第45話「ダム破壊計画」

 崖伝いの道のりは目の前で大きく右へ曲がり、薄もやの立ちこめる林の中へと消えている。その向こうにぼんやりと見えてきた三つの人影。そのうち一つがはっきりとした姿を取り、こちらへと突き進んでくる。まだあどけなさの残る顔立ちの少年だ。ぶかぶかの旅装は借り物だろうか。

「こっちへ!」

 呼びかけに足が速まり、喘ぎ喘ぎ私たちの懐に飛び込んでくる。

「おおまかな状況は理解しています。私たちの後ろにいてください」

 彼は速度を落とすことなく走り続ける。そして、雄叫びを上げて私の方へ突進してきた。

「うわあああああああああああああああああああああ!!」

 え、なんで?

 驚きの余り身動きの取れない私の目の前へアトミールが飛び出した。二人もつれ合い地面に転がる。少年は脚を懸命にばたつかせて崖の方へと大地を蹴る。転がる二人の行き足は止まらない。助けに入ろうと思う間もなく、そのまま崖の下へと消えていった。

「ひゅう。上手く行きましたね先輩。あいつホントにやりやがった」

「まあまあ、見てろよ。ここからが大詰めだぜ」

 少年の来た方から声がした。

「ようこそ、ようこそ。お客さん。こんな山奥までよく来なすったな」

 大股歩きで近付いてくる二人の男。二人とも小柄ではあるけれど、がっしりと骨太だ。兵や農民によくある体格だな、と思う。そのうち丸顔の方が「先輩」とすると、面長の方が「後輩」か。

 アトミールはいない。彼女が崖から落ちた程度でどうにかなるとは思いたくないけど……。でも、少なくとも今戦力として期待できる状態ではない。目の前の二人をどうにかしなければいけない。それも私一人で。汗まみれの手を服で拭って剣を抜く。

「お嬢さん、今までは何でも選べるご身分だったかもしれないが、こうなっちゃあそうもいかねえな。だが、こんなとこまで巡察にお越しになった勤勉さに免じて今は選ばせてやろう。戦って死ぬか、どこぞへ売り飛ばされるか。命が惜しければ剣を捨てて跪け。さもなければ名誉の死ってやつをくれてやろう」

 万事が窮したと思うと不思議なことに頭が冴えてくる。そう、時間稼ぎだ。時間を稼げば何か考えも湧くかもしれない。

「折角免じて頂けるなら、質問をする権利も与えていただけませんか?」

「手短にしろよ。時間稼ぎは嫌いだ」

 あっさり見破られている。この賊、見た目の割に頭が回る。

「私たちを陥れた手口くらいは教えていただけませんか」

「先輩」はあごひげを撫でながら口の片端を吊り上げた。

「いいだろう。見張りがやってくるお前たちを捉えた。村まで巡察に来られると厄介だからな。大人数を割くわけにもいかん。そこで村のガキを丸め込んで捨て身の鉄砲玉に仕立てたって訳だ。さて、質問の時間はおしまいだ。答えを聞こうか」

 売り飛ばされるのは絶対嫌だ。でも、従順な顔をしたほうが時間稼ぎにはなるかな? いや、最悪の場合私を人質にとってアトミールまでどうにかされかねない。これはまずい。

 じゃあ戦って勝てる? 二対一、だいいち別に剣術は得意じゃない。勝ち目は薄いだろう。

 逃げる? これだって相当な賭けだ。計画的な相手のようだから、下手をしなくたって待ち伏せがいる。私たちの存在を報せた哨兵がいたくらいなんだから。

 降伏したふりをして不意を打つ。剣を一旦捨てれば賊のどちらかがそれを取りに来るだろう。そこをとっておきの拳銃――流星銃の代わりにフェリから借りた現代銃――で撃つ。剣を取り返し、もう一人と戦う。……こんなに上手く行くかな?

 すうと深呼吸しながら、今までに挙がった案を吟味する。うん、戦うしかない。不安しかないけれど、最後の案を選ぶことにした。

 黙ってしゃがみ、剣を地面に置いた。さりげなく手を後ろに回して拳銃の留め具を外しておく。

 十歩後戻り。小さく口笛を吹いた「後輩」が剣へと駆け出す。

「おい待て! まだ――」

「先輩」はまだ警戒を解いていなかった! 全身の毛が逆立つ。もうためらってはいられない。銃を抜いて「後輩」へと向ける。「先輩」の声に立ち止まった彼へ向け、私は引き金を引き絞った。

