【月】月の夜に

 上弦の月が出ていた。

 底冷えする寒さのなか、月明かりを頼りにキンと冷えた井戸水で野菜を洗う。木製の勝手口からは客の楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。


「光太、来るついでに紅さつきを持ってきてくれないか?」


 勝手口が少し空き、店主銀次が声をかけた。光太は振り向いて首を伸ばし「ハイ」と返事をする。


 光太は野菜と一緒に冷やされていた薩摩焼酎『紅さつき』を水から拾いあげ、竿にかかっていたタオルで水滴をぬぐった。

 カウンター式の店内に戻ると銀次にビンを手渡す。銀次は冷えたグラスを冷蔵庫から取り出し大きな氷を二個入れて焼酎を八分目注ぐ。


「はい、お待ち」

「ああ、今日も冷えてるなあ」


 受け取る常連客、坂口の顔は嬉しそうだ。それをちらりと見届けると光太は洗った大根を半分に切り落とし桂向きを始める。スルスルと剥けていく大根を見て坂口が顔をほころばせた。


「光太君、上手くなったなあ」

「いえいえ、まだまだですよ」


 師匠の銀次がはにかんでいる。そうとは知らず光太は真剣な面持ちでけんを刻む。出来たけんを皿に乗せ、それを銀次に渡すと銀次が捌いたばかりの刺身を盛った。

 魚は旬のキンメダイ、脂がのっていて味がよくこの時期非常に美味い。坂口は目を輝かせてそれをひと切れ頬張った。


「おーいしいなあ」


 今にもとろけてしまいそうな表情だ。今度は紅たでとワサビを乗せ口に放りこむと焼酎でぐいっと流しこむ。「大将も一杯やりなよ」と言うがそれを銀次は「店がありますから」と丁重に断る。


「店なら光太君がいるじゃないか」


 坂口は朗らかに笑っている。


「嫌ですよ、まだまだ半人前なんだから。ゆっくり酔えやしないよ」


 師の言葉に光太は笑みを受かべながら、残りの大根を四センチ間隔に切り分け皮を剥き面取りをする。それを鍋に入れて米のとぎ汁を注いだ。

 火にかけると銀次の捌き終えた鰻に串を打つ。最近ようやくさせて貰えるようになった新しい業務だが、打つときはいつも緊張で手が硬くなる。終わりました、と声かけると銀次が「丁寧だがもちっと早くやりな、鰻が待ちくたびれちまうよ」と返した。


 煮えた大根に串がスッと通り、頃合いなので煮汁を捨て水で洗った。空の鍋に昆布を敷きその上に大根を並べ、水を張ると塩と薄口醤油で白目に調え煮込む。別の鍋に味噌とみりんと砂糖と水を加え田楽みそを作る。

 大根に味が付くと火からおろして皿に乗せた。上に田楽味噌をかける。


「坂口さん、味見てくださいますか?」

「いいよ、今日はふろふき大根か。美味しそうだなあ」


 光太は営業時間の合間を見て修行を兼ね、忌憚なく意見を言ってもらえる常連客相手にだけ自作の料理を提供することを認めてもらっている。五年近く勤めようやく許しを得た行為だ。

 ただし、半人前なので代金はとらないという条件付きで。坂口は大根にスッと箸を通す。柔らかい、良く炊けてるよと感心して大根をひとかけ口に運ぶ。

 おお熱い、といいながらハフハフしている。それを飲みこむと酒を煽った。光太はじっと黙って言葉を待つ。

 坂口は酒を飲み、じっくり目を閉じそれからゆっくり一言。


「美味しい」


 光太の顔がぱっと明るくなる。それを遮るように坂口が「ただし……」と言葉を繋ぐ。


「大将の味には及ばないな」

「そうですか」


 思わず肩を落とした。


「他所じゃお金も取れるだろうが、この店じゃお金は取っちゃいけないな」

「はい」

「大将から盗める物はまだまだあると言うことだよ、気を落としなさんな」

「ありがとうございます」


 光太が門戸を叩いたのは五年前の冬のことだった。ふろふき大根のあまりの美味しさに感激して弟子入りしたいと懇願したのだ。最初銀次は、弟子は取らない主義だと渋っていたが料亭を営む両親からの他所で修行させたいという願いもあり晴れて認められた。

 高校を卒業してからでも、という銀次を押し切り中卒で田舎から上京した。はじめは叱られてばかりだった。それでもめげずに修行を続け今日がある。





 勝手口からゴミ捨てに行くと銀次が石に腰かけ酒を飲んでいた。そばには光太の作ったふろふき大根の残りがある。少し食べたようだ。わざと気づかないふりをしてゴミをポリバケツに入れに行くと銀次が背後でつぶやいた。


「上手くなったなあ」


 光太が振り向くと銀次が珍しく笑っていた。


「食ってみろ、美味いぞ」


 皿を持ち勧めてくる。光太は隣に腰かけひとかけ食べた。美味いがやはり銀次の物に遠く及ばない。あの日の感動にはまだ届いていないのか。


「師匠、オレ……」

「まあ、飲め」


 銀次はすこぶる上機嫌なようだった。


「坂口さんはああ言ってたがオレは店に出しても恥ずかしくない味だと思うぞ」


 見惚れたようにグラスに酒を注ぐ。紅さつきの残りだった。


「オレまだ十九です」


 それを聞いて銀次は腕時計を確認した。


「きっかり二十四時、お前今日誕生日だろう?」

「え、ああ、そういや……」

「お前は二十歳だ、記念さ。今宵は上弦の月、じっくり月見酒といこうじゃないか」


 光太は笑んでグラスを受け取る。

 生まれて初めて飲む酒はほろ苦く、けれども暖かかった。






       ◇




あとがき


 皆さま、短編集『ちゃんぽん』を最後までお読み頂きありがとうございます。この作品はわたしがかつて時空モノガタリという掌編小説投稿サイトに応募したものを抜粋して掲載したものです。時空モノガタリはリアリックスさんというモノづくりの企業が運営されていたサイトだったのですが、2019年惜しまれつつ閉鎖になりました。

 当時は2000字の縛りがきつく、毎度どこを削るかずいぶん頭を悩ませた記憶があります。そして最後の作品『月の夜に』はわたしが人生で初めて受賞した作品でして、というか受賞はこれのみだったのですがもらった5000円は今でも使えずにとっています。

 決して優れた作品ではないのですけれど、みなさまのひそかな読書時間の楽しみとして貢献できていたのなら嬉しいです。

 未熟な作品ばかりでしたが最後までお読み頂きありがとうございますm(__)m


                              奥森 蛍

 

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【短編集】ちゃんぽん 奥森 蛍 @whiterabbits

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