たばこの看板

青木 海

たばこの看板

 あ、今日もお婆ちゃんいる。


 昼下がりでお客さんもいなくなり、バッシ*をしながらふと外をみた。

 うちのバイト先の、道をはさんで向こう側にあるのは昔ながらの何でも屋さん。お店の名前がカタカナで アレコレ って書いてあるんだけど、昔からあるせいか字がぼやけて アレコレ が何故か アリンコ に見える。なので私はアリンコ屋さんって呼んでいる。


「葉ちゃん、今日はもう上がりでもいいかな」


 マスターから申し訳なさそうに声をかけられた。本当は16時までのシフトなんだけど、きっとマスターはお見舞いに行くからだとすぐに合点がいった。


「マスターも早く上がって、奥さんのところ行ってください。息子さんにも会いたいでしょう。」


 マスターの奥さんは遥さんていうのだけれど、とても美人でいい人だ。遥さんは昨日の朝9時に破水して午前3時までお産を続けたのだそうだ。マスターもつきっきりで疲れていたはずなのに稼ぎも必要だし、私のシフトのことも考えて店を開くことにしたんだそうだ。

 だけど、今日のマスターはなんだかそわそわしていたのでやっぱり早く帰りたいのだなと私までそわそわしてしまった。


「ありがとうね葉ちゃん」

「また遥さん元気になったらお店に連れてきてね!」


 もちろんと言い残しマスターは先に帰って行った。私も身支度を済ませ鍵をかけると、アリンコに立ち寄る。お婆ちゃんが向かい側に座っている感じも、カウンターのちょっと傷がついた木の感じも私は大好きだった。


「これください。」

 私はオレンジジュースの瓶と100円をカウンターに置くと、お婆ちゃんはにっこりとして100円を受け取った。

「葉ちゃん、いつもありがとうね。」

 お婆ちゃんは、年輪がついてるような響きのある声だなって私は思ってる。お婆ちゃんの声を聞くとすごく安心するんだよなあ。


 私はまたくるねと言って歩きながら家路についた。

 さっき冷蔵庫から出したばかりの瓶のオレンジジュースはバイト終わりにもってこいだった。

 私は一気に半分まで飲み干すと、ぷはーとおじさんみたいな息をついてしまい、すこし恥ずかしくなった。


「葉さんですか、あなた、葉さんですか」


 どこからともなくそんな声が聞こえて私は当たりを見回してみた。だけど、人っ子1人も居ない。

 おかしいなと思いながらまた歩き始める。


「葉さん、あ、行かないでください。僕ですよ。」


 私は誰から声をかけられているか分からず怖さを覚えたけど、声の主はとても優しそうな青年の声だった。それに、なんだか聞いたことのあるような声をしていた。

 少し目線をさげると、ありんこ屋にある縦50センチくらいの たばこ と書かれた赤い看板が後ろに立っていた。


「もしかして、あなた?」

 私は彼に聞いてみると夕陽が看板にさしてきて、そうだよ、そうだよ、と言ってるみたいだった。


「葉さん、僕のこと、あっ、僕って看板じゃなくて、僕本体のことなんです。今の僕が本体って言うと看板になっちゃいますけど、僕が言う本体っていうのはちゃんと1箱20本入った僕のことで…。」


 彼を人間に例えるなら、先生やお母さんに今日あった楽しいことを伝える小学生みたいで、私はクスッと笑ってしまった。


「看板さん、落ち着いて。」

 私は残ったオレンジジュースを飲み干して、縁石の上に腰掛けた。たばこの看板さんのお話をちゃんと聞いてあげたくなっちゃったからだ。


「ありがとう、葉さん。僕、あの店にあと1箱しか残ってないんです。もう何年も前に発売停止してて僕のこと知ってる人なんていないんじゃないかって寂しいんです。春子さんに、あっ、春子さんっていうのはあのお婆ちゃんです。春子さんに僕のこと吸ってもらうわけにはいかないですし…。」


 そっか、あのお婆ちゃんは春子さんっていうのね。確かに、春子さんがたばこを吸うのは身体に良くない。長生きしてほしいって私も心から思っていた。


「お世話になったんです。僕、春子さんのことは本当のお婆ちゃんみたいに思ってるんです。だけど、このまま売れ残っちゃったらどうしようって。僕、お婆ちゃんに立派なところ見せたいんです。僕でも、ちょっと湿気ちゃってるし人気がない僕でも一人でやってけるんだよって。」


 たばこさんはすごく熱心に話してくれた。目があるとしたらきっと涙目なんだろうなって思った。私は、たばこさんの背中をぽんぽんしてあげた。

 私はどうしようかと迷った。

 まだ17歳だから、煙草を吸えるまであと3年ある。3年って長いよなあ。マスターに頼むことも考えたけど赤ちゃん生まれたばかりだし、遥さんにも悪い。

 うーんうーんと考えてるとたばこさんは申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさい。高校生だとは知っているんです…。もちろん葉さんにも身体を悪くして欲しくない。だけど、僕のこと買ってくれるなら葉さんがいいなって、できるならそうしたいなって思ったんです。そんな、オレンジジュースくんだけずるい、みたいな…」


 さては、看板くん焼きもちですか?そう聞くと夕日が一層濃くなった気がした。



「分かった。春子さんに話してみる。なんか、春子さんなら分かってくれる気がするんだよね。」


 私は彼の照れたような嬉しそうな感じを見て取れた。彼をありんこ屋の近くに寄せてあげて、私は春子さんにありのままを話した。私は少し春子さんがどんな反応をするのか怖かったけど、春子さんはいつも通りの笑顔を見せてくれた。


「立派なところを見せたいだなんて、一丁前のことを言う子なのね。ちょっと寂しいけど、ちゃんと大事にしてくれる人のところにいっといで。」


 お婆ちゃんはカウンターにたばこさんを置いてくれた。私は700円を春子さんに渡した。けど、何故か緊張して賞状を授与さ人みたくなってしまった。それのせいか春子さんはほほほと笑っていた。そして春子さんは、

「そのお金はこれからも私に会いに来てくれるのであればしまいなさい」

といってくださった。


「私、ちゃんとたばこさんのこと大事にするので。大事にするということは、3年後までは健全なお付き合いをするということなので。安心してください。」


 春子さんは、分かってるから預けたのよと笑った。

 私は一礼をして、たばこさんをゆっくりポケットにいれて優しく撫でながら帰った。

 もう、たばこさんが喋ることはなかった。


__

* 客が帰ったあとに机の上を片付けること。

___

このお話はフィクションです。

未成年の喫煙は法律によって禁止されています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たばこの看板 青木 海 @dramacoffee18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