憧憬少女と楽園の王子さま②
知りたくないと言えば嘘になる。結局のところ、私は綾間さんのことをほとんど知らないままだった。私が悪いのだ。私は彼女のことを知ろうとしていなかった。彼女の周りの友達の内、誰が倉敷ここみなのかわかっていなかった。彼女が本当に微笑んでいる相手が誰なのか、知らなかった。
私は最初、綾間さん…彼女を見ているだけで満足していた。でも、そんな満足し始めた私に気が付いてこの行為をやめた。目的が変わってしまった私に失望したのだ。
◆◆◆◆
ねえ、あの子のことについて教えてあげようか。
あの子のこと、教えてあげる。
だって貴女、知りたいでしょ?どうして、こうなったのか。
◆◆◆◆
反芻する。この空間で後ろを向いているのは私ひとりだけだ。
「貴女、綾間さんのこと知ってるの!?」
いけない。思わずトーンが上がってしまった。声を静める。
「ええ。私の知っている話を貴女にしてあげられる。どう?」
この人の知る、あの人の……。数秒考え、いや考える振りだったのかもしれない。答えた。
「……わかった。私、彼女たちのこと全然知らなかったの」
彼女は優しく微笑み、葬式という空間に合う表情を浮かべた。そして彼女は語りだした―――
◆◆◆◆
綾間紫苑はいわゆるお金持ちであった。何一つ不自由無い環境で暮らしてきた。しかし、学校という環境に置かれたとき、彼女は初めての経験をした。
友人だ。自分の指示で動かない人間は親だけだと思っていた彼女に友人というものは衝撃を与えた。
しかしこの思いもすぐに消え失せる。ヒエラルキーを形成し始めた群衆は明らかに強かった綾間紫苑をひいきし始めた。彼女は友人に興味を失い、裏では文句を言ってることにより、さらに拍車をかけた。
高校に入ってからも取り入る人間が存在したが、興味が無いなりに対応していた。しかし、倉敷ここみは違っていた。クラスでひとり、席に座って前を見ているだけの人。どうして私に話しかけないのか?色々考えた結果自分と同じ答えなのだと気付く。
私が友人に興味が無いように、彼女もきっと友人に興味が無いのだ、と。気づいたその日から、彼女はほとんど初めて、自分から友人を作るということをした。毎朝挨拶をする。とりとめの無い話題をふる。帰るときにはまた明日ね!と声をかける。そんな日々を繰り返していたが、倉敷ここみは鈍い反応しかしなかった。
「おはよう、倉敷さん。…今日も髪を下ろしてるのね。きっと上げた方がすっきりするわよ?ほら…」
「やめて、私は好きでこうしてるんだから」
「…やっとまともな反応をしてくれたのね」
その日返答があったのはそれっきりだったが、綾間紫苑にとってそれだけで十分に感じるほどの進歩だった。実際これは重大な一歩であり、それから倉敷ここみはよく反応するようになった。1か月も経つ頃には、
「お昼、一緒に食べない?」
「もう…綾間さんも懲りませんね。きっと倉敷さんはひとりで食べるのが好きなのですよ。私たちだけで頂きましょう?」
「…そんなことは、ない。食べる」
「あら、まあ」
といったように、綾間紫苑のグループと共に行動することが増えてきた。笑うことが少なかった倉敷ここみは多くの人と過ごすことで笑うことが増えたし、明るくなった。綾間紫苑は友人を作る、という行為を17歳にして初めて成功させたのだ。
でも、正確にはそんなものじゃなかった。倉敷ここみが笑う度に心臓は高鳴ったし、他の人と楽しそうにしているところを見ると、
(私が彼女をここまでにしたのに)
という考えがよぎる。こんなのは今までで一度もなかった。経験の無いことはわからない。
そして、綾間紫苑がトイレに席を外したとき、「私も」と言って倉敷ここみがついていった。その時はたまたま、他に誰もついていかず一瞬だけ二人っきりになった。少しして二人は帰ってきたが、それからというもの様子がおかしい。よく目が合う。その度に、二人で笑い合う。
みんながみんな気にしないようにはしていたが、よく目線が合うということは密かに噂になっていた。しかし絶対に本人に届かないようにだ。中学の頃のことを人伝に知っていた人物が、『綾間紫苑の根も葉も無い噂を流した人物が家ごと引っ越した』というケースを周囲に伝えていたからである。因みにその人物は既にこの高校にはいない。本人が知らなくても彼女のシンパは何人も存在していた。その内何人かは直接雇われていた、という噂もあるくらいだ。過保護な親だ、と笑うのは勝手なのだろうが安全は保証されない。
そんな、人生で最高潮を過ごしていた綾間紫苑だったが、ある日倉敷ここみが学校に来ていないことに気付く。健康そのものであり、サボる性格でもない彼女。生まれて初めて風邪でも引いてしまったのか。ならお見舞いに行かないと…と考えていた。
だが、シンパから「どうやら倉敷ここみが殺害されたらしい」と伝えられてしまうのだ。彼女は教師を黙らせ早退し、急いで彼女の家に向かう。そこは地獄だった。鳴り響くサイレン、警察。右往左往する救急隊員。そこには既に、救助すべき人命は跡形も残されていなかった。
何故、倉敷ここみとその家族が原型をとどめずに、全員殺されなければならなかったのか。放心して気が付くと家に戻っていて、そのことに気が付いてから彼女たちのことを考えていたが答えは出ない。そして何日か過ぎ、倉敷ここみの葬式で思い詰めた彼女だったが。ここで。
◆◆◆◆
「貴女に話し掛けられるのです」
突如、銀髪の女の子は私の瞳を見つめる。綺麗なその、薄く開いた蒼い瞳には小さい鏡のように私が写りこんでいた。
「…はい」
彼女を見ていたことがバレないよう、相槌を打った。
「申し訳ない。実は私、あの近くにいたのです」
「そう、でしたか」
私は彼女――綾間紫苑――を見ることに夢中で、周りに目がいかなかった。それでも、彼女と楽しそうに微笑む――名前はその時まだ知らなかったが――倉敷ここみが視界に入った。私は、そこに踏み入れることができなかった。花園。汚れたボロキレのような人間を魅了し、中に入れなかった禁断の。
「私、は」
にこやかに、優しく微笑む銀髪の女の子。
「私は……綾間さんに憧れてた。でも……綾間さんは一度ぶつかった私のことなんて覚えてなくて、倉敷さんと二人で、世界は完結してたんだ……」
私の頭をふわっと撫でる銀髪の女の子。撫でるのを止めたかと思うと、耳元に顔を寄せ、小声で囁く。
「でもね。私は貴女のこと、好きだよ。私は貴女が憧れてくれるような人じゃないかもしれないけど。でも……私は、貴女に好きって言ってあげられるよ」
きっと、これは告白だ。真っ白になりかけた意識を戻すと、銀髪の彼女は椅子に真っ直ぐに座り、にこにこと表情を崩していなかった。でも、頬は少し赤らんでいた。
「今悲しくても良いと思う。でも、私は笑顔の方が好きだから。貴女を、笑顔にしたい」
――私は人生で人に好意を向けられたことが無かった。初めての経験、それは性別が関係無かったのか、元々女の子が好きだったのかはわからない。そもそも、私みたいな人間には無縁のものだと思っていた。でも、それでもこうなっているのは仕方がない。
私は感じたことの無い胸の高鳴りを、もっともそれに相応しくない場所で感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます