終奏 めぐり来る季節へ

エピローグ


「……それにしても、こうして馬車でフィルモワールに向かっていると、色々と思い出しちゃいますね。メル」

「ええ、リゼ。前にこの道をあなたと通った時は、皆が疲れ切っていて眠っていたわよね。期待と不安とで胸を一杯にして、それでもやってくる朝を待ちながら」


 そして、その辿り着いた先で、私は新たな名――メルセデス・リーフェンシュタールを手にし、リゼたちと新たな生活を始めた。あれからまだほんの少しの時間しか経っていないのに、もうずっと遠い昔のようにさえ思える。


 フィルモワールに辿り着くまでの道のりも、本当に困難と試練の連続で、私とリゼは、何度も命を落としかけた。しかしお互いを想い合っていた私たちは、その全てを乗り越え、自分たちが思い描いていた未来を手繰り寄せることが出来た。


 どんな死地に在っても、必ず活路はある。

 見い出せないなら、切り拓けばいい。

 それは私に剣を教えた師匠の言葉。


 ――あの人が私に課した心身の修練は本当に過酷で滅茶苦茶だった。

 されど、あの時のおしえがあったからこそ、私はこうして今も生きている。

 これからもきっと、胸に刻んだその言葉たちを、忘れることはないでしょう。


「皆に会うのも久し振りですね。これまで何通か手紙を頂戴しましたけれど、どの手紙からも皆の息災と上手くやっている様子が伝わってきて、正直安心しましたよ」

「ふふ、そうね。中でもシャルの方は一時大変な事態に見舞われていたみたいだけれど、あの面子だけあって何とか無事に乗り切ったようだし、大したものだわ」

「はい。私たちもエセルのアンブロシアに使う材料が確保出来て何よりです。過去には色々ありましたが、私はやっぱり……繋がった誰かが欠けるのは、嫌ですから」

「私も同じ気持ちよ、リゼ。生きていれば、辛いことは山のようにあるけれど、その中に時折、宝石のように輝いて見える一時が、ふっと姿を現す瞬間がある」

「ええ、分かります……」

「私はね、リゼ。その時間が本当に尊くて愛おしくて、大切なものだと思っているの。だから彼女――エセルにも、この先に続いている道を、命の続く限りしっかりと歩んでいって欲しいの。そうすればきっと、見えてくるものがあるから」


 かつて自分たちの命を脅かした相手を、助けるために各地を奔走する。

 それは言葉だけを取って見れば、俄かには理解し難い行動だと思う。

 されど私は、今を生きようとするエセルの、力になってあげたい。


 お母様は生前、この私に常々言い聞かせてきたことがある。

 幼い頃から何度も、あの優しい瞳で私を包む込むようにして。


『人にされて嬉しいことを、あなたも別の誰かにしてあげなさい。紐付きの心ではなく、相手を慈しむ想いが、いずれ巡り巡って、あなたの助けとなるはずだから』


 概して人は、対価や報酬を得られない利他的な行為を避けるもの。

 それは、自分の心に余裕がない中であれば尚更のこと。


 ただそれでも、誰かの力になりたいという気持ちが相手の心を動かし、その相手がまた別の誰かに想いを贈って、さながら輪のように繋がっていくことがある。


 そしてその想いが連綿と繋がっていったその先に、もし自分の背中があったなら、きっとそれはとても幸せなことだというのが、母の訓えの一つでもあった。


 既に私の想いは、リゼにレイラ、エフェスに伝わり、そしてエセルやアンリ、シャル、エステールと繋がって、今では一つの大きな輪を描いている。けれど、この想いの輪はここからさらに大きく、色々な方向へと果てしなく拡がっていくはず。


 でも私の想いはきっとまだ、ようやく独りで歩けるようになったばかり。

 だからこそ、立ち止まってはいられない。伝えたいことが沢山、あるのだから。

 

