二章 3

 *



 翌朝。

 ワレスはなんとなく朝早くに目がさめてしまった。

 いつも夜が遅いのに、まわりにあわせて早くに寝たせいだろう。


 早朝なので、窓の外に霧が出ている。

 ワレスは枕元の剣を帯にさして、ろうかへ出た。

 真夜中に老婦人と何者かがナイショ話をしていた出入口から庭へ出る。


 足あとなどは見つからない。

 霧が深くて遠くまで見渡せないせいもあるが、手がかりはなさそうだ。


 どこかで水の音がしている。噴水は中庭だから、噴水ではない。


 朝つゆにぬれた草の香り。

 少し冷たい空気。


 ここは、似ている。

 あの場所に。


 ワレスは水音に吸いよせられていった。

 もうどこも、あの場所にはつながっていないのに。

 あれは過去だ。過去へは帰れない。

 わかっているのに、しぜんに足がそっちへむかう。


 裏庭はそのまま森へとつながっているようだ。

 馬小屋と犬小屋がならんでいて、すぐそばに狩りに使う弓矢を置いた小屋がある。


 三つの小屋のわきを通りすぎると、とつぜん深い森林に景色が変わる。


 水音が強くなった。

 近づいていくと、小川があった。

 水面をなでるように霧が流れていく。

 さやさやと葉がすれあい、キイキイとなつかしい音が呼応していた。水車のまわる音だ。


 時間も空間も、“あの場所”には帰れないのに、心は一瞬でそこへ帰っていた。


 ルーシサスの死んだ、あの朝。

 白く冷たくなった天使の彫像のようなルーシサスの手首から、細く赤い血のリボンが、とめどなく水の流れにとけだしていた。


 あの日のことを考えると、今でも平静でいられない。

 叫びだしたくなる。


 ルーシィ、ルーシィ。帰ってこいよ! お願いだから、おれのそばにいてくれ——と。


 おまえのいない人生はつまらないんだ。へどが出そうなほど退屈で醜悪だ。


 今からでも、まにあうだろうか?

 今ここで小川に入り、この剣で胸をつらぬけば、おまえのあとを追えるだろうか?


 会いたい。死ぬほど会いたい。


 ワレスは夢中で川のなかへ入っていった。

 しかし、ほんの数歩、浅瀬をふんだところで、背後から声をかけられた。


「何してるの? 水浴びするには冷たいよ」


 ふりかえると、ユリエルが立っていた。


「すごい霧だね。僕が住んでる町なかは、こんなにヒドイ霧には、めったにならないんだ。でも、なんの匂いだろう? 朝の空気って気持ちいいんだね」


 ニコニコ笑う少年を見て、ワレスは気づいた。

 ユリエルを誰かに似ていると思った。

 それは姿形ではなく、行動が。


 ルーシサスだ。

 出会ったばかりのころの、天真らんまんだったルーシィだ。


 こいつを守らないと——

 無条件にそう思った。


 この子は陰謀にまきこまれようとしている。

 この子を守ることは、おれの償いだ。

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