 乾いた発砲音、鋭い衝撃を受け止める。銃口から噴き出す硝煙。戦果を確認している余裕はない。立ち尽くす「後輩」に駆け寄って蹴倒し、取り返した剣で喉元を貫く。生温くぬめる液体が体にかかる感覚。それが何であるかを意識した刹那、胃から何かが逆流してきた。「先輩」が迫ってくる。憤怒の形相をまともに見てしまい、吐き気と入れ違いに恐怖心が盛り返してくる。

 必死に振るった剣が「先輩」の剣と金切り声を上げてぶつかる。ぶつかった衝撃を使って飛び退こうとしたけれど体の方が付いてこない。よろけて尻餅をついてしまった。すぐ後ろには断崖。背筋に冷たい稲妻が走る。

 無防備私にゆっくりと近付いてくる「先輩」。当初彼の顔にあった勝者の余裕はすっかり消え失せている。

「女役人二人ていど片方だけでも始末すればどうとでもなると思った。俺が甘かったよ。剣もいい鍛冶の作だな」

 足下に荒々しく突き立てられる幅広の剣。後ずさろうとするけれど、もう拳一個分下がったら崖だ。「先輩」は剣を抜き、大きく振りかぶる。迫り来る死と向き合うのが怖くって堅く目をつぶる。ああ、折角守ってもらったのに。ごめん、アトミール。私一人じゃこれが限界だったよ。

 そのとき風が背中を撫でた。引き続いて聞こえる何かの破裂音、金属が地面に落ちる音。もしかして。これは、もしかしたら。薄目を開けると、そこに立っていたのは、私が待ちわびた人だった。

「彼の手当てで遅れてしまいました」

 先程の少年が彼女の小脇に抱えられてぐったりとしている。「先輩」はその向こうにおり、柄から先がなくなった剣を持って立ち尽くしている。その剣を切り落としたんだろう古代剣は「先輩」の首を捉えて動きを封じていた。

「ば、馬鹿な。ここから落ちて無事だったのか!?」

「剣がピッケルとして利用できましたので」

「そんな無茶なことがあるか!!」

「あなたに理解して頂く必要はありません。どうせ気になって仕方ないだろう私の主人のための説明をあなたにも聞く機会を提供したに過ぎません」

 うんうん。アトミール。だんだん私のことがわかってきたね。私、嬉しくなっちゃうな。それにしても凄い剣幕。私のことで怒ってくれてる? ちょっと嬉しいかも、なんてのんきな考えを打ち消す。まずは彼女を止めないと、このままじゃあ「先輩」を殺しかねない剣幕だ。怒りに駆られて人を殺すなんてアトミールに経験させちゃいけない。つとめて平静を装って咳払いし、立ち上がってアトミールの肩に触れる。

「ありがと。もう大丈夫」

 アトミールは黙って横にずれた。剣はそのまま吸い付くように「先輩」の喉から離れない。私は自分の剣を納めて尋問を始めることにした。こほん、態度を切り替えないとな。

「三等地方政務官クロエラエール・ヒンチリフは、自身すなわち公職者に対する威力の行使を認めた。被疑者が重粗暴現行犯であり、安全に護送することが困難である場合、その場にある最も高位の公職者が、その公職者の属する行政区等の規則に則って被疑者を取り扱うことが連邦法により認められる。武器を捨て跪き投降しなさい」

「先輩」はしばらく考え込んでいたが、肩を竦めると切り落とされた剣を後ろへと放り投げた。

「忠告しておくよ。俺は今、この鉄屑を後ろじゃなくてあんたに向かって投げることだってできた。二人は無理でもあんただけなら道連れにできたかもしれんよ」

「試みようとした瞬間にあなたの腕を切断することだって可能だったんですよ。あなたは賢明な判断をしました」

「先輩」は口の端をひくつかせ、流し目にアトミールを見た。

「ハッタリ……とも限らねえな。参った。降参だ。命を保証するなら何だって協力するよ」

「先輩」の口からは、水源地を人質に取った脅迫計画が語られた。水源地はもともと古代に川をせき止めて作った人工湖になっている。これを破壊すれば大水害が起きて水源としての能力も大幅に損なわれる。アストーセの存続に関わる事態だから、破壊しないことと引き換えに金を要求すれば簡単に屈するだろう、と。

「ダムの破壊なんて大工事を素人の住民にやらせる? できっこない。何か隠しているでしょう」

 私にできる限りの努力をしてなるべく迫力のある声を出したけど、怖がってくれているだろうか。これでもっと喋ってくれたらいいんだけど。

「知らねえよ。かしらは何か考えがあるようだったが、俺たちにも教えてくれなかったんだ」

 態度だけは反抗的、行動は協力的。気味が悪くなって思わず尋ねる。

「その頭とやらを裏切って良心は咎めないんですか」

「俺はあいつに恩を感じちゃいないからな。儲け話があるから付き合えと言われて付き合ったまでだ。たく。よりによってこんな奴らを相手にする羽目になるなんざあついてねえよ。なあ、あんたら……っていうか、あんた。お付きの姉ちゃん。あんた、人間なのか?」