 もちろんこの私と一緒に歩むことを選んでくれたリゼ、あなたにも。


「しかし手紙といえば、レイラがあのリンデと急に親密な仲になったみたいで、ちょっと驚きましたよ」

「リンデは、自分の意見は頑として譲らないところがあったけれど、心根はとても優しい子だと思っていたわ。それに彼女は、妖魔のことを誰よりも深く真剣に考えていたから、ぜひこれからもレイラの良き理解者であって欲しいものね」


 人と妖魔、その間に生まれた半妖であるレイラには、レイラにしか分からない悩みや葛藤が、これまでもずっと胸の奥底でくすぶっていたはず。その中にはきっと、この私たちにさえ伝えられなかった心の声があったのでは、と思う。


 どうやらリンデは、レイラがこれまで秘めてきた心の扉を自ら叩き、その奥にあったものを全て受け容れ、お互いに心を通じ合わせることが出来たようで。手紙の文面からしても、今では二人でとても良い関係を築けている様子だった。


「それと最近エフェスから送られてきた手紙によれば、あのエセルがとても活発に動くようになってきたそうですが、先の遠征合宿がきっかけなのでしょうかね」

「どうやらそのようね。帰ってから話したい秘密の話もあるって言っていたけど、きっと何か大きな出来事があったはずだわ。コレットという新しいお友だちもできたと言っていたし、そういった意味でもますますエセルには、これからのより多くのものを学んで、知って、そして生きるという感覚を感じてもらいたいわね」


 以前エセルは、人ではない自分が生きていく意義を見い出せないまま、いつ止まってもおかしくない魔核と運命を共にする覚悟を決めていた様子だった。


 エフェスは時折、エセルが黙したまま、何処か遠くを漠然と眺めている光景を目にしたと言っていたけれど、それはおそらく、彼女なりに自分の生きる意味を必死に見つけようと、その思いを深く巡らせていたのではないかと思う。


 でもエセルは、先に彼女たちが参加したという遠征合宿の中で、何かとても大切な感覚を得ることが出来たのかもしれない。だからこそ、自分の中に流れていく時間の重みを感じながら、エフェスたちと一緒になって、この今しか出来ないことをやろうとしているのではないかな、と私は感じる。


 フィルモワールに戻ったら、真っ先に工房に向かって、エセルがもつ魔核の機能維持に必要とされる、アンブロシアの調合作業に取り掛かりたい。


 完全な再現には至らなくても、次へと繋げられる時間を稼ぐことは十分に出来るはず。あとはシャルたちにも支援をしてもらって、いずれは忍び寄る死の運命に脅かされることなく、私たちと一緒にこれからの時代を歩んでいってほしい。


 必要のない命なんてきっと存在しない。それぞれの命に、きっと唯一無二の意味があるはずだから。いつかエセルにもそれを知る日が来ることを願って、私は私に出来る限りのことをしよう。それがまた、私の生きる意味の一つにもなるはず。


「あ……見てください、メル。ロイエの魔柱石がはっきりと見えてきましたよ。もうすぐ、皆のところに辿り着きますね!」

「ええ。この微かに流れてくる海の香りも、あの日のままで何も変わらず、私たちを導いてくれるようだわ」

「まずはアンブロシアの調合が最優先ですが、私たちの帰りを楽しみに待っている人たちにも、あとで沢山の土産みやげ話を届けてあげましょうね」

「ふふ、そうね。それに今回はちゃんともあるから、そっちを期待している子にもしっかり応えてあげなくっちゃね」

「……ですね! ではメル、ここからまた新しい私たちのお話を、始めちゃいましょうか?」

「もちろんよ、リゼ。これから皆で、ゆっくりと描いていきましょう。この終わらないお話の続きを、ね」


 私とリゼと、沢山のお土産とを乗せた馬車が、フィルモワールへと駆けていく。

 かつて私が目指し、そして手に入れた、私たちの帰るべき場所に向かって。

 新しいお話のページを、この今の一瞬でさえも、色鮮やかに描きながら。

 

 私たちの物語は、またここから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花のゆくえ 綾野 れん @pianeige

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