第14話 赤ランプは見たくない
広いオフィスだった。俺は月曜日の朝、いつもと変わらない時間にいつもと変わらないビルに入る。しかし昇るのは最上階の八階である。
本来俺が行くのは一つ下の七階のオフィスだ。しかしそこにはまだ設備が納入されていないため、初期研修は春香さんのオフィスで受けることになっていた。
「おはようございます」
「あ、池之内さん、おはようございます」
元いたオフィスと同じビルなのに、ほとんどパーティションがないお陰で物凄く広く感じる。その上この部屋にはデスクが四つしか置かれていない。聞いたところだと、秘書課とは言ってもさすがに社長令嬢が誰かの秘書に付くわけはなく、ここは秘書さんたちの統括を司っている部署とのことだった。
「そこの角が空席ですから、そちらにおかけ下さい」
「はい、あの……」
「パソコンを立ち上げて……パスワードはこちらです」
言うと春香さんが一枚のメモを渡してくれた。それに従ってログインすると、ほとんどアイコンがないデスクトップが表示される。前に使ってた俺の端末はアイコンだらけだっけ。
「ログインしたら新プロジェクトというアイコンがあると思いますので、まずはその中の資料に目を通して下さい」
座学からスタートということね。新入社員といっても中途入社なのだから入社式などあるはずがない。いわゆる即戦力として雇われたというわけだ。それにしても春香さん、いい匂いだった。ますますもって竹内には勿体ない人だと思う。
その後ここに出社してきたのは
ちなみに彼女たちもグループ会社の社長令嬢だそうだ。
「池之内さん、お昼はどうされますか?」
「あ、もうそんな時間なんですね」
隣の席の明野さんが声をかけてくれたので時計を見ると、あと数分で正午になろうという時間だった。
「皆さんはどうされるんですか?」
「専務は多分彼氏とだと思いますよ」
「専務?」
「一条さんのことですよ」
春香さん、専務だったのか。
「あ、いえ、今日は約束してませんから」
そこへ春香さんが会話に参加してきた。
「池之内さん、ごめんなさい。週初は忙しくて。でも午後は大丈夫なので、会社のこととかご説明しますね」
「はい、よろしくお願いします」
「そうだ、お昼と言えば私、夏菜が池之内さんと行ったっていうラーメン屋さん? に行ってみたいのですけど」
「は?」
「まあ! それなら私たちもご一緒させて下さい」
「あ、あの、あそこは大衆向けだし、そんなに美味しいってわけでもないですよ。お店もお洒落じゃないですし」
「ラーメンなんて滅多に食べることがありませんし、その美味しくないラーメン屋さんというのも新鮮です」
ご令嬢の考えることはよく分からない。そう言えば夏菜と一緒に入った時も、ずい分楽しそうにしてたっけ。てか美味しくないのが新鮮って、なんかおかしくないか。
「分かりました。ただ今時分は混んでて並ばされるので、少し時間をずらしませんか?」
「いいじゃありませんか。皆で並びましょうよ」
「そうですね、そうしましょう」
三人ともどうしてそんなに楽しそうなんだろう。昼に並ぶのなんて苦痛でしかないのに。もっともこれだけの美人たちと一緒なら悪くはないか。
そして昼は四人でラーメン屋に並び、皆でラーメンを
その週はとにかくひたすら座学と、彼女たちとの楽しいおしゃべりであっという間に過ぎていった。それと毎日夏菜が学校帰りに寄るので、夕方以降はほとんど彼女の相手である。宿題を見たりパソコンを教えたりなんてこともあった。
どうやら夏菜はパソコンが苦手だったらしく、専門用語はほぼ一通り通じなかったほどである。
「そこのウインドウを開いて」
そう言ったら建物の窓を開けに行ったのだ。さすがにこれには皆で笑ってしまったっけ。
そして翌週には下の七階の準備が整ったので、俺はそちらに席を移すことになった。動きが早いことに驚かされたよ。前の会社では考えられないことだ。
プロジェクトの開発環境ということだったが、パーティションで仕切られて鍵がかかったところにサーバラックが六基。そこにはすでにサーバやらネットワーク機器やらがぎっしり詰め込まれていた。
「火を入れる時は社長も立ち会うそうです」
火を入れるとは、これら機器の電源を入れるという意味である。
「じゃ、それまでに一通りチェックしておきましょうか」
「え? 電源入れちゃうんですか?」
「社長の目の前で赤ランプチカチカなんてことになったら目も当てられないでしょう」
赤ランプチカチカ、これは多くの場合機器のエラーを示すもので、実はあまり見たくない光景なのだ。
「なるほど、そういうものなんですね」
俺の後に付いてきた春香さんたち三人はそんなことに感心している。そうして俺の、一条グループでの本格的な仕事が始まるのだった。
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