5.明の光

「何を言っているのか分からない、という顔をしているな」


魚類がこちらを向く。自然と目が合う。

間近で直視したら正気度が削れそうなので、思わず視線を逸らす。

ちらりと見ると、魚類はまた明後日の方を向いていた。


「簡単なことだ。俺は君のことを知っている。

 君の名前はもちろんのこと。君の家族のこと、知り合いのこと。

 君がどうして奴隷になったか。君が奴隷になる前、何をしていたか」


馬車に揺られながら、疑念に満ちた目を向ける。

いきなりそんなことを言われても、信じられるわけがない。


第一、こういう立場の相手って、美形だと相場が決まってるだろ。

人と魚と豚を足して2で割ったような奴に言われても困るんだが――――


「――――もちろん、君の記憶がないことだって知っている」


思わぬ一言に、びくりと身体が反応する。


こいつが何を知っていようと、私はそれを知らない。

だから信じる理由もなく、そもそも真実である保証もない。


だが、それは。

記憶がないことは、私が唯一知っている事実だ。

そして、私自身しか知らないはずの真実でもある。


なぜ、こいつはそれを知っている?

まさか本当に、いや、そんなはずは――――


「まあ、知っているからと言って、全部教えるわけじゃない」


「……え、教えてくれるんじゃないの?」


勿体ぶっておいてそれかよ。本当は知らないんじゃないのか。

いや、ユーシアという名前は悪くないとは思うけど。そういう話じゃないし。

こいつの掴みどころのない態度に対して、染みついた疑念が拭える気がしない。


「知らないわけじゃない。教える必要がないだけだ」


心を見透かされたような言葉に、どきりとして身体が跳ねる。

我ながら態度で分かりやすすぎると思うが、本能なのだから仕方ない。

思わず、視線がじっと、こいつの横顔を見つめたままになる。


「俺が知っているのは、あくまでも君が失った記憶の断片……、

 つまり、君について調べれば、容易に得られる程度の知識でしかない。

 だから、君自身の手によって、その失った記憶を思い出して貰う必要がある」


「……思い出す、って。どうやって」


「君の記憶の中でも、色濃く残っている印象的な記憶。

 人生のターニングポイントを、君に再び体験して貰う」


話されながら、唐突に分厚い本を投げ渡される。

これは…………魔導書?……銘は、ユーシア・カースド。


それにしても、随分と装丁や紙が古ぼけている。

一体、何年前の本なのだろう。手に本のカスが付きそう。


「その為には、戦う力が必要だ。

 だから、その魔導書の内容をすべて覚え、扱えるようにしろ。

 これはすべて、君自身が書き記したものだ。無理だとは言わせんぞ」


「……この本、1000ページ以上あるんだけど……」


「だから?」


「ひっ。は、はい、覚えます……」


その顔で睨まないで。怖いから。泣きそう。

電流ならまだ耐えられるけど、この形相を前に抗う方法はない。

いや無理だよ。無理だって。人を殺してる魚の顔だよ。怖すぎる。無理。


「それと、もう一つ」


「な、なに……?」


「覚えた魔法は、決して人前で使うな」


「……?どうして?」


「面倒なことになるんだよ。良いから黙って従え」


「そ、そう……まあ、分かったわよ。覚えとく」


面倒なこと、というものの仔細について問い質したいところだけれど。

先の恐怖がかなり印象に残っているせいで、あまり強く口に出せない。

まあ、するなって言われたことをしないだけだし。簡単でしょ。


「ここまでで何か質問は?」


「……いや、別に、何も」


ぎょろりと黒い魚眼のような目がこちらを向く。

怖い。やめて。嘘ついた私が悪かったから。ごめんって。


「何聞いても、怒らずに答えてくれる?」


「怒りはしないが、答えるかは内容によるな」


「……なんで、私の為にそこまでしてくれるの?」


当然の疑問だろう。そして、私が一番知りたいことでもある。


正直言って、こんなどう見ても悪役な顔の奴に買われた以上、

奴隷として、地獄のような日々を送るものだと思っていた。


だが、現実は違った。

こいつは、私が記憶喪失であることを知っていて、

その記憶を取り戻すための、手助けをしようとしてくれている。

それも、わざわざ大枚をはたいて、私を買ってまでして、だ。


そんなこと、普通の人間の思考じゃありえない。

なにか、思惑があるはずなのだ。ないわけがない。


こいつが、一体何を考えているのか。信用に値する人間なのか。

私はそれを、見定めなければならないわけで。


「別に、君の為じゃない」


「じゃあ、なに」


「世界の為だよ」


「……世界の為?」


「ああ。


 ――――この雨を、止ませる為さ」


ぽつ、ぽつ、と幌に当たって響く雨音が、

何故だか私の心を、強く締め付けているように感じた。


――――――


――――


――


馬車の動きが止まり、幌が開く。

外を見れば、やはり変わらず、雨が降りしきっている。

すぐ近くには、何十の部屋もありそうな、巨大な屋敷も見える。


先に降りようとする黒髪の男に向けて、呼び止めるように声をかける。


「ちょっと待って。もう一つ、聞かせてちょうだい」


「なんだ」


「あなたの名前よ。私、まだ聞いてないんだけれど?」


「……ルーフェイだ。ルーフェイ・エイテッド」


「そう、ルーフェイ……ルーフェイね。覚えた。

 それで、これからどうするの。というか、ここはどこ?」


「ここは俺の家だ。やることは、風呂と着替えと飯。

 全部女の召使に任せるから、身の回りについては気にしなくていい」


「……随分と親切に扱ってくれるのね」


「これから忙しくなるからな。休める時に休んでおけ」


話が終わったと見るや否や、

ルーフェイはさっさと屋敷の方に消えていってしまった。


その後、召使と思われる女性が傘を差して現れ、私の手を取って馬車から連れ出し、

首輪と繋がる鎖を外してから、差している傘の下に入れてくれる。


正直、奴隷への対応としては、明らかに丁寧すぎて違和感を覚える。

客人への対応と言われても、全く疑問は抱かない。

……あの男の考えが、いまいちよく分からない。


そんなことを考えつつ、召使の女性に連れられ、屋敷に向けて歩き出す。

私の足取りは、心なしか、さっきと比べれば軽いものだった。


この先に、何が待ち受けているかなんて、全く予想できないけれど。

それはきっと、悪いことではないだろう、と。

今ならば、そう信じれる気がしていたから。

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