはずだ。なのになんの動揺も見えない。息子同然に育てたレンナンと結婚させられると聞いても、彼女は顔色を変えない。
きっと、慣れてしまったのだ。人間扱いされないことに。人間扱いされないときでも、感情をおもてに出さないことに。
「……いや、なんでもない。ひとりにしてくれ」
エイラはかすかに笑ってアメヌイの頭をなでたが、すぐに手を引っ込めた。彼女は父と母の食器を下げ、水をくみに裏庭へ行った。
アメヌイは自分の食べた食器を運んだ。炊事場の水桶に皿を置き、そっと食料庫へ近づく。かんぬきを外して中に入り、せまい倉庫を見渡した。
戸棚のすみでレンナンがしゃがみこんでいた。ひざのあいだに頭をはさんでじっとしている。両手はくたりと地面に放り出されたまま。もうずっと、この体勢のまま動いていないのだろう。
アメヌイはそっとレンナンの前にしゃがみこみ、その金色の髪を見つめた。ケルティス人の、奴隷の色。アメヌイの黒髪とはちがった、細くてくせのある髪。
「レンナン」
アメヌイは言った。反応はない。
「王都では今ごろ、儀式が行われているよ。……おまえは運が良かった。ティのかわりに、おまえが人柱になる可能性もあった」
「そうなればよかった」
かすれた声がした。アメヌイはしばらく黙ったあと、首をふった。
「おまえには罪がない」
「ティにだってなかった!」
レンナンはがばっと顔をあげた。アメヌイは緑色の瞳から目をそらした。
「……仕方なかったんだ。誰が悪かったわけじゃない。ただ、責任は誰かが負わなきゃいけない。おれたちはティにその肩代わりを頼んだ」
レンナンは首をふった。か細い声がもれる。
「ちがう。ティにはそんな必要なかった。あの子は、人とはちがう」
「……知ってる」
「ちがう、おまえはわかってない。ティは祝福されてたんだ。精霊に祝福されてた。巫女様は……」
「いい加減にしろ」
アメヌイはおさえきれないように声を出した。地面の上で握った手が、土ぼこりをつかむ。
「ティが人とちがう? 当り前だ、そんなの。みんなちがうんだ。この世の誰もが人とちがう! なのになんでどいつもこいつも、ティはバカだとか、祝福されてるだなんて言って特別扱いする? ティもおれもおまえも、みんなひとりの人間だ。なんにもおかしなことじゃない、それが普通なんだ。神も巫女も関係ない。ティは人間だったんだ!」
アメヌイの目から、ぼたたっとしずくがしたたった。レンナンがぼう然とアメヌイを見つめる。
「なのに……おまえは……」
アメヌイは目をあげ、レンナンの瞳を見すえた。顔がほてり、心臓がわめく。それまで、アメヌイは決してしなかったことをした。――レンナンに手を伸ばし、抱きついたのだ。
レンナンははっとして、それから弱々しい手つきでアメヌイの背中に手を回した。優しく、そして、しっかりと。
頭の中が、熱を持ったようだった。
アメヌイはおえつをもらしながら、ささやくように言った。
「……おれも、人間なんだ……そうだよな?」
「……そうだよ」
レンナンの声はいつになく落ち着いていた。それから、アメヌイをいっそう強く抱きしめて、「そうだよ」とまた言った。アメヌイは顔をくしゃくしゃにゆがめ、涙をこぼした。レンナンのおえつが伝わって、余計に涙が出てきた。
ふたりは食料庫のすみで、抱き合ったまま泣いた。ティのために、一生分の涙を使って泣いた。
「……ずっと考えていた」
アメヌイはかすれた声を出した。
「ティが家の恥なら……おれも」
「おまえは恥じゃない」
「気休めはよしてくれ」
「気休めじゃない」
泣いていたにもかかわらず、レンナンの声は力強かった。
はあっと、震えるように息を吐きだす。ささくれだった心が、溶けていく。
「それと、ティも恥じゃない」
アメヌイは乾いた声で笑った。レンナンをもう一度強く抱きしめ、「すまない」と言って、意志の力で離れた。
レンナンは目をしばたき、ふっと笑った。
「おまえがおれの目をまともに見ないの、なんでかなって思ってた。うん。解決した」
アメヌイは顔を赤らめて目をそらした。レンナンはひざを抱えて笑っている。
「……平気なのか」
「なんで?」
「なんでって……」
言葉をにごすと、レンナンは笑って首をかしげた。
「ああ、でも、そうだな。次はサンザシを持ってこい」
「誰が」
レンナンの肩をはたくと、彼はからからと、いつものように笑った。
「ほら、行けよ。遅刻するぞ」
アメヌイは顔をぬぐい、立ち上がった。扉を開けてから足を止め、言った。
「おれ、建築家になるよ」
「うん」
「この国で一番高名な建築家になってみせる。王に直接進言できるような」
「おまえなら、できるような気がするよ」
アメヌイはレンナンを見おろした。今度は目をそらさなかった。
「おまえを人柱にはさせない」
「おれはかまわないよ。ティのそばに行けるなら」
「やめてくれ」
アメヌイの手は、扉にかけられたまま震えていた。それに気づいたのか、レンナンは急いで言った。
「ごめん」
「……次の収穫祭」
「え?」
アメヌイはくちびるをなめた。
「次の収穫祭は、おれも行く」
レンナンはぼうっとした顔でアメヌイを見あげていた。アメヌイは眉をよせた。
「迷惑かな?」
「たぶん、誰も気にしない。うん。来いよ、ティは毎年来てた」
レンナンは笑った。アメヌイも、ほっとして息を吐きだし、笑いかけた。そして今度こそ扉を閉め、元のとおりにかんぬきをかけた。
父が、奴隷にムチを打てるように。
間違いだらけの世界 みりあむ @Miryam
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