 アトミールの口から返事はない。私が代わりに答えよう。

「当たり前でしょう。あなたが嫌いな時間稼ぎですか?」

 話題を打ちきり考える。殺してしまっても誰も悪くは言わないだろう。自分に剣を向けた平民を殺す権利が貴族にはある。良かれ悪しかれ世の中はそうして回っている。でも。

 目を逸らしていた方へと僅かに目を向けると、「後輩」の血がどす黒く変色しているのが見えた。

 一人殺しただけでもこんなに嫌な気持ちになるのにもう一人、しかも降参してる相手を? 絶対嫌だ。だいいち私たちはこれから村に行って賊をなんとかしなくてはいけない。有り体に言って彼の相手をしている余裕はない。うーん、どうしよう。

 案その一、このままその辺に転がしておく。山中に人を縛ったまま放置するのは緩慢な殺人です。この場で殺すよりむしろ残酷だと思う。没。案その二、解放する。他の賊と合流されたら私たちの状態が知られる。目も当てられない。没。案その三。改心してもらって味方に引き込む。いやー、難しいんじゃないかな。だいいち改心したことを確認できない。連れて歩くのは火の付いた爆弾を枕にして寝るのと変わらない。心情的にも前向きになれないな。

 このままだと殺すしかない。でも殺したくない。困った。こういうときは人に頼ろう。

「ねえ、ちょっと」

 少し離れた木のそばまでアトミールを連れてきた。早速相談に移りたい。でも、その前に。

「無事で良かったよ。ほんと、心配したんだから」

 抱きしめた彼女の体からは土のにおいがした。厚手でごわごわとした業服の感触がもどかしい。

「こちらこそ。本当ならもっと早くに駆けつけたかったのですが……。少年の救命を優先しました。きっと、クロエさんならそれを望むと思いましたので。私の判断は間違っていなかったですか」

 もちろん。アトミールは私の誇りだよ。そう言えれば格好いいんだけど……。

「ごめん。多分その場に私がいたらそういう判断はできなかったと思う。だから、なんていうかな。ありがとう。臣器をもって君器となす、だね」

 小首を傾げたアトミール。知らない言葉を使ってしまったかなと補足しようとしたとき、彼女が先に口を開いた。

「責任重大ですね。私の行動がクロエさんの評価に影響するということですから」

「そういう責任を下に投げる意味でも使うけど……。私は、逆の意味で捉えたいかな」

「と、いいますと?」

「自分に対する評価は部下のお陰、自分の評価がかんばしくなければ、部下の長所をうまく引き出せないせい、ということ。まあ――」

 言おうか迷って、結局言う。

「私はその辺上手な方じゃないね。偉そうなこと言ってるけど」

 誤魔化し笑い。

「ごめん。悪い癖だね。話が逸れた。あの人、どうしようか。殺したくはないんだけど、連れて行くわけにもいかないでしょ」

 ふむ、と少しだけ間を空いた。

「彼に対する処断は最大限法的手続きに基づいて行われるべきというクロエさんの認識は理解しました。お伺いしますが、現代の一般的な司法手続きはどのように行われますか?」

「この場所で一番正式なのは、地方監部司法局の裁判に掛けることかな。今の状況だと、略式に私が裁くこともできるんだけど……」

「行政と司法が全く分離していないんですね。予想はしていました」

「行政司法に不服な場合は法務司法に上訴することはできるけどね。巡回裁判になるから半年くらい待つし、地方行政長官とか地方監の承認がない限り刑は仮執行される。巡回裁判でひっくり返ったらそこまでに課された刑の分だけ補償金が出ておしまい。軽い罪ならあんまり意味がないんだ」

「死刑や身体刑の場合は扱いが難しそうですが」

「法務上訴は生きてる人の権利だから、巡回裁判が来る前に死んじゃったらおしまい。一応特別措置として上級の行政司法に執行差止請求を求めることはできるけど、あんまり通らないって聞くね。現場の行政司法にも面子があるから」

 アトミールはあまり納得していなさそうだ。それはそうだと思う。彼女はきっと、古代の公正な裁判と比べているんだろうから。

「古代の裁判はどうだったの」

「三審方式が採用されていました。一審は無人機が行います。判決に不服なら上訴、二審は伝統的な裁判官と検察官、弁護人による裁判です。これでも不服なら人機併用裁判が待っています」

