この作品にはあちこちに色んな価値観が散りばめられてある。
既存の価値観に疑問を持つことは孤独と危険を伴う。
それなら考えるのをやめればいい。
そうすれば安全でいられる。
ただ盲目に受け入れていればいい。
そしたら苦しまずに済む。
ほかと違う存在に対して名前をつけるのは容易い。
それは誰のためか。
本人のためではない。
自分たちが安心するためだ。
忌み嫌おうが綺麗な言葉で崇めようが、
特別扱いには違いない。
既存の価値観に染まるのは楽だ。思考を停止させるほど楽なことはない。
でもそこに拭えない違和感はないか。
違和感から目をそらして視線を合わせないようにしてはいないか。
疑問を持つという危険と、疑問を持たないという危険。
どちらが本当に危ういのだろうか。
様々な価値観の渦巻く世界で、自分で考えることを求められる作品。
アメヌイには妹がいる。
言葉を話せない、うまく理解ができない。能力を発揮できない。
それでも、奴隷のレンナンは言う。
「彼女は祝福されている」
奴隷という価値観が当たり前に備わっている世界では、奴隷という身分にすら声を上げるものはほとんどいない。
それは世界が間違っているからか?
正しいとかじゃなくて、ただそのようなルールがあるだけだ。
神が普遍的な世界で、神を信じない者がいるとすれば、それは敵であり異端者で変人で笑いものだ。
愛を育める対象も普遍的な価値観であれば、当然――
この物語を読んで、「間違っている!」と声を上げたのだとしたら、そう思っているのは、きっと読まれたあなた方なんだろう。