3.凪の嵐

司会者の開始宣言を皮切りに、一斉に人々が値段を叫ぶ。

2000万。3000万。4000万。5000万。

私という存在に高い価値が付くこと、そのものは悪い気がしないが、

そもそもとして、私を金で取引しようだなんて考えが気に入らない。


反吐が出る。さっさと全員死ねばいいのに。


御伽噺のお姫様であったならば、こういう時、誰かが助けてくれるのだろうけど。

そういった様子もなく、ただ時間だけが過ぎて、私の値段が吊り上がる。

座り込んで目を瞑ったまま。それ以外にできることはない。

精々できることなんて、マシな奴に買われるのを祈るだけだ。


「1億」


不意に、鶴の一声の如く、会場に凛とした声が響き渡る。

5000万から間をすっ飛ばして1億?馬鹿じゃないのか。

顔を拝んでやろうかと、瞼を上げて声の方を見る。

手を挙げていたのは、唯一の美形である金髪の男だった。


……そうだ、この男に買われればいいんだ。

どんなに優しくしてくれるとしても、不細工野郎の奴隷は嫌だし、

どんなに厳しくしてくるとしても、男前なら耐えられるはずだ。


まあ、買われるためにできることもたかが知れてるし、

プライドもクソもあったもんじゃないが。四の五の言っていられるか。


どよめく会場に目もくれず、私はその金髪の男だけを見る。

じっ、と強く視線を向けてアピールする。

「私を買いなさい」と。「あなただけが頼りなの」と。


ふと、こちらに視線を向けた金髪の男が、ふっ、と微笑んだ。

柔和な笑みは、いわゆる王子様を彷彿とさせる美しさだ。


「安心しろ」、とでも言いたいのだろうか。

惚れそう。惚れていい?即決価格は……ないの?なんで?


とはいえ、この王子様は落札まで戦ってくれそうだ。

一旦は安心して、一息つきつつ胸を撫で下ろす。


1億1000万、1億2000万、と入札は続く……が。

明らかに、さっきより賑わいもなくなって、さらにペースが落ちている。

それもそうだ。

時折あの王子様が声を挟んでは、入札価格を吊り上げ、流れを止めるのだから。


周囲の視線を見ても、王子様に向ける目は、畏怖と嫉妬が半々程度。

あいつ、そんなに高い地位を持ってる奴なのか……私は知らないけど……。


……3億ほどになって、入札者は3人にまで絞られた。

王子様。趣味の悪い貴族風の女。落ち着いた雰囲気の紳士風の男。

女と男が細かく競り合い、動きが止まると王子様が声を上げる。


男は焦る様子を見せないが、女の方は若干癇癪を起こしている。

女が女を買う理由も分からんが、随分と私にご執心のようで。

安心しろよ。お前に買われたところで、私が死ぬ以外の道はないからな。


4億。女が入札をしなくなり、同時に執事と思われる男に怒鳴り散らす。

王子様と紳士風の男は変わらず入札し合い、額がさらに上がっていく。


どちらがこの競りに勝つのか。

私だけでなく、周囲の客も目を奪われているように感じる。

やはり、億単位の取引というのもそうそうないのだろう。


だが、そんな流れもようやく止まる。

王子様が5億の入札をしたところで、誰も動き出さなくなる。

……少しの間、この空間の時間が止まる。司会者が叫ぶ。


「5億、現在5億です!

 入札者はセルフィ王子!残り10秒で落札です!

 よろしいでしょうか!カウントダウンです!5!4!」


どうやら、王子様、というのは間違っていなかったらしい。

見た目だけでも、王子様と見紛う美しさにもかかわらず、

まさか本当に王子様だったとは……しかし、これで確信が持てた。


恐らく、この場の誰に買われるとしても、あの王子様以上にいい相手はいない。

だって、あの王子様以外全員顔悪いし。この様子なら、地位も及ばないはずだ。

安心感に満ち溢れて、身体中から力が抜ける。安堵に少し頬が綻び――――


「3!2、っ……!?」


唐突に、オークション会場、最後部の出入り口が勢いよく開かれる。

急な出来事に動揺を隠せない司会者は、思わず声を止め、視線を出入り口に向ける。

司会者だけじゃない。他の客も、王子様も、私だってそちらに目を向けた。


そこに立っていたのは…………なんだ、あれ。

豚、いや、魚……?というか、人間なのか?


首から下はでっぷりとして、歩くことすら困難そうに見える身体つき。

それ以上に印象的なのは、人から生まれたとは思えない醜悪な造形の顔。

魚人顔、という言い方すら、あの姿を言い表すには足りないように感じる。


現れた魚人顔の男に驚愕しているのは、どうやら私だけじゃないらしい。

会場に存在する人間、1人残らず、声をあげることも、動くこともできずにいた。

いや、まあ、そうだろうな。あんなのがいきなり現れたら、誰だってこうなるよ。


そんなわけで、ふたたび時間が止まっている。

誰も喋らない。身動き一つしない。

永遠にも思えるような時間。


ようやく、司会者が止まった時間に気づく。

こんなアクシデント、進行を止める理由にはならないのだろう。

気を取り直した司会者は、カウントダウンの続きを叫ぶ。


はずだった。

遮られたカウントダウンの代わりに。

魚人顔の男から発された低い声が、会場中に響き渡る。


「――――10億だ」


……………………は?

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