第4話 いもうと
翌朝、アメヌイが家を出ると、たまたまエドフとかち合った。向こうはきまり悪そうな顔をして「おう」と言ったけれど、アメヌイは無視をしてさっさと歩きはじめる。エドフは前を歩くアメヌイの帽子をはたいて落とした。
アメヌイは自分よりも背の高いエドフをぎろりとにらみつけ、黙って帽子を拾いあげた。砂まみれの帽子を、そのままかぶる。すぐにはたき落されるので、アメヌイはエドフに帽子を落とされてもほこりをはらわなくなっていた。
「鍛冶屋が、職業体験のつもりか?」
エドフはアメヌイにかがみこみ、どすの利いた声で言った。
「やる気がないやつはさっさとやめちまえ」
「おかしいな。おれはおまえより、毎晩遅くまで石を刻んでいるつもりなのに。やる気がないように見えたか?」
「おまえが石切り場に愛のないことはみんな知ってる!」
アメヌイは思わず笑った。
「何がおかしい」
「仕事には愛を持っていないといけないのか」
「おれたちはテリ人だ。奴隷とはちがう。仕事がいやなら、やめりゃあいいんだ」
「たしかに、そうかもな」
アメヌイは認め、ふいと視線をそらして歩きはじめた。エドフが怒鳴る。
「こっちゃ話が終わってねえよ!」
「おまえは石切り場が好きなんだろ?」
アメヌイは歩調を変えずに言った。
「なら、さっさと行こう」
石切り場はいつもより騒然としていた。エドフが仲間を見つけて何事かと尋ねる。
「崩壊だ! 王都広場で基礎の上に石をのせたら、崩れて三人死んだ。今、新しい石を切りだしてる。でかいのが四つ、急ぎで必要らしい」
「死んだって、建築家か?」
「いや、三人とも奴隷だ。そこは良かったんだが」
エドフの仲間は不安げな顔をした。
「王がかんかんだ。まあ、当たり前だが、基礎の段階で崩壊騒ぎなんて、縁起が悪すぎるからな。石職人で人柱を立てろって息巻いているらしい」
聞いているアメヌイにも、ほどなくその緊張が理解できた。それまでは、石の四つや五つ、すぐにでも切りだせばいいだろうくらいにかまえていたのだ。
人柱。
それは建築を行う際の儀式だった。基礎に据える土の上で、神々にささげる生け贄。だいたいは奴隷がその役割につく。あとは、死を願う者や、病の者、同性愛者や不貞に及んだ者、罪をおかした者。
「なるほどな。崩壊させた石職人に罪があるってわけか」
アメヌイがつぶやくように言った。エドフが怒りの形相でアメヌイをふり返る。
「そんなわけがあるかっ! もともとの生け贄が足らなかったんだ。だから大地の神が怒った。責任は儀式を執り行った神官にある!」
「ああ、そうだ。今まさに、建築家たちが王にそう申し立てをしてる」
エドフの仲間がうなずく。アメヌイは不審げに眉をひそめた。
「本気で言ってるのか?」
「それ以外に考えられるか? 親方たちは最高の仕事をしてる。おまえの腐った心には何も見えていないようだがな」
エドフは息巻いて、ずんずん歩いて石を切りだす現場に急いだ。アメヌイはしばらくぼうっとそこにつっ立っていたが、他の石工に怒鳴りつけられた。
「手があいてるならさっさと動け、鍛冶屋!」
思い出すかぎりでは、それがはじめての、大人に言われたいやみだった。
アメヌイは「はっ」と笑い、作業に加わるために小走りになった。
その日一日かけて、基礎に必要な石が三つ運び出され、四つめは明日にでも運び出せる手筈が整った。王都から派遣された書記官は想定よりも迅速な対応に舌を巻き、石職人の底力を見たと感激していた。
