第536話 我を捨て友を取る
「俺の目的はここから脱出して本土に帰ることだ。
お前の目的は何だ? 長年ここで浄化されずに存在を保っている以上人並外れた目的が有るんだろ」
こんな世界で戦後何十年と浄化されずに生きていた以上何か強い意志があり、その源泉を知らなければ本当の意味でのこの男との交渉は始まらない。
「・・・」
畔は無言で答えない。ただ俺の真意を探るように俺を睥睨してくる。
冷徹だな。
ここが本土なら他の交渉手段も合ったかも知れないが今の俺は徒手空拳に近い。このとこの本音を聞き出す以外交渉は進まない。
多少危険だがもう少し踏み込み揺さぶる必要があるようだ。
「誇り高い帝国陸軍特務隊さんが、まさか女に酒に暴力と三拍子揃ってやりたい放題できる今の山賊が楽しくて仕方がないとは言わないよな」
其の可能性もないことはない。真面目に生きていた人間ほど枷が無くなりはっちゃけるなんてよくある話だ。そして内に無尽蔵の欲望を抱える人間もいる。
「だったら恥ずかしがらずにそう言ってくれ。俺の見込み違いだったと連れ去った女は全て返して貰うが、俺はそれ以上お前に干渉することなく帰る。後はここで好きなだけ山賊ゴッコをしていてくれ」
「安い挑発だな」
「安いプライドだな」
口を開いてくれたが心はまだ開いてくれない。俺を信用してないというのも有るが、戦前の男だ己の気持ちを口に出すのは女々しいという文化を持っているのであろう。
だからといって俺がこの男の心を思ひ図ってやることはない。俺はこの男の家族でも恋人でも親友でもないんだ、はっきりと口に出して言って貰う。
それこそがビジネス。それこそが交渉。
「下らないプライドに拘って何十年ぶりかのチャンスをふいにする気か?」
「聞いてどうする?」
「知らなければ本当の交渉が出来ないだろ。上っ面だけの交渉では土壇場で裏切られるだけだ」
ここが地上ならビジネスライクの上っ面の契約でも何とかリカバリー出来るかも知れないが、ここでは命取りになる。
「そもそも貴様に何が出来る」
痛い所を付いてくる。権力なんぞ権力の根源たる組織があって初めて意味を為す集団認識に過ぎない。ここでは「果無 迫」の真価が問われ、能力的に俺は一般人に過ぎないのが悲しいところだ。だが俺には魔と戦ってきた経験と知識がある。結局一般人は積み重ねたものでしか勝負が出来ないということだ。
「それを互いに知るための交渉だろ。
いいのか俺がラストチャンスだぞ」
カードはまだ伏せておいてブラフを賭ける。
「ふっ大きく出たな。
だが其の通りかも知れないな。いいだろう、其の話に乗ってやる。
但し聞いた以上覚悟はして貰うぞ」
俺の心胆を寒からしめようとばかりに睨み付けてくる。ここで恐れを見せたら俺は信頼に値する男でないと烙印を押されるだろう。
「おっかないな」
一昔前の俺なら兎も角今の俺は数々の修羅場を潜っている。この程度涼風のごとく流せる。
暫し睨み付けた後に畔は俺に虚勢も動揺も見えないと感じたのか口を開きだした。俺はどうやら第一関門は突破したようだが、入り口に過ぎない。
聞いた以上対応を間違えれば馬鹿にされて門前払いされた方がマシと思える不倶戴天の敵となり互いに殺し合うしか無くなるだろう。
「俺の部隊は元々鬼畜米英から日本を守る為に要衝の島の防衛に行くはずだった。だが島に向かう途中輸送船ごとこの理由の分からない世界に飲み込まれ俺達は戦う機会すら奪われてしまった」
島の防衛に付いていたら間違いなく戦死していただろう。死ななくて良かったじゃないかとは思ってしまうのは現代の感覚であって、あの時代を生きた人間には屈辱以外の何ものでもないのだろうな。
「何とか脱出しようと試みる中、また一人また一人と仲間が戦うことすらなく泡と消えていく。鬼畜米英と日本や家族を守るために戦って散るなら軍人として納得出来るが、俺達はその機会すら奪われたんだぞ。その無念が分かるか?」
冷徹に見えた畔からドス黒い情念がぶわっと溢れ出したのが見えたようだ。
確かにこれなら浄化されることはないだろう。だがこの男が語る仲間に無念は無いのだろうな。そんな妄執が残っていたらこの世界で泡となって浄化されることはない。
無念を感じているのは泡となった仲間ではなく勝手に仲間の心に自身の心を投影させたこの男自身。
其の事にこの男自身も気付いているのか?
「脱出ではなくこの世界への復讐が望みか?」
「ああそうだとも。青く清浄なる世界だと。お高く止まったこの世界を俺の情念で真っ黒に染め上げてやれたらさぞかし愉快だろうよ」
魔王。
この男を前にして復讐は何も産まない。前向きに生きろなんてとても言えない。言えば其の場で引き裂かれる。
復讐より心躍らす甘美な美酒はないことを俺は知っている。
利用出来ると思い上がったら俺も延焼する。この男は惜しいが諦めるしか無いか。
「だがこのチャンスを前にして俺は我を捨て友を取る」
「へ?」
数瞬前まで魔王と見間違えるほどのドス黒い空気は霧散し清浄なる空気を纏った男が目の前にいた。
俺嫌な奴になります。 御簾神 ガクル @kotonagare
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