祈りの魔法

スヴェータ

祈りの魔法

 生まれつき、1つだけ魔法が使える。呪文はないし、光ったり音がしたりすることもない。ただ深く、深く祈るだけ。それだけで私は、母の寿命を延ばすことができた。


 初めてこの魔法を使った時のことを、私は全く覚えていない。記憶にあるのはただ「使ったらしい」という曖昧な認識だけ。以来15年、母の命の危険を察したそのたびに、魔法を使い続けている。


 母は元々身体が弱く、寿命はどんなに先まで延ばしてもすぐに縮まった。どれくらい延ばせたのか、いつもはっきりとは分からなかったが、明らかに延ばした分が尽きるより前に危険な状態になることが多かった。


 この魔法のことを、母は知らない。だからいつも「具合が悪かったけれど、ひと晩寝たらスッキリしたわ」なんて言う。私のおかげよ、とは言えない。言ってはいけないことではないかもしれないけれど、何だか怖くて言えずにいた。


 そんな私にできることは、元気に朝ごはんを作っている母の横顔を見つめ、「無理しないでね」と案じることだけ。優しい子ね、と母が言う。そしてとかしたばかりの髪をくしゃくしゃにしてしまうのだ。そんな撫で方をする母に不満を漏らしつつ、ずっと側にいてほしいと願った。


 17歳になったばかりのとある真夜中。母が急に倒れ、病院に搬送された。魔法を使う前にいつも感じる胸の痛みが、その日はひときわ強く、締め付けるようで、時に呼吸をするのもつらいほどだった。そしてどんなに祈っても、魔法が全く効いた様子がなかった。


 母の寿命が、いよいよ尽きようとしている。不思議な魔力のおかげか、私はそれを瞬時に察せた。手術室近くの待合室。午前1時。一緒に母の無事を願う父は、不安を隠しきれない様子だった。


 どんなに母が「具合が悪い」と漏らしても、父は不安を表に出さなかった。もちろん不安な日もあっただろうけれど、その表情からは全く見て取れないほど落ち着いていた。


 それが、今夜はこの表情。青ざめ、汗をかき、時折頭を抱え、また上を向いて涙を堪え……。こんな父、見たことがなかった。今回は本当に覚悟をしないといけないのかもしれない。父のつらそうな横顔を少し下から見上げつつ、そう思った。


「ごめんな……」


「お父さん……。いいの。大丈夫だよ、きっと」


「そうだな……。ほら、喉が渇いただろう。これを飲みなさい」


「ありがとう」


 差し出されたのは、ほんのり桃の味がする水だった。開封済みのようだが、父は水も喉を通らないのか、開けただけで飲んだ様子はなかった。


「お父さんも、はい」


「いや、大丈夫だ。……なあ、お母さんが元気になれるように、お父さんと祈ろうか」


「そうだね。しっかりお祈りしよう。そうすればきっと良くなるよ」


 父が「祈る」という言葉を使ったのが、何だかおかしく思えた。科学者で、理解できない現象には信頼を寄せない性格だったから。いや、もしかしたら父は、母と過ごす中で「祈り」という現象を理解したのかもしれない。


 目を閉じて俯く父に倣って、私も目を閉じ俯いた。そしてもう一度、いつもの魔法を使ってみた。元気に過ごす母をイメージし、その胸にスッと入り込んで全身に私を巡らせる。その時の色が暖かければ暖かいほど、魔力は強い。


 いつも以上に熱心に、熱心に祈った。私にとって祈ることと魔法を使うことは同じ。もしかしたら魔法なんて気のせいで、祈る人は皆こんな気持ちなのかもしれない。そしてたまたま母が元気になったから、魔法だと思い込んでいたのかも。ふと、そんなふうにも思えてきた。


 母の全身に巡った私は、マリーゴールドのように暖かなオレンジ色に輝き、最後はカッと強く、太陽のように光った。そして私は母から出て宙に浮き、ぼんやりと映る世界を漂った。


 下で手を振る母に、その頭上から手を振り返す私。母がどんどん遠のいていく。私の身体は軽くて、気分は風船。母の隣にはもう、戻れそうになかった。


 やはりこれは私だけが使えた魔法だったのだ。そして今までも、今回も、きっと使った分だけ代償があったのだろう。寿命は今回、50年ほど延ばせたように感じた。いつもよりずっと確かで、長い。しかしもう今更、どうしようもなかった。


 けれど父は。父はいつから知っていたのか。なぜこうまでして母を助けたいのか。娘の人生などどうでもよかったのか。それならどうして謝ったのか。私はいくつもの父への疑問を残したまま、誰も見えないところまでふわり、ふわりと浮き上がってしまった。


 手術室近くの待合室。午前1時15分。私はもう目を開けられない。そこにいるのは、魔力を使い果たした空っぽの私。もはや力なく父の肩にもたれるしかない。そんな私を父は撫で、微笑みながらこう言った。


「生まれてきてくれて、ありがとう」

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祈りの魔法 スヴェータ @sveta_ss

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