4.夜の帳
「聞こえなかったのか?
10億だ、と言ったんだ」
きっと、その場の誰もが、突然現れた男の言葉に耳を疑った。
というか、一番疑ったのは私だと思う。ふざけんなよ。ぶち殺すぞ。
「っ、あなた、馬鹿言ってんじゃないわよ!
このままいけば、私があの王子に買ってもらえるところだったのに!
それなのに、あなたみたいな部外者が流れ全部ぶち壊しちゃってさあ!
今のはどう考えてもあの王子が落札する流れだったでしょ!?
流石、エラ呼吸でもしそうな顔してるだけあって、空気読めないわね!」
高ぶった感情は止められない。
思わず立ち上がり、王子様を指さしながら激昂して叫ぶ。
自分でもここまですらすらと言葉が出てくることに驚いたが、
その感情の根源は、すべて魚人顔の男への怒りと憤りだ。
「はあ。直情的なお嬢様の為に、懇切丁寧に説明してやろう」
「なに?」
「まず、まだ司会者による終了宣言はされていない。
要するに進行中であり、進行中ということは参加可能だ」
「そうね」
「次に、このオークションの参加権利は貴族のみにある。
そして俺は爵位持ち。端くれだが。それでも貴族に他ならない」
「ふーん」
「すなわち、金さえあれば俺は君を買える」
「なるほどね。死ね!」
私の発した最上級の罵倒とほぼ同時、全身に激痛が走る。
思わず「びゃっ」と声を上げて膝が折れ、
そのまま立ち上がる前と同じように座り込む。
流石に魚類とはいえ、
奴隷が貴族相手に罵倒することを良しとはされなかったのか。
私と魚類の剣幕に、会場中の人間は黙ったまま。
そこに浮かぶ表情も、ほとんどがどん引きしているように見える。
特に、王子様の引き具合は尋常じゃなかった。あ、これもう買ってくれない奴だな?
「……で、司会者さん。
進行、しなくていいのか?まだ終わってねえだろ?
もしかしたら、これ以上の額を入れる奴がいるかもしれないぜ?」
痺れて動かない身体をよそに、私は魚類に憎悪を向ける。
声は意外と悪くないだけに、余計に腹が立つし、憎らしい。
あんな奴に買われたら、私の人生はお先真っ暗まっしぐらだ。
でも、当然のように、それを回避するためにできることはなかった。
魚類の言葉で気づいた司会者が、咳払いして進行を再開する。
「え、えー……た、ただいま、10億、10億です!
入札者はエイテッド卿!
これ以上の金額を入札する方はいませんか!?」
誰も声を発することなく、会場はしん、と静まり返っている。
それが意味するのは、これ以上の入札者はいないということであり、
私という商品が、魚類によって落札されるということだ。
「残り10秒で落札となります!よろしいでしょうか!
カウントダウンです!5!4!3!2!1!0!
14番、アルビノの少女。落札者はエイテッド卿に決定しました!」
ねえ、流石にあっさりすぎない?
……まあ、うん。決めてたことだし。さっさと死のう。
さよなら世界。次は奴隷以外の人生を頼むぞ。
私は舌のできるだけ奥に、上下の歯をあてがい――――
「ぃぎぁっ!?」
びぐんっ、と激痛に身体が跳ねる。
電流は3回目だが、3回目にして一番の痛みだ。死ぬかと思った。
痺れに身体を起こすことすらままならず、
勢いよく、がたんとステージに顔を打ち付ける。
鈍痛に身悶えしながらも、視線だけを上に上げる。
恐らく、自殺防止のセーフティという奴だろう。
どこまでも人権をゴミのように扱ってくれるな、この首輪を作った奴は。
「それでは、今回のオークションはこれにて終了となります!
皆様、お付き合いいただき、誠にありがとうございました!
落札者の皆様は手続きがございますので、案内人の指示に従ってくださいませ!」
司会者の終了宣言と共に、
兵士の男がステージ裏から現れて、私の身柄を引きずっていく。
視線を客席に向ければ、貴族たちが退場していくのが見える。
当然、王子様もその中に。
ああ、行かないで……お願い、私を助けて……。
――――――
――――
――
手続きというのは、首輪の契約の上書きのことらしい。
それにより、首輪を利用したあらゆる機能は、契約者しか扱えなくなる。
例えば、私が受けた電流は、私の主人となる魚類しか流せなくなるわけだ。
なんで私がこんなことを知っているのかと言えば、
私が待機させられている間、横で奴隷商の男が魚類に説明していたからである。
奴隷の前でそんなことを話して大丈夫なのかと思ったが、
この首輪の力は、それだけ絶大ということなのだろう。
「行くぞ」
契約の上書きというのも、手間がかかるようなものではなく、
あっさりと済むと、魚類は私の手枷と繋がる、鎖を引っ張って歩き出す。
抵抗などしようもなく、私はそれに従い後をついていく。
どこへ行くのか。これから何をされるのか。
知りたいことは山ほどあるが、何一つ聞こうとは思えない。
その一言で機嫌を損なえば、何をされるか分かったものではない。
そもそも知ったところで、運命は変わらないのだから意味もない。
一片の自由すらここにはない。自ら死ぬことすら許されない。
どれほどの地獄が待ち受けるとしても、不思議と絶望はしていなかった。
心を支配する虚無が、私から、思考する気力を奪い去っていてくれた。
――――――
――――
――
オークション会場を出る。冷たい風が肌を刺す。
雨音は変わらず続き、私の気を紛らわしてくれる。
促されるまま、会場前に止まっていた馬車に乗り込む。
幌に包まれた馬車の中からは、外の様子は伺い知れない。
雨粒が布に当たる音は妙に心地よく、気を抜けば眠ってしまいそうだ。
馬車が動き出す。
それと共に、魚類が話をし始めた。
私は声に反応して、じっ、と視線を投げる。
明後日を向いた横顔は、やはり、魚に近いものだった。
「君に一つ、伝えておくことがある」
「……なに」
「ユーシア・カースド」
「…………?」
「君の名前だ」
……こいつは一体、何を言っているんだ?
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