第7話 お姉さんがいたとは

『お姉ちゃんにライン見られちゃって』

『え? お姉さんいるの?』

『何でそこに食いつくんですか!』


 がおーっというライオンの絵文字付きだった。ようやくこれまでの夏菜のメッセージに戻った気がして少し嬉しい。それと彼女のお姉さんならきっと飛びきりの美人に違いない。


 ところで俺とのやり取りをお姉さんに見られた彼女は、知り合ったきっかけを話す羽目になったそうだ。例の痴漢の一件である。


 彼女のお姉さんは最初、妹が変な男に騙されたと思ったようだが、話を聞いて安心したらしい。ところが未だにまともにお礼も出来ていないと知ってそれはダメだとなったという。お陰で昨日はずっとお説教されていて、メッセージを返すことが出来なかったということだった。


『お姉ちゃんがどうしてもお礼するから、亮太さんに会わせなさいって言われて……』

『それで今日か』


『お昼をご馳走になったことまでバレちゃって、一条いちじょう家の面目めんもくが立たないって』


『一条家?』

『あ、私の苗字、一条です』

『そ、そうなんだ』


 聞くつもりはなかったのにサラッと言われてしまったよ。どうでもいいが金持ちっぽい苗字だな。さすがお嬢様学校の生徒だけのことはある。ところで一条家の面目って。


『ちょうどお姉ちゃんの会社も同じ駅の近くにあるので、そこなら待ち合わせやすいからって言われて断れませんでした』


 これはもう逃げようがないだろう。まあ、美人のお姉さんは二十歳とのことなので、ファミレスとかで晩飯をおごってもらうくらいならいいかも知れない。


『分かったよ』

『じゃ、六時に駅近くのスターボックスの前で』


 ファミレスからスタボに格下げになったが、元々期待なんかしていなかったお礼だ。それに俺は特別なことをしたわけでも何でもない。痴漢から救ったのなんて人として当然の行為である。だからスタボでも充分。


 ところでほとんど手を付けなかったあのアイスオレはもう残ってないよな。


 ほぼ思考停止状態でスマホをポケットに放り込んだ俺は、少し早足で打刻のためにオフィスに戻るのだった。それにしてもとんだことになったもんだ。




「お帰りなさい。本当に定時まで帰ってこなかったんですね」

「お前がいいって言ったんだろ」


 竹内は笑っているので、決して嫌味を言っているわけではない。


「別に何もなかったんで。明日もこんな感じでいいですよ」

「悪いな」


「それはそうと聞いて下さいよ」

「どうした?」

「今夜春香と食事する予定だったのにドタキャンされました」


 春香とは竹内の彼女のことである。ただ、今までこんな彼の泣き言は聞いたことがない。


「おや、とうとうお前もフラれたってことか?」


「嫌なこと言わないで下さいよ。何だか急にどうしても会わなきゃいけない人がいるからって」

「男かな?」

「どうしたらいいですか?」


 知らねえよ。自分だけこの世の春を謳歌おうかしていた報いだと思え。


 とはいうものの、竹内の彼女は育ちのいいお嬢様ということだ。それほどあからさまに浮気なんかするとは考えにくい。おそらく彼の取り越し苦労だとは思うが、面白いからこれは言わないでおくことにしよう。


 そして俺はさっさと打刻だけしてパソコンをシャットダウンする。


「じゃ、悪いけど帰るわ」

「池之内さぁん、慰めてくれないんですか?」


「気持ち悪い声出すなよ。俺はこれから人と会うんだよ」

「え? まさか……もしかして夢園ゆめぞの白百合しらゆりですか?」

「俺が誰と会おうとお前には関係ねえだろ」

「まじっすか! ちょっと待って下さい!」


 竹内は何やらデスクの上を片付け始め、自分も打刻してパソコンを落としている。


「おい、まさかお前、ついてくるつもりじゃないだろうな」


「いいじゃないですか。その子見たらさっさと帰りますから。池之内さんの春を俺にも分けて下さいよ」

「お前に恵んでやる春なんか持ってねえよ」

「まあまあ、途中まで一緒に来ただけってことにして」


 そう言うと竹内は俺をオフィスから押し出して、自分も出てから扉を閉める。


「さあ、行きましょう」


 やれやれ、仕方ない奴だ。こうして俺は竹内を伴って待ち合わせ場所に向かうのだった。


 そこで何が待ち受けているかも知らずに。

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