第5話 知らせた事実

「あれ、池之内さん、何だか楽しそうですね」


 いかんいかん、昨夜の夏菜とのやり取りを眺めていて顔が緩んでいたらしい。特に意味のない会話ばかりだったが、久しぶりに楽しい気分に浸れたのだ。これは彼女に感謝しなければならないだろう。それはいいとして俺は慌ててスマホをポケットに滑り込ませた。


「もしかして例の夢園ゆめぞの白百合しらゆりですか?」

「どうだっていいだろう、そんなこと」


「でもあそこの生徒が電車通学なんて珍しいですね」

「うん?」

「ほら、言ったじゃないですか。めちゃくちゃお嬢様学校だって」

「ああ、聞いたな」


「彼女に聞いたんですけど、ほとんどが送り迎えは車だそうなんですよ。それこそリムジンとか当たり前だって」


 リムジンの送迎がデフォルトってどんな学校だよ。それにしても竹内はごくごく一般家庭の生まれのはずだ。そんな彼がどうやって星五ランクの彼女を手に入れることが出来たのかが謎である。


「どうでもいいけどお前、彼女と俺の話なんかしてるのか?」


「ああ、時々しますよ。十五歳の女の子をナンパした三十路みそじ手前のおっさんだって言ったら引いてましたけど」

「だからナンパなんかしてねえって!」


「冗談ですよ。それより見ました?」

「何を?」

「ニュースですよ。痴漢、捕まったらしいです」


「マジか!」


 竹内の話だと俺が使ってる路線でのことだと言うから、まずあの野郎と見て間違いないだろう。もっとも痴漢なんて一人や二人じゃないだろうから、あの時の奴とは別人かも知れないけどね。ともあれ人生棒に振っちまったな、ソイツ。


「で、どんな奴だったんだ?」


「若い奴だったみたいですよ。仕事クビになってむしゃくしゃしてたとか」

「だからって痴漢していいって法はないのにな」


「ですね〜。池之内さんも気をつけて下さいよ」

「何で俺なんだよ」

「だって仕事クビ……」


「俺はクビになるんじゃなくて自分から辞めるんだよ!」


 もっとも半分クビと言われても仕方ないと思う。有給ないのに時々妻のことを思い出して、とても会社に来られる状態ではなくなってしまって欠勤、というのが何度もあった。そのせいで本社に呼び出されて説教されてたし。これが続くようだと常駐している客先に迷惑がかかるからと、何となく辞めたくなるような言い方されたもんな。


「池之内さん、次の仕事見つかりそうですか?」

「そう簡単に見つかるわけねえだろ。り好みしなけりゃいいったって、給料下がるのは勘弁だからな」


 転職サイトに登録してみたものの、六年間勤めた会社ほどの給料を出してくれるところはそれほど多くないのが実情だ。俺が持っているスキルが大したことないってのもネックになっている。


「条件次第ですけど、彼女に言って仕事世話してもらいます?」

「条件? 何だよ条件って」


「夢園白百合を口説き落とすこと!」


「冗談で人の人生に首突っ込もうとするんじゃねえ!」


 そんなやり取りをしていると、メッセージを受け取ってスマホが振動した。


「池之内さん、スマホ鳴ってませんか?」

「鳴ってるけど今は仕事中だ」


 そう言って俺はトイレと言う名の自由空間に退避するのだった。




『亮太さん、こんにちは。突然ですけど今度の土曜日って何してますか?』


 やはりメッセージの送り主は夏菜だった。相変わらず色んな絵文字が使われたカラフルな文面である。


『今度の土曜日? どうして?』

『お礼するって言ったじゃないですか。私お弁当作るので、どこかお出かけしませんか?』


 女子高生の手作り弁当とは、何と魅力的な提案だろう。しかしその日はダメだ。


『ごめん。その日は用事があってね』

『あ〜、もしかしてデートとか?』

『違うよ。妻の月命日なんだ。だから墓参りさ』


 珍しく夏菜からのレスに間があった。そう言えば彼女には死別した妻のことは話してなかったっけ。


『奥さん、いたんですか?』

『うん。去年の冬に交通事故で亡くしてね』

『ごめんなさい。私知らなくて……』


『言ってなかったからね。気にしなくていいよ。そういうわけで今度の土曜は無理なんだ』

『はい。本当にごめんなさい』


 この後彼女からのメッセージが続くことはなかった。まあ相手は十五歳の少女だ。竹内の言う通り、たとえ夏菜が俺に恋心を抱いていたとしても、それがバツイチだと分かったらさすがに引いて当然である。


 ちょっと寂しい気もするが、元々お礼なんて期待してたわけじゃないし、これで彼女との繋がりもなくなるだろう。


 俺はスマホをポケットに放り込むと、トイレを出てオフィスに戻る。その日の帰り道、満開だった桜は雨に打たれて花びらを散らしていた。

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