ささやかな倦怠期
烏川 ハル
ある男の独白
「なんだかんだで、饅頭うまい」
テーブルの上の饅頭を食べながら、そんな意味不明のセリフを俺が呟いたのは、沈黙に耐えかねたからだったのかもしれない。
いや。
それほど『意味不明のセリフ』でもなかったのか。
「……今さら、私の好みに合わせてくれなくていいわ。どうせ心の中では『居酒屋で饅頭なんて頼むなよ』って思ってるんでしょ?」
目の前の彼女――リョーコ――が、不満そうな顔で、そう口にしたのだから。
きっとリョーコの言う通り、無意識のうちに俺は彼女におもねるつもりで、あんなことを言ったに違いない。
そう思いつつも。
「いや、そんなつもりはないが……」
口からは、自然と、否定の言葉が飛び出していた。
それきり、再び、沈黙が二人を支配する。
ああ、そうだ。
俺たち二人が黙って酒を飲んでいたって、別に構わないだろう。
ここは賑やかな居酒屋だ。
俺たちが静かな分、まるで埋めあわせるかのように、他のテーブルが賑やかにやってくれる。現に今も、隣のテーブルからは、数人の集団が楽しそうにしている声が聞こえてくる。
「なんか帰りたくないな」
「こんなの初めてかも」
「たまには良いですな。こうやって、部屋から出てくるのも」
そんな言葉が飛び交っている。なるほど『初めて』『たまに』と言うくらいだから、まだまだ初々しい、楽しい時間なのだろう。
何度も飽きるほど顔をあわせてきた俺たち二人とは、対照的だ。
……いや、俺たちだって「互いの顔を見るだけで幸せ」って時期があったはずなのに。
そんなことを考えていると、リョーコがポツリと呟いた。
「オフ会らしいわ」
「オフ会?」
聞き返しながら、彼女の方に視線を戻す。
いつもの癖で、リョーコはテーブルに肘をついて、その手の上に顎を乗せている。もう片方の空いた手で、隣のテーブルを指し示していた。
こら、テーブルに肘をつくな。こら、
心の中でそう思いながらも、口には出さずに。
俺は彼女から目を逸らして、そのオフ会の集団へ、再び視線を向けた。
「『緊急メンテナンスなのです』って言われた時は、どうしようかと思ったけど……。おかげで、こうして外に出て、みんなと会う機会が出来たからなあ」
「犯人はあなたですね?」
「……えっ? 何のこと?」
「あなたの特殊プレイが、サーバーに負荷を……」
「待て待て。その『特殊プレイ』って言い方は、やめてあげろ。誤解を招く言い方だし、ここには女性もいるのだから……」
「そうですよ。軽くセクハラですよ、ブラホフォさん」
「うわあ、かよちゃん。そんな略し方は……」
なるほど。
聞こえてくる会話から判断して、ネトゲのオフ会っぽい。まあ、俺はネトゲなんてやらないから、よくわからないのだが。
そんなことを考えていると、再びリョーコの声が耳に入った。
「……ゲーム仲間の、初めての顔合わせ、って感じみたい。最初の自己紹介で『ブラックホールフォーエバー!』とか『スターダストエモーション!』とか『秒殺かよ!』とか、派手なテンションで名乗り合ってたわ」
どうやら彼女は、俺よりも早くから、隣の会話に耳を傾けていたらしい。それに、自己紹介の名前を覚えているくらいだから、よほどそれらが印象的だったのだろう。
「なるほど。前の二つは人の名前というより技の名前っぽいけど、まあゲームの中での人名――ハンドルネームって言うんだっけ――なら、それもアリかな? 三番目のは、自分の特徴『秒殺』プラス本名『かよ』って感じで、いかにも、それっぽいな」
と、俺は、リョーコの発言に同調したつもりだったのだが。
彼女は軽く「はあ」と、ため息をついて。
「あなた……。相変わらずね。そういう、どうでもいいことまで分析しようとする癖」
そうだ。彼女は、俺のこういうところが、少し鼻につくらしい。俺に言わせれば『論理的思考力』なのだが。
「そういえば似てるわね」
リョーコの口調が、いかにも『遠い目をしています』というように聞こえたので、俺は彼女に向き直る。
「……何が?」
「ほら、私たちだって、最初は楽しくやってたじゃないの。どんな些細なことでも、面白くて、新鮮で。あんな感じで」
あんな感じって、どんな感じだ。
でも、なんとなく。彼女の言いたいことも、わかる気がする。
昔は「どうしてそんなに優しいの?」と言われたこともあったっけ。今となっては、信じられない話だが……。
少し、懐かしくなって。
自然と、俺は笑顔になって。
「たまには……。初心に戻る、っていうのが大事なのかもしれないな。俺たちも」
そんな言葉が口から出てきた。
目の前のリョーコは、なんだか、びっくりしたような顔をしている。でも、悪い方向性の『驚き』ではなさそうだ。
俺は、嬉しいような照れくさいような気持ちで、なんとなく手持ち無沙汰に感じて。
再び饅頭に手を伸ばして、一つ、口の中へ。
「なんだかんだで、饅頭うまい」
今度は言葉には出さず、心の中だけに
俺にとっての『饅頭』が何なのか、はっきりと意識しながら。
(「ささやかな倦怠期」完)
ささやかな倦怠期 烏川 ハル @haru_karasugawa
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