6.白き氷

召使の女性に案内されるまま、風呂場に着いて服を脱がされる。

奴隷用としか思えない、ボロ布のような服が、さっさとゴミ箱に捨てられる。

手に持っていた魔導書は、入り口のあたりに置いておく。


鏡を見ると、ボサボサの白髪にやつれた顔、淀んだ紅眼が目に入る。

色素の抜け落ちた肌はかなり色白で、生気というものを感じさせず。

表情に色はなく、瞳には、殺意とも憎悪とも言えない感情が浮かんでいて。

死人のような身体だからこそ、無機質な首輪が強く際立っている。


これが私か、と自嘲気味に吐き捨てる。

言葉にならなかったそれは、大きなため息として流れ出る。

汚い孤児のような自分を見れば、嫌でも気分が落ちるものだ。


「こちらです、お嬢様」


「……お嬢様?」


「ご主人様より、そうお呼びするよう仰せつかっておりますので」


「そ、そう……」


……やっぱり、どう考えても奴隷への対応ではない。

だが、奴隷以外の何として扱われているか、と言われても、

それを考えるには、まだ情報が足りなすぎる。


浴場への戸が開かれる。

屋敷の大きさに比例したかのように広大な浴場は、

やはり、あの男が貴族だというのを実感させてくれた。


「こちら、大浴場となっております。ご自由にお寛ぎくださいませ。

 また、ご不明な点等ございましたら、何なりとお申し付けください」


「……ん、わかった」


「もし、お手伝いが必要でしたら」


「それは大丈夫。」


「承知いたしました」


一歩足を踏み入れると、ぴちゃりと水音が鳴る。

肌に当たる湯気は暖かく心地よい。外の寒さとは大違いだ。


髪と身体を丁寧に洗い、湯船に浸かる。

考えてみれば、私はこの世界のことを何も知らない。

知っていることと言えば、この世界の雨は止まないこと。

その雨は、100年以上前から降り続けていること……ぐらい。


お風呂から出たら、色々あいつに聞こうかな。

そんな風に考えつつ、ぶくぶく、とお湯を泡立てる。

髪先がお湯に浮き、広がって纏わりつく。

鬱陶しい。纏めるゴムとか貰えばよかった。


「失礼します、お嬢様。髪留めをお持ちしました」


この召使、完璧か?


――――――


――――


――


他愛もないことを考えていれば、時間が過ぎる。

気づいたらのぼせそうになっていて、慌ててお風呂から上がる。


身体を拭くのは流石に自分でやったが、髪を乾かすのは召使に任せた。

髪に櫛を入れつつ、魔道具のドライヤーをかける。

こういうのを人にやってもらうのは心地が良い。


「ねえ、あなたの名前は?」


「ご主人様からは、セレスと呼ばれております」


「そう、セレス。私の服は?」


「そちらに。下着も併せてご用意させていただきました」


示された方を見ると、豪奢な服が目についた。

可愛らしいフリルがふんだんにあしらわれ、

随所に煌びやかな模様が施されている。


「……まるでお嬢様みたいな服ね」


「お嬢様ですから。」


「あ、うん……そうね……」


これについても聞かなきゃいけない気がする。

呼ばれ慣れてる感覚はないから、すごいむず痒い。


髪を乾かし終わって、用意されていた服を着て、魔導書を手に取る。

鏡を見ると、綺麗に伸びた白髪と軽く赤らんだ顔、澄んだ紅眼。

さっきとは全然違う自分の姿に、思わずくすっと笑みが零れる。


「実に可愛らしいかと」


「んっ。と、当然でしょ!私を誰だと思ってるの!?」


「…………」


「なんで黙るのよ!」


「……ご自分のこと、ご存じなのですか?」


「え、いや、知らないけど……」


「そうですか。失礼いたしました」


なに?めっちゃ気になるんだけど?


――――――


――――


――


風呂場を出ると、食堂に案内される。

既にルーフェイは席についており、対面の席に座らされた。


セレスが退室してから少し経つと、色とりどりの料理が運ばれてくる。

当然、なのかは分からないが、どれもこれも美味しそうな見た目と匂いだ。

料理を目の前にして気づいたが、私はとてつもなくお腹が空いていたらしい。

ぐうう、と小さく腹が鳴った。ここで鳴るなよ恥ずかしい。


「好きなものから手を付けるといい。

 すべて君の好物だ。嫌いなものはあるまい」


「……ねえ、色々聞いてもいい?」


「答えられることならば」


「なんで私のこと、お嬢様って呼ばせてるの?」


「お嬢様だからだが?」


答えになってねえよ。


「えと、じゃあ、次。

 あなたは私のこと、どう思ってるの?」


「どう、とは?」


おもむろに、首元の首輪に手を触れる。


「……奴隷だと思ってる?」


「いや。だが、立場としての奴隷扱いを辞める気はない」


「どうして?」


「君を守るうえで、それが一番楽だからだ。

 あと、飯が冷める。さっさと食え」


「あ、うん。いただきます」


スプーンを手に取り、手近にあったオムライスを掬う。

ふわりと卵が美味しそうにとろけ、立つ香りが食欲をそそる。

口元に運んで、ぱくり。溶けた卵とチキンライスが口の中で混ざり合う。


「……美味しい」


「この国有数のシェフの料理だ。不味いはずがない。

 だから冷める前に食えと言ってるんだ」


「……あなたこそ食べてないじゃないの」


「そうだな。いただきます」


素直に食うのか。本当によく分からないな、この男。


「で、守るうえで楽ってのは?」


「……奴隷ってのは、その主人の所有物だ。

 人の所有物、ましてや貴族のものとなれば、早々に手は出せない。

 そして、今の君は無力な少女だ。初級魔法1つさえ、扱えやしない。

 そんな奴が、奴隷という身分じゃなくなったらどうなる?」


「……どうなるの。というか、そんなに治安悪いの?この国」


視線をルーフェイに向けたまま、オムライスを口に運ぶ。

このクソヤバいビジュアルも、少し見慣れてきた。


「悪いなんてもんじゃないし、この国に限った話でもない。

 財力、権力、武力、知力、魔力……まあ、なんでもいいが。

 今のこの世界は、力がある奴が強者、ない奴が弱者だ。

 強者は弱者の肉を喰らい、弱者は明日どころか今日も生きられない」


「つまり?」


「今の君は弱者だ。奴隷という身分に守られているだけのな。

 だから、君が1人で戦えるようになるまで、君は奴隷でなくてはならない」


「……」


美味しいと思っていたはずの料理に味気なさを感じる。

でも、お腹は空いているから、黙々と食事の手を進める。

自分でも意外なほどに、食べ物が胃に入っていく。


「食い終わったらしっかり休むといい。明朝にこの街を出るからな」


「……どこに向かうの?」


「君の原点となった場所だ。詳しいことをここで話す気はない。

 どういう場所かは、行けば分かる。くれぐれも魔法の修得を怠るなよ」


「……分かった」


傍らに置いた、魔導書の装丁を撫でる。

どことなく懐かしさを感じるのは、やはり、そういうことなのだろうか。


まあ、今更、この男に反抗する気もない。

進むべき道も分からないのだから、黙って従うだけだ。

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