エンドロール
「じゃあ、時宗君のお母さんが精神病院に入院しているっていうのは嘘なの?」
早絵は訊いた。
「そうだよ。むしろ過去を受け入れ未来を見てる人だよ、あの女性は」
僕はしれっと言った。
「そうだよ、って。時宗君は何の為に?」
「時宗君の父親はお酒に弱いんだ。それに家では一滴もお酒を飲まなかったみたいだし、それに仕事終わってもまっすぐ帰るような人だったんだ。それで、なぜお酒を飲まなきゃいけなかったのか?とうい点に疑問を抱いたらしい」
「なんで雪人が、あなたのお父さんの昔の写真を持ってるの?」
早絵は疑問点を着実に埋めて行く。ジクソーパズルののピースを一つひとつはめていくように。
「父さんの書斎に入ったんだ。ドラムスティックが折れてさ、書斎に予備があるのかなった思って抽斗とか漁ってたら、一枚の写真を見つけた。それに写真には少しばかり血がついてたしね」
僕は、あの写真を見つけたとき、父の過去に興味を抱いた。人が傲慢に、金や権力にしがみつくには、それなりの過去に縛られているからだ。それを解き明かせば父親の正確な人物像が浮かび上がるかもしれない。そう思った矢先に、時宗君とインターネット掲示板で知り合い、なんの運命か、親同士が知り合いだった。まあ、それが父親監禁に至ったわけだが。
「『ファイヤージェノサイド』だっけ?あれはどうなったの?」
早絵はもう答えを知ってるかのように、ニヤッとした。
「極秘裏に熱装置を除去したらしいよ。あんなのが公になったらパニックどころか、疑心暗鬼を誘発する要因になるからね」
そう言って、空を見上げた。気温は下がり、太陽は陰を潜め、空全体が氷河期準備に向かっている。僕はダウンジャケットを着て、早苗はボア付きコートを着ている。それを着ていても若干、寒い。
僕は父親のことを考えた。彼が施設に監禁された日、最後は深く項垂れ、抜け殻のようだった。監禁を解いた後は千住付近で、「俺は間違っていたのかあ」と叫びまわり、選挙演説さながら、「申しわけありませんでした」と誰にいうでもなく、自分に言い聞かせるように声を出していた。
たしかに何かを犠牲にしなければ、父親のように第一線で活躍することは難しいだろう。
が、しかし一つ成し遂げたのならば、他の部分にも目を配るべきだ。母親だって寂しそうだった。先が見えない氷河期という地球サイクルの中で、人類が存続できるかわからないという不安はある。
そう、僕の家族はバラバラだった。氷河期が起こり穴ぐらの中で関係を修復していくのではなく、その前に、この地上の風景を見ながら関係を修復したかった。そのことに父親に気づいて欲しかった。
「ねえ、雪人」
早絵が言う。
「なに?」
「雪人のそのポーカーフェイスって感情を隠すためだったんだね。私は、本当は凄いやさしい人だと思ってたけど。名前のように冷たい印象を人に与えてる、って陰でいるじゃない」
早絵は言った。
「本当にやさしい人は、表には出てこないよ。陰にいるんだ。そして誰かが困ってるときにひょっこり現れて手を差し伸べる。そしてまた陰がさす」
僕は言った。
「表には出てこない、か。じゃあ、太陽がこれから出ないってことは、やさしすぎたんだね」
早絵は笑みをこぼす。
「そうだね。やさしすぎて、たまには不貞腐れてみようかな、と思ったのかも」
僕は太陽が出ていた方向を見上げた。もうそこには太陽のかけらもなかった。あるのは灰色の空だった。排気ガスで染まったような、どんよりとしたものだった。
「なんか、音楽聴きたいね」
「鳴るよ。もうすぐ」
「えっ!」
早絵は訊き返す。
それが合図だったかのようにドラム音が静寂の街に響き渡った。リズムの取れた八ビートを刻んでいる。ハイハットを足でカチカチ鳴らし、リズムに歯切れをもたらしてる。
「どこから聞こえるんだろう?」
早絵はどこか不思議がっている表情をした。
「あそこじゃない」
雪人は向かいのマンション屋上を指差した。そこには男が一人、半袖でドラムを叩いていた。
「もしかしてあれって」
早絵は目を細めながら、向かいのマンションを見た。
「そうだよ。父親だよ」
僕は断言した。
やはり父はドラムをしている姿が似合う、僕は思った。時宗君の母親にお願いして父親の当時の大学文化祭での映像をみせてもらった。若々しいのは当然だが、表情はやさしく、生き生きとしていて、楽しそうだった。いつしか大人は、あの頃の無邪気さを忘れてしまう。別に忘れなくていいのに。だから変な計算が働いてつまらない人間関係を構築してしまう。楽しまなきゃ人生は。
「半袖って」
早絵は苦笑した。
「気合い入ってるなあ」
僕はその光景を眺めた。
その時だった。千住方面からベース音が響いた。なにか陰鬱なものを吹っ切ったかのように明るく滑らかなベースライン。
「なんで?なんでベースが」
早絵は驚いた。
さらに梅島方面からはギターが呼応する。ギター音に幸福が詰まっている。やさしく穏やかに奏でている。恋人や家族のそばで弾いているのかもしれない。愛が詰まった音色だった。
「これは凄いね。ドラムに呼応されて、なにかが一つになろうとしている」
僕は辺りを見回した。足立区全体が音に包まれている。
「ライブハウスっていらなかったんだ」
そう早絵は漏らした。
「どういうこと?」
「街全体で取り組めば一つになることができるってことよ」
「なるほど」僕は頷き、「もうそろそろ君の出番じゃないかな」
僕は早絵は見て、そのそぶりをした。
「指揮?」
早絵の問いに僕は頷いた。彼女はゆっくりとフェンス越しに向かい、二本の足をしっかり地につけ、膝関節をバネのように揺らし、両手を翼のように広げ、指揮を振った。そして梅田付近から歌声が聞こえた。
どうやらビートルズ『アビーロード』をA面から順繰りに演奏しているらしい。その演奏に触発されたのか、灰色に染まった空から太陽が微かに顔を覗かせた。僕は、彼らも最後のやさしさを見せているのだなと思った。
「こんなに音が離れているのに、演奏が合うって奇跡だよね」
早絵は興奮しながら言った。その後ろ姿を僕は眺める。姿勢にブレがないことを確認した。
「ああ、奇跡だね」
僕は空を見上げながら言った。
この音がいつまでも鳴り響いてもしかしたら氷河期を掻き消すかもしれない。もしかしたら太陽も人間が争うのではなく、一つになるところを期待し、それを見つめていたかったのかもしれない。その勇姿を活動を休止する前に見届けたく、姿を垣間見せたのかもしれない。
気づけば顔を出していた太陽はくっきりと研磨された綺麗な弧を描いていた。
太陽ってやさしいな、僕はそう思い、音に耳を傾けた。
アビー・ロード koh-1 @koh-1
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