 二審についてはだいたい今と一緒だ。もちろんずっと洗練されてはいるだろうけど。でも、一審と三審はいろいろ聞いてみてもよくわからなかった。理解するには前提知識が必要で、その前提知識を理解するには前提知識が必要で。今そこまでの余裕はなさそうだ。仕方ない。棚上げにしよう。

「そういうわけだからアストーセまで連れていきたい。でも、そんな余裕はないでしょ?」

「全力疾走すれば日帰りも不可能ではありませんが、その間クロエさんが無防備になってしまいますからね。推奨できません」

 うーん。私、足手まとい! 悲しくなるので考えないようにしよう。

「集落に連れて行けるなら手っ取り早いんだけど。状況がわからないのが難しいところだね……。うん?」

 足下で聞こえた呻き声。先程の男の子が息を吹き返したようだ。

「大丈夫?」

 かがみ込んで話しかけはするけれど、先程のこともある。片手はすぐ剣を取れるように。

 目を開けた彼の瞳は怯えて揺れた。

「ひ……! 来るな!」

 ぶんぶんと手を振って抵抗しようとしているけど、訓練らしい訓練もしていないんだろう。軽くいなしてそばに剣を突き立てる。彼の視線は刀身の血糊に向かい、次に捕縛された「先輩」と「後輩」の亡骸へと向かう。観念したように大人しくなった彼を見下ろしながら、怯えさせてしまったかと後悔した。難しいな。ここから彼の立場、全体の状況を聞き出さないといけない。頭の使いどころだぞ、クロエラエール・ヒンチリフ。

「私はクロエラエール・ヒンチリフ。ヒンチリフ行政区の三等地方政務官です。わかりますか?」

「お役人、さま」

 黙って頷き、話を続ける。この感じだと、あまり難しい語彙は使わない方がよさそうだ。

「あなたは私の大切な仲間を傷つけました。私は役人としてあなたに罰を与えることができますが、そうするつもりはありません。ただし、あなたに悪い心がない場合に限ります。あなたは何故あの男たちに従っていたのですか。あんなことをしたらあなた自身生きてはいられなかったかもしれないんですよ」

「…………そうすれば村のみんなが幸せになるんです」

「あの男たちは地方監閣下を脅迫……つまり脅してお金を取るつもりでした。その分け前があなたたちに来る保証はないですし、手に入ったとしてもそれは罪を犯して得たお金です。そんなもので豊かになりたいというんですか?」

 胸の中が冷たくなっていく。犯罪に加担することに自覚的だったとするなら、彼もあちら側・・・・だ。

「だって! 税を納めに山を下りるたびに街はどんどん賑やかになっていく。暮らしに必要なものを買おうとしても作物はどんどん安くなっていく。山賊連中が言うみたいに、畑仕事より商売のほうが大切な時代になったんでしょう。でも、俺たちの村で売れるものなんてあの湖だけなんだ! 俺が死ねばその分兄ちゃんや妹たちの食う分は増える。あいつらの役に立てば分け前だってくれる。お役人なんて街で威張ってるばかりなんだろう? 俺たちを見にも来ないで!!」

 彼の言い分を聞いていると私は後ろめたさに襲われた。ヒンチリフはここ何十年かで大いに栄えた。ヒンチリフには大陸間貿易の中継港としての価値があったからだ。遠くの土地同士で物を売り買いすることが盛んになる時代を見越して港湾開発に投資をしたキシュトルさまに先見の明があったのは間違いないけど……それは、幸運に支えられた慧眼というべきだと思う。

 彼の言い分を認めるわけにはいかない。絶対に認めるわけにはいかないが、彼らのように時流から取り残された人たちは大勢いるのではないか。彼らの焦りと孤独感につけ込んで悪の道へと誘い込もうとする人々がいるということに身の毛のよだつ思いがした。これは、目の前で頭を垂れている少年に罪を償わせることで解決することとは思えない。貴族らしいところを見せるべきとき、だと思う。

「よく言ってくれました。ここの担当者の仕事ぶりは知りませんが、役人の仕事の根本は民の困難を束ねた力によって打ち破ること。賤吏の身とはいえ、私にも何かできることはあるはずです。その代わり、今ここで誓ってください。賊にそそのかされて手を染めていたような行いは今後決してしないと」

 こくこくと頷くのを確かめてから私は剣を納めた。

「ところで……。ここから村までの間で、普段使わない小屋みたいなものはありませんか。こう、人一人をしばらく閉じ込めておけるような。ほら、あの男を捕まえておかないといけないでしょう?」

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