アメヌイは暗い道を、集団で帰る職人たちとともに歩いた。誰かと帰るのは久しぶりだった。いつもなら小さな手明かりをひとつぶら下げて帰るものを、十人ほどの職人たちとともに、二つ三つの明かりを頼りに歩いていく。
アメヌイは自然とエドフのとなりを歩いた。余裕がなくなると、人は団結していっとき仲間意識が生まれる。今日はまさにそんな日だった。ふたりは今日の仕事の出来ばえに満足して、笑いあいさえした。
何かがおかしいことに気がついたのは、アメヌイとエドフの住む長屋が視界に入ってからだった。
固まって歩く職人たちはひとりふたりと家に着き、アメヌイとエドフの家が見えてきたころには半分になっていた。石造りの苔むした長屋からかがり火が出入りし、うろうろとさまよっている。家の者が何か探しているようだ。
アメヌイは走り出した。そのうしろからエドフが続く。火を持ったひとりは、レンナンだった。
「どうしたんだ、こんな夜更けに」
走り寄るアメヌイに気づくと、レンナンは泣きそうな目を向けた。その瞳に思わずたじろぎそうになるのを、ぐっとこらえる。
「何があった?」
「ティがいない」
レンナンがかすれた声で言った。エドフが追いつき、レンナンと目が合うと、さらに付け加えた。
「ターグも」
エドフが眉をひそめる。ターグは、エドフの家のケルティス人だった。去年生まれたばかりの男の子で、まだ支えなしには歩けない。
ティはレンナンが世話をしていたので、奴隷たちと過ごす時間が多い。ターグともしょっちゅう遊んでいた。言葉のないふたりには、お互いがいい遊び相手のように見えた。
「いつから」
「さっき、ティが寝台にいないのに気がついたんだ。いつもどおり、夕餉を食べて公衆浴場に行って、大人しく寝てくれたと思ったのに……二軒隣に聞きに行ったら、ターグもいないって言われて……」
レンナンは動揺していた。無理もない。月が出ているとはいえ、夜の暗さは職人の谷を闇に染めていた。少し歩けば森が広がり、踏み込んでしまえば自分の手を見ることもままならない暗さになる。
ティは闇を怖がらない。アメヌイはくちびるをかんだ。
夜、裏口から出て井戸の水をくむレンナンを、ティは平気で追いかける。公衆浴場へ行くときも、きちんと手をつないでいないといけない。
それに、ターグ。ティはターグを抱きかかえるのが好きだ。人形のつもりで抱っこしたまま、にこにこと走り回ってしまう。普段はティがまともにターグを抱っこさせてもらえなかった。すきを見て、ティはターグを触りたがった。
「はやく見つけないと」
エドフは職人たちに頼んで、ふたりの捜索を手伝ってもらった。職人の谷は、そうでなくとも子どもにとって危険が多い。何かを作るための道具は、使い方を誤れば簡単に人を殺める。
アメヌイは手明かりに火をつけ、ティの行きそうなところをまわる。だが、確信が持てない。ティを一番よく知っているのはレンナンだ。レンナンがティの名前を呼ばわりながら走り回っている。だんだんと、家から遠くへ、その範囲が広がっていく。
あちこちの家から、何事かと顔を出すケルティス人やテリ人。ケルティス人はすぐにそれと見分けがついた。かすかな月の光に白い肌が浮かび上がるからだ。ティの浅黒い肌は、夜目に見いだすのは困難だった。
「ティ。ティ! 返事をしろ!」
アメヌイははたと足を止めた。
ティは怒られるのを異様に怖がり、注意されるとパニックになる。
こんなふうにティの名前を怒鳴り散らしながら走り回って、彼女は出てくるだろうか? 怒られると思って、余計に身を隠しはしないだろうか?
