3:星の海に願いを

 すっかり暗くなった空に、数え切れない星と双子月が昇った。私とコウは、浜辺に並んで腰を下ろした。やがて端から、ゆっくり月が欠け始めた。


「すごいですね。月が減ってくなんて」

「うん。びっくりだね」


 潮風が頬を撫でる。火照った身体が、小さく震えた。


「ミレイちゃん、寒くない?」

「少し寒いかも……」

「じゃあ、もうちょっと寄ろう」


 コウは私の肩を抱き寄せた。触れ合う温もりに、鼓動が速くなる。でも、コウの隣は温かくて、心地良かった。


「結構、楽しかったね」

「そうですね」

「ミレイちゃんは?」

「私も楽しかったです。ありがとうございました」


 私は素直な気持ちを口にした。楽しかった。それは紛れようもない事実。

 はにかんだ私から、コウは目を逸らした。


「実は今日本当は、この島に家族は来てないんだ。ミレイちゃんに会うために、俺だけ来たんだよ」

「え……」

「嘘言って、ごめんね」


 コウは気まずそうに笑うと、空を仰いだ。

 どういう意味だろう。私に会うため? それって、もしかして……。

 消えていく月明かりの下で、ざぁと波が打ち寄せた。


「カレンちゃんはさ、気付いてたみたいなんだよね。話に出てくるミレイちゃんを、俺が気になってるって」

「カレンが……?」

「だから誘ってくれたんだと思う。俺はさ、ミレイちゃんとお祭りを回って、本当に楽しかった。だから……」


 待って。それ以上言わないで。

 私の願いも虚しく、コウは優しい目を向けた。


「もし良かったら、俺と付き合ってくれないかな。好きなんだ。ミレイちゃんの事が」


 もしかしたらと、そう思って。聞きたくなかったコウの言葉が、嬉しくて。ずきりと、胸が痛んだ。


 言われてしまった。そして、自覚してしまった。二十年前、両親が恋に落ちた日。そして十年前に、両親が命を落とした日。その同じ日に、私も恋をした。

 否定したくても出来ない。紛れようもない事実。生まれて初めて、胸が高鳴った。でも同時に、不安が胸を渦巻く。


 幸せになれる? 本当に?


 大好きな父と母は、私を残して死んでしまった。二人は、今も幸せなのだろうか。両親に問いかけたくて、私は海に目を向けた。


「あ……」


 淡く小さな光が、ぽつりぽつりと暗い海に灯っていく。それはまるで星空のように、海原へ広がっていった。


「お父さん、お母さん……」


 薄っすらと記憶に残る声に、「ミレイ」と呼ばれた気がして、打ち寄せる波に足をつけた。

 ほのかな光が、波と踊る。ざぶりざぶりと進もうとする私の手を、コウが掴んだ。


「ミレイちゃん!」


 いつの間にか、光は腰まで上がっていた。私は、海の底へは踏み込めない。沈んだ両親からは、どんな景色が見えているのだろう。


「ミレイちゃん、泣いてるの?」


 頬に触れると、冷たい雫が流れていた。


「え……私……」


 ざぶりと大きな光の波が、私を押し戻す。「まだ来るな」と、声が聞こえた気がした。

 転びかけた私を、コウが引き寄せる。優しい温もりと、トクトクと刻む胸の音が響く。


「ミレイちゃん。無理言ってごめんね。泣かないで」


 違う。そうじゃない。

 言葉にしたくとも、声は出ない。でもただ、ぎゅうとコウの背に手を回した。


「ミレイちゃん……?」


 二人が幸せかどうかなんて、本当はどうでも良かった。ただ私は、父さんと母さんに会いたかった。抱きしめて欲しかった。


 どうして私を置いて死んだのか。私と暮らした、たった五年の月日は幸せだったのか。そう問いかける事で、消えてしまいそうな両親との絆を、必死に繋ぎ止めてただけだ。


 私は何も言えなかったけれど、コウは私を抱きしめてくれた。力強い温もりに、誰にも言えなかった言葉が溢れた。


「コウさん……。私、ずっと寂しかったんです」

「うん。知ってた。カレンちゃんから、聞いてたから」


 父も母もいないけど、私のそばにはいつも祖母が。カレンがいた。私の気持ちを、みんな知ってたんだ。


「だから今日、頼まれたんだよ。ミレイちゃんが寂しくないように、隣にいて欲しいって。ずっとそばに、いてやってほしいって」


 ずっとそばにって、そんなことまでカレンは言ったんだ。どこまでお節介なんだろう。


 父と母が出会って、恋に落ちて。結ばれたから、私が生まれた。そして私は、祖母に、カレンに、コウに出会った。

 両親が幸せだったかは分からない。でも私は。生きてる私は、みんなに会えて幸せだった。

 永遠に続く幸せ。もしそれが、人との出会いや営みの中にあるのだとしたら?


 濡れた私の髪を、コウは優しく撫でた。顔を上げると、コウが私を見つめていた。


「俺じゃダメ?」


 触れたかった温もりは、掴めない。でも、コウは生きてる。私の前にいる。


「コウさんと、ずっと一緒にいたい」


 優しい波が、背中を押した。「それでいい」と、懐かしい声が、さざ波のように響いた。海に輝く星の光が、コウの青い瞳に映る。私はゆっくり、瞳を閉じた。

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星の海に願いを 春日千夜 @kasuga_chiyo

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