第5話 平原区の端
王は建築家の申し立てを聞き入れ、石職人を人柱に立てる命令を取り消した。石職人たちが驚くべき速さで代わりの石を用意したことに感銘を受けたらしい。
職人の谷では安堵の空気が流れ、新たに別の人柱を立てることが決まっても、これくらいですんでよかったと仲間内で笑いあった。
新しい人柱は、石職人が提供するよう王都から通達された。だがこれはいつもどおり、奴隷を人柱に立てればすむ。あるいは、罪人を。
アメヌイの父はエドフの父に賠償金を払う代わりに、石職人たちが負うべき人柱でおぎなった。本来ならば、それは奴隷の提供を意味する。しかし、アメヌイの父が用意したのはティだった。
赤ん坊を井戸に落とした罪人。父親が娘を王にささげる理由としては充分だった。
それが決まった日、レンナンとティが消えた。
アメヌイの父は家族だけでふたりを探し回った。アメヌイもその日は石切り場へ行かず、テリ人が踏み込んではいけない森のぎりぎりまで、ふたりを探した。
ふたたび夜が更けていく。震えるこぶしを握りながら家に戻ると、エドフが手明かりをわきに置いてアメヌイの家の前に座りこんでいた。アメヌイに気がつくと、エドフは立ち上がった。
「誰もいないから、一家で逃げだしたかと思ったぞ」
エドフは抑揚のない声で言った。アメヌイは疲れていた。
「逃げずにすむよう、走り回っていた」
「ティを逃がしたのか?」
アメヌイは扉の前に立ち、自分より背の高いエドフをにらんだ。それから自分の手明かりを消す。エドフも明かりを持っているのだから、油は節約したい。
「うちの奴隷がな。首輪をしているから逃げることはできない。いずれ見つかる」
「その奴隷にも罰を与えるんだろうな?」
エドフは相変わらず感情のない声で言った。怒っているのか、冷静なのか、それすらもよくわからない。
アメヌイは肩をすくめた。エドフの手が伸び、アメヌイの上着をつかむ。
「ターグはやっと生まれた子だった」
アメヌイはエドフの目を真正面から見つめた。その目は涙で光っていた。
「うちの奴隷がやっと生んだ。おまえの妹が殺したんだ。そして、おまえの奴隷は人殺しをかくまってる。許されると思ってるのか?」
「おれがかくまったわけじゃない」
「同じだ。奴隷の罪は主人が償うべきだ」
「そんな法はないはずだ」
「ああ、ない。だから奴隷に罪をかぶせられるってわけだ。おまえらみたいに」
アメヌイはほうけた顔でエドフを見つめた。エドフは、アメヌイの家族がティを守るためにレンナンを使ったとでもいうのだろうか。
本当にそうだとしたら、どんなに良かっただろう。
「心配するな。ティは必ず見つけ出す」
エドフは舌打ちした。
「そうやって、何ひとつ自分には関係ありませんって顔して生きていくつもりか」
「顔にケチをつけられても困る。自分じゃ見えないから直しようがない」
「わかってたはずだぞ」
エドフは歯ぎしりしながら言った。
「いつかこうなると、わかってたはずだ。おまえの妹は人間じゃない。さっさと始末するべきだったんだ」
アメヌイはエドフの手を乱暴に押しやって、服を払い、冷たく言った。
「安心しろ。父はきちっとティをおまえの家にさし出す。そういう人だ」
「ああ、あの人はそうだ。でも、おまえだったらどうだ?」
アメヌイはふいと目をそむけた。家に入ろうとして、ふり返り、エドフをにらむ。
「おまえはおれの家とつながっていたことを感謝したほうがいい。でなけりゃおまえの家に火をつけていた」
アメヌイは、エドフが何か言う前に扉を閉ざし、錠をおろした。
次の朝、アメヌイの父は息子に鍛冶場へ顔を出せと命じた。アメヌイの父と母、それからエイラはふたたびティを探しに家を出たが、アメヌイは鍛冶場で待つことになった。レンナンの首輪には、アメヌイの父の名と、捕獲した場合、この鍛冶場で引き渡しをする旨が書かれている。
鍛冶場の職人たちは久しぶりに会うアメヌイに茶を出したきり、無言で鉄を打ちはじめた。はたはたと音がして、日が照っているのに雨がふりはじめた。鍛冶場には空気がよどまないよう、ほとんど壁が取り払われており、まぶしいくらいに陽光が差す。石畳の上に水滴が落ち、砂ぼこりが舞って地表が白くけぶった。