アメヌイはきびすを返して家へ走った。そうだとすれば、遠くを探しても意味がない。
「……ティ?」
家には誰もいなかった。父と母も、ティをさがすために外へ出ていた。いや、正確には、ティが連れ出したかもしれないターグをさがすために。
他人の奴隷を傷つけたり死なせてしまうのは、他人の財産を傷つけたりこわしてしまうのと同じだった。その場合には、しかるべき賠償を支払う必要が出てくる。値段は決して安くない。
アメヌイはむかむかした。
ティのような子は、成人する前に死んでしまうと言われていた。道をふみはずして、勝手に死んでしまうのだと。父も母も、それまで耐えているだけだ。我が子を手にかけることはできないから、せめてそれまで目をつむり、奴隷に押し付けて耐えている。家の恥が勝手に道をふみはずして、きれいさっぱりなくなるのを。
「ティ。いるのか?」
アメヌイは精一杯、優しい声を出した。レンナンがティに話しかけるときのような。
「大丈夫だ。誰も怒っていないよ。ティ、眠くないか? 一緒に寝よう。ターグも一緒に。なあ、出てきてくれ。怖くないよ」
家の中は物音ひとつしない。アメヌイは、居間、炊事場、寝室とすみずみまで目を光らせた。ターグを抱えて身を隠しているのなら、あまりせまい場所にはいないはずだ。いてくれ、近くに。アメヌイは祈りながら裏口を出た。
月明かりの下に、白い石造りの、ぼうっと浮かび上がって見える共同井戸がある。
胸がざわついた。衝動をおさえ、ゆっくりと歩く。かすかに震えた声でささやきかけた。
「ティ?」
よく見ていないと、気がつかなかったかもしれない。井戸の向こう側から、小さな頭がそろりと動き、怖がるように引っ込んだ。
生きていた。
アメヌイはぐっとこらえ、落ち着いた声を出す。
「なんだ、ここにいたのか。おいで。ティ。糖蜜があるんだ。一緒になめよう」
ティの頭がひょこりとのぞいて、笑顔があらわれた。立ち上がって、ちょっとよろめきつつ、かけよってアメヌイに抱きつく。みぞおちにティのおでこが入った。息をつまらせながら、アメヌイはやっとのことで言った。
「ティ――ターグはどうした?」
いやな予感がふり払えない。ティはだらしない顔で笑っている。口をあけ、「あー」と指さす。糖蜜をなめたいのだ。
「ターグだ、ティ。ターグ。どこにいる?」
ティはアメヌイをもう一度抱きしめた。アメヌイは仕方なく、ティを抱きしめてやった。そしてもう一度聞く。ティの目線にかがみこみ、赤ん坊を抱きかかえるしぐさをして、大げさに首をかしげる。
「ターグ。赤ちゃん。どこ?」
二度、三度と繰り返して、やっとティは理解したようだった。赤ん坊を抱きしめるしぐさをする。
「そう、赤ちゃん。どこにいる?」
「ママ!」
「……おれは、おまえの母親じゃない」
ティはぶんぶん赤ん坊を揺り動かしながら、井戸へ歩いていった。そして、「あい」と、落とすしぐさをする。井戸のふたは外れていた。
アメヌイの鼓動が早まる。
――ぽい。
アメヌイは井戸の横に置かれた縄付きの水瓶を落とした。いつの日かレンナンがサンザシの枝を拾いあげたのを思い出しながら、縄を上下させる。
ひっかかってくれればいい。いや、何もひっかからないほうがいい。やめてくれ。きっとティは理解していない。でたらめを言っているんだ。そんなわけがない。
重い水瓶をひっぱりあげる。ティがそばで見ている。
知らなかった。井戸から水をくみ上げるのがこんなに大変だとは。井戸は家のすぐ裏にあったのに、アメヌイは一度も水をくんだことがなかった。レンナンがくみあげるのを、ただ見ていた。
ひっぱりあげた水瓶には水が満ちていた。アメヌイはふたたび水瓶を落とした。何度も何度も。ティがそれを笑いながら見ていた。
やがて、水音に気づいた人々がひとりふたりと集まった。ティはアメヌイにへばりついて離れなかったし、アメヌイも彼らに何も言わなかったが、人々は理解した。
人がやられ、遠くまでティを探しに行っていた家族や職人が戻ってきた。奴隷の男たちがアメヌイの作業を代わった。レンナンが帰ってきて、ティに抱きつく。ティは笑いながらレンナンに甘えた。アメヌイは何も言わなかった。ただ、井戸の水を上げ下げする男たちをじっと見ていた。
ざわめきがして、人々が息をのんだ。あがってきた水瓶に、これまでなかった異物がひっかかっていた。布にくるまれ、ぐったりした赤ん坊が。
エドフと家族、そしてエドフの家の奴隷がかけよって、母親が悲鳴に似た声をあげた。
職人たちは神妙な顔で肩を叩きあい、三々五々家に戻っていく。集まっていた近所の者も、ひそひそと話したあとに「とにかく遅いから、また明日」とアメヌイの父に言って、寝るために帰っていった。
アメヌイは吐き気がした。レンナンにすり寄っているティを、悲しい気分で見つめた。
悲しい。他になんと言えばいい? 怒りはなかった。責める気持ちも、恥じる気持ちもない。
ただ、やるせなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます