第3話 石職人の弟子


 アメヌイの父は、いい頃合いを選んでアメヌイを修行に出していた。王が死んだ今、石職人たちは一生のうちでもっとも忙しく、猫の手も借りたいほどの騒ぎとなる。


 石職人と他の職人たちは互いにいがみあっていた。鍛冶職人が息子を石職人にしようとすれば、平時であれば白い目で見られもしただろう。


 だが、今はそれどころではない。親方をはじめ大人たちは、アメヌイを受け入れ、はやく使い物になるようにと仕事を教えた。


 しかし、若くて体力のあり余っている小僧たちは、そうでもなかった。


 エドフは石の種類、石の目の読み方、槌のふるい方、くさびの打ちこみ方、ノミの扱い方をアメヌイに教えた。丁寧な教え方とは言えなかった。エドフの家はアメヌイの家にあまりいい印象を持っていない。おたがいの稼業がちがうこともあり、ティのこともある。


 エドフは親方の前では決して文句を言わなかったが、小僧だけになるとだんだん本性をあらわした。鍛冶職人の息子が、石を削れるもんかとつぶやき、妹はいつ死ぬんだと平気な顔で訊いたりした。


 アメヌイはそういった言葉を無視した。石切り場では仕事のことだけ考える。さっさと覚え、指示を出されずとも動けるように。それがアメヌイの当面の目標だった。


 アメヌイは飲みこみのはやい弟子だった。前々から建築の本は読んできた。石についても、ある程度の知識は頭の中に入っている。


 アメヌイは教えられたことを一度で覚え、よく気がつき、エドフの仕事をかすめ取って自分に教えさせる時間を無理やり作らせた。


 エドフがこれを気に入るわけがない。ときどき、アメヌイの槌がなくなり、足を引っかけられるようになった。しかし、アメヌイの心は水で冷やした鉄のように冷静だった。何が起きても意に介さず、バカなやつだと心の底から軽蔑した。


 ある日、昼餉を食べ終えて現場に戻ると、エドフが石にノミを当てて削っていた。親方に言われ、表面をなめらかにしていたのだ。年上の小僧たちはみなこの作業をあてがわれていた。


 アメヌイはエドフのすぐうしろに立って見物した。エドフはアメヌイに気がつき、あきらかに嫌そうな顔をしたが、何も言わなかった。年上の小僧の仕事を見て覚えるのも、職人を目指す者ならよくあることだ。


「その角度だとえぐれるぞ」

 ぶっきらぼうにアメヌイが言った。エドフは眉をよせ、アメヌイをにらんだ。


「なんだって?」

「お前の目は節穴か? 石の目にそって刃を当てたら台無しになる」


 エドフはアメヌイの帽子をはたき落した。アメヌイは腕を組んだまま動かなかった。エドフが石にノミを当てる。槌をふりおろすと、石が砕け、表面がえぐれた。


「それ見ろ」


 アメヌイが淡々と言った。「黙れ」とエドフがアメヌイに向き直る。アメヌイはため息をついてえぐれた石をさすった。


「同じものを見ているのに、どうすれば間違えるんだ? お前は前からここで修行を積んでいたんじゃないのか」

「口だけならいくらでもえらそうなことが言える」


 エドフはむっとしたように言った。アメヌイは眉をひそめて背の高いエドフを見あげた。他の小僧たちが取り巻きとなって、ふたりの行方を見つめている。その全員が、エドフの味方だ。


「なら、ノミを貸せ。お前が無駄にしたこの石を、少しは使い物になるようにしてやる」


「素人に石を任せるわけがないだろうが!」

「どっちにしろ、これを親方に見せたら、おまえはもう石を任されなくなるんじゃないか?」


 やらせてみろよ、と誰かが言った。口ではえらそうなことが言えるさ、石を削ることがどんなに大変か、アメヌイにわからせてやれ、と。


 エドフは憤慨しながらもアメヌイにノミを渡した。アメヌイはエドフのいたところに立ち、そっと石をなで、槌でこつこつと叩き、ノミを当てた。


 うまくいくわけがない、と小僧たちがエドフにささやくのが背中で聞こえた。アメヌイにはどうでもよかった。見返してやろうという気分にもならなかったし、自分の手柄を立てたいという気分でもなかった。


 ただ、このままでは捨てるしかない石を、なんとかする。


 できるだけ最小限の手直しで、ふたたびよみがえらせる。


 時間はそれほど必要なかった。エドフとその取り巻きたちが目を白黒させる中、アメヌイは石を完成させた。表面をなめらかに、地面に対して垂直に。大人の職人が手をかけたかのような、文句のつけようのない出来だった。


 あっけにとられるエドフにノミを渡し、その肩を叩いた。

「次は、ちゃんと石をよく見て削れよ」


 さすがに少し言いすぎた。


 エドフのこぶしがアメヌイの顔に食い込んだ。痛みでうめき、岩場にうずくまる。


「調子に乗るな」


 エドフがすごみのある声で言った。小僧たちは誰もアメヌイに手を貸さない。遠巻きにして、自分の作業に戻る。


 アメヌイは腹帯をちぎり、流れ出る鼻血をおさえた。


 父親が自分を殴るときは、加減していたのだな、とアメヌイは頭のすみで考えた。それから、よろよろと自分の仕事に戻った。




 アメヌイは三か月もしないうちに、小僧がこなすべきことをひととおりできるようになっていた。


 エドフとその取り巻きは、必要なとき以外はアメヌイに話しかけなかった。そのくせ日暮れになると、アメヌイに仕事を山ほど押しつけ、自分たちはさっさと帰ってしまった。アメヌイは文句ひとつ言わず、むしろ腕をみがく機会が増えたと喜ぶことにした。