アメヌイは鉄を打つ音を聞きながら、地面がぬれそぼるのを見つめていた。やがて空が暗くなり、通行人が小走りに行き過ぎた。
いくら待っても、レンナンとティを引きずってくる人間はいなかった。アメヌイは茶を飲み終えると、空いている炉に近づき、火をおこして熱がたまるのを待った。
ふいごで空気を送り、火の中に鉄を入れ、赤く光るのを待つ。その色を確認すると、アメヌイは火箸で鉄をはさんで石の上に乗せ、槌をふりおろした。
他の職人たちは何も言わなかった。アメヌイは打った。鉄を叩き、すぐにまた火に入れ、またとりだして鉄を打つ。ずいぶん久しぶりであったのに、昨日まで同じ作業を続けていたような気がした。
やがて完成した鉄を水の中に落とすと、湯煙が立ちあがった。気がつくと、鍛冶職人の長がそばに来て、アメヌイを見おろしていた。
「どれ、見せてみろ」
アメヌイは冷えた鉄を石の上に乗せた。他の職人も、二人三人、のぞきに来た。ほお、と感嘆のため息が上がる。長はアメヌイの鍛えた短剣を持ち上げて、うむ、とうなずいた。
「石工の連中から聞いた。おまえ、あっちでもだいぶ買われとるらしいな」
「さあ、知りません。押し付けられた仕事をこなしているだけだから」
職人たちが顔を見合わせる。長はまだ柄のない短剣を返してよこした。アメヌイはそれを受け取り、しげしげと眺めた。
まだだ。まだ、こんなものではない。もっといいものを作れるはずだ。いつか、最高のものを。
「できるやつはなんでも器用にこなす」
長がつぶやくように言った。アメヌイは顔を上げ、その黒い瞳を見つめた。
「おまえはきっと、いい建築家になるだろうよ」
「おれは……鍛冶がやりたい」
アメヌイはつぶやいた。長はその肩に手を置いて、ため息をついた。
「この柄も、自分で作ってみろ。きちっと握りやすい柄をな。それができたら鞘だ。完成したら、見せに来てくれ。茶ならいつでも出す。たまに鉄を叩いてもいい」
「おれは……」
「ティをさがしてこい、アメヌイ。ここに奴隷が来たら、すぐに知らせを出す」
アメヌイは傷ついた目で長を見つめた。しかし、それも一瞬だった。アメヌイは口をぐっと結ぶと、柄のない短剣を腹帯にしっかりはさみこみ、鍛冶場を出た。雨の中を走りながら、職人たちがまた自分の仕事に戻っていくのを背中で感じた。
平原区を取り囲むように広がる山。それをおおいつくす木々が、深い森を形成している。
特に東の森は、ケルティス人にとって神聖な場所だった。人の手が入らない、精霊と神々の住みか。はるか昔、この島国がまだケルティス人だけのものであったときに、巫女や魔術師が祈りをささげた場所。
テリ人が入ることを許されない森を前に、アメヌイは立ち止まった。
ハンノキ、エニシダ、ブナ、マツ、ポプラ、それらにからまるキヅタ。様々な木が入り乱れ、下草が膝の高さまではびこっている。
雨は弱まっていたが、木々の葉からしずくがしたたり、幹の表面を水が伝った。しめった土のにおいが森全体をおおっている。あたりには死のような静寂が広がっていた。アメヌイの目の前には、ケルティス人がつむいだ赤い糸が木から木へと渡されて、この先が神聖な禁足地であることを示していた。
糸を切るはたやすいことだ。アメヌイは神を信じていないのだから。ケルティスの神々も、テリ人の神々も、恐れてはいない。
それでも、アメヌイは足を踏み入れるのをためらった。
奴隷の身分を強いられたケルティス人が、唯一許された自由の地。それを、アメヌイが侵害していいものか。たとえその理由が、妹を探すためだとしても。いや、正確には、妹を――殺すためだとしても。
「ぼっちゃま」
女の声がした。びくっと顔を上げると、エイラだった。人がひとり、横たわることができるほどの距離で、かすかにほほえみを浮かべて立っている。
アメヌイは胸に手を当て、息を吐いた。
いつからそこにいたのだろう。森は広かった。ここで出会うとは思っていなかった。それでなくとも、道なき道を歩いたつもりであったのに。
「この先は、いけません」
そばかすだらけの顔にほんのりと硬い表情を浮かべて、彼女は言った。アメヌイは木々の向こうを透かし見た。
「レンナンはこの奥へ行ったのかもしれない」
いや、絶対にそうだ。この奥へ逃げ込んでしまえば、ケルティス人は自由になれる。テリ人から、奴隷の身分から、解放される。
「ケルティス人が逃げ出してみんな森へ入ってしまえば、テリの王はこの森を燃やすでしょう」
エイラはゆるやかに言った。
「だからこそ、私たちは決してここへ逃げ込んだりはしない」
「何故そう言える?」
アメヌイには不思議だった。理屈ではそうだとしても、はたして国中のケルティス人が同じ考えを抱くだろうか? ひとりくらい、ずるをしようとは思わないのだろうか? そのひとりが二人三人と増えていけば、あっという間にずるをする人間で埋め尽くされる。
人とは、そんなものではないのか。
「森には、巫女様がおいでですから」
エイラは言った。
「私たちケルティス人は、巫女様を何よりもお慕いしています。レンナンも……やがて、さとされて戻るでしょう」
「伝説だろう、その巫女ってのは」
アメヌイはいらいらしながら言った。これだから、ケルティス人はバカにされるのだ、と思った。
「そんなものいない。かつてはいたとしても、とっくに死に絶えた」
「いないかどうかは、誰にも証明できません」
奇妙なほほ笑みを浮かべ、エイラが一歩近づく。アメヌイは首をふった。
「レンナンを連れ戻さないと。もしも人柱の儀式までにティを見つけ出せなかったら、もう言い訳がきかない。反抗的な奴隷がどうなるか、知っているだろう」
「ええ」
エイラはこくりとうなずいた。
「それでも、その先へ行ってはいけません。あなたがその糸を超えたら、私はあなたを死なせなければならない」
アメヌイは目を見開いてエイラを見た。そして……何かがおかしいことに気がついた。
ちがう。これはエイラではない。
何故エイラだと思ったのか。背は高く、そばかすもない。ケルティス人だが、まったく知らない女だった。白い、ゆったりとした服を着て、青銅の首輪もしていない。
「おまえは……」
「あなたは何も見ていない」
その、奴隷ではないケルティス人は、ほほ笑みながら言った。
「ですから、戻りなさい。レンナンは今夜、きっと戻ります」
女はアメヌイの手を取り、向きを変えさせてその背を押した。アメヌイは動かなかった。
「……ティは、祝福されてると、本当に思うか?」
女は黙りこみ、ふり返ったアメヌイの目をしっかりと見すえた。
「ケルティス人はそう言う。ケルティス人はティに優しい。精霊たちに祝福されてるって。テリ人は逆だ。ティは呪われてしまったのだと言う。何もできない、哀れな子だと。だから……だから、人柱に立てるのは、むしろいいことだと信じている。なんの根拠もなく、あの子の魂を解放するためだと……」
「あなたはどちらを信じますか」
アメヌイは口ごもった。女はほほ笑み、アメヌイの頬にそっと手を当てた。
「ケルティス人は来世を信じます。きっと、あなたの妹も」
「おれは……」
アメヌイはこぶしを握った。
「おれは、何も信じられない。ティが生まれ変わったとしても、おれはきっと、生まれ変わらない。だから」
自分でも、何を言っているのかわからなくなっていた。考えがまとまらない。女がじっと、その先を待ってくれていた。
「だから、ティとは……二度と会えない」
「それが正しい姿です」
女は言い切った。アメヌイはぽかんとして、それから少し笑った。
「ケルティスの巫女さまが、そんなことを言っていいのか」
女はくすりと笑った。空と同じ、青い目。アメヌイは自分でもわからぬうちに、言った。
「おれはハシバミなんだ」
女は目をしばたたき、にっこり笑った。
「いい木ね」
それから、巫女は森の奥へと歩き去った。
その夜、レンナンはティを連れて、アメヌイの家に戻った。
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