「おまえやっぱり、建築家になりたいんじゃないの」


 夜遅くまで働き、家に戻ってひとり食事をとるとき、レンナンが目の前に座ってにやにやしながらそう言った。


 食事の支度は奴隷の仕事。家の者が寝静まってからも、レンナンはアメヌイの夕餉を片づけるために起きていた。しかし、奴隷のレンナンが家族の使う椅子に座ったと知ったら、アメヌイの父は激怒するだろう。


「どうかな。そこのレンズ豆、とって」


 アメヌイがぶっきらぼうに言うと、レンナンは頬杖をついた手を伸ばして木皿をこちらへ押しやり、レンズ豆を一粒取って口にほうりこんだ。


「おいしいなあ」


 レンナンはからかうように言う。しかめ面でもくもくと食べていたアメヌイは、気が抜けたように背もたれに寄りかかった。


「そうかい」

「そうだよ。こうやってさ、木のテーブルと椅子に腰かけると、ほら、砂が混じったりしないし」


「父にばれないようにしろよ」

「ばれたらかばってくれるだろ、アメヌイぼっちゃま」

「おれを頼るな」

「いけずだなー」


 レンナンはからから笑う。手を伸ばして、水差しからアメヌイの器にヤギの乳を注ぐ。


 アメヌイはため息をついた。

「このままいくと、本当に建築家になってしまうかもしれないな……」


「いいことじゃん。給金も上がるし、もてはやされるぞ。王都に住んだら兵役にもつかなくていいし。ええっと、ご主人様も確か、投石兵だったんだよな?」


「戦があれば、今でも投石兵として徴集される。おれも十六になったら……」


 この国では、十六歳で成人と認められる。成人男子はあらゆる責任を負う。身を固めて国に忠誠を誓い、週に一度の演習に出向かなくてはならない。軍人以外も、いつでも戦うことができるように。この豊かな島国をねらう大陸の国は多い。


「だからさ、おまえは建築家になったほうがいいよ」


 レンナンは真面目な顔でアメヌイを見た。宝石のようにすきとおる、緑色の目。


 アメヌイはそれをじっと見ることができない。目をそらし、「は」と口先だけで笑うのを、レンナンは小突いた。


「本気で言ってんだぜ。おまえ、すごいやつだよ。小さいころからずっと思ってた。他のやつより頭がいいし、大人たちも才能があるっていつも言ってる」


「そりゃどうも」


「ご主人様は……おまえの親父さんは、おまえにこんなところでくすぶってもらいたくないって思ってるんじゃないのかな。おまえは恨んでるみたいだけど、あの人はおまえのために……」


「おまえが楽観的なのはよく知ってるよ」

 アメヌイはヤギの乳を飲んだ。


「ちゃんと聞けよ、大事な話だ」

「父はそこまで考えてない」

 アメヌイは言い切った。レンナンが首をかしげる。


「おれはそうは思わない。ご主人様はおまえと同じで、頭がいい」

「おまえからしたら、みんな頭がよく見えるだろうよ」

「なんだよそれ」


 レンナンはちょっと怒った顔になった。アメヌイは内心でひやりとしつつも、自分を止めることができなかった。


「おまえがバカだから、ほかはみんなえらく見えるんだろ。ティと同じだよ。似た者同士だから、ティはおまえの言うことを聞く」


「ティはバカじゃない」


 レンナンはきっぱりと言った。アメヌイはいらいらしてきた。疲れているときにはじめる話題ではなかったのかもしれない。


「ティがバカじゃないなら、なんだってんだ。あれか? 祝福されてるとかってやつか」


「そうだ」

「ばかばかしい。誰だよ、祝福したのは」

 レンナンはじっとアメヌイを見つめた。アメヌイは目をそらす。


「……ケルティス人にとっては祝福された者でも、おれたちテリ人にとっては、家の恥だ」


「ティはこの家の人が好きだ。どう思われていようが、あの子はみんなのことが……」


「黙れ、奴隷の分際で」

 言ってすぐ、後悔した。


 アメヌイがレンナンに『奴隷』と言ったことはなかった。その言葉だけは、使わないようにしていたのに。


 そっと見ると、レンナンは口元だけで笑っていた。口を閉ざし、遠くを見るような目で、アメヌイを見ていた。それからゆっくりと立ち上がり、椅子をテーブルの下に戻した。


 沈黙が流れた。アメヌイはのどがつまるような感覚にとらわれ、食器を置いて立ち上がり、背を向けた。


「……片づけとけ」

「はいよ、ぼっちゃま」


 レンナンの声はなんてことなさそうに響いた。それでも、アメヌイには罵りの言葉より、つらく聞こえた。

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