二章 2

 *



 ユリエルをつれて、もとの騎士たちの寝所にもどった。


「今晩、ここで休ませてもらいます! 仲よくしてください!」


 戸口で、ユリエルは大きな声で叫んだ。

 なんとも人なつこい。やっぱり苦労を知らない子どもだ。


 それぞれのベッドに腰かけて、酒をまわし飲みしていたランスたちが、ビックリしたような顔で見ている。


 十人で使うには部屋がせまいので、ベッドをイスがわりにして、まんなかに円卓を置いている。円卓にはさまざまな料理がならんでいた。


「侯爵の騎士は、寝る場所のない子どもを追いだしたりしないだろう?」


 ワレスが言うと、ランスたちはおたがいの顔を見あわせ、手招きした。


「飯は食ったか? 坊主」

「まだ。お腹へった」

「じゃあ、いっしょに食おう。色男。あんたも来いよ」


 ランスは勝敗を気にしていないというアピールのためか、ワレスもさそった。


「おれの名前は色男じゃない」


 言いながら、ワレスはランスのとなりにすわる。


「まあ、おれがすこぶるつきの美男子だってことは自覚している」


 言ってやると、ランスはまじまじとワレスの顔を見つめ、ふきだした。


「いい根性してるな! ワレス」


 知ってるんじゃないかと、ワレスは苦笑する。

 ランスが手をさしだしてきたので、その手をにぎりかえした。


 でも、これは友情じゃない。

 友情は死んだ。

 愛と名のつくあらゆるものは、墓場に葬った。


 それが、ワレスの生きかた。


(ルーシィ。おれの真心は、おまえとともに死んだ)


 生きているのは、ぬけがらの体だけ。

 だから、うわべは親しげに握手をかわすが、その心は冷たい闇に閉ざされている。


 騎士たちにまじって夕食を食べた。

 食後に中庭の噴水を浴槽がわりにして水をあびた。

 ユリエルやランスたちもいっしょだ。


 ジョスリーヌには室内の風呂場で、あたたかい湯が用意されたのだろうが、ワレスのほうは、あれっきり放置だ。このくらいしてもバチはあたらない。


「ワレス。おまえ、細いなぁ。そんなんじゃ貴婦人も持ちあげられないだろう」と、ランスが言うので、とうのランスを姫抱きにしてやる。


「わかった。わかった。おろせ。バカ。騎士に恥をかかせるな」

「二度と見下すなよ」

「わかったよ。なんてヤツだ。女みたいな顔しといて」


 ワレスの腕からおろされて、ランスはため息をついた。


「おまえ、なんで騎士にならなかったんだ? それほどの剣の技量と力があれば、どこでだって騎士で通るだろうに」


 そうは言うが、騎士は家柄だ。多くは世襲制である。

 騎士の家系に生まれなかったワレスには、なろうと思ってもなれるものではない。

 騎士の家に生まれたランスには、そうではない者の苦しみなどわからないだろう。


「束縛されるのが好きじゃないんだ」と、ワレスは言っておいた。


 ほんとうは、そうじゃない。

 一度だけ、チャンスがあった。貴族の一員になる機会が。

 でも、それをなげだしたのは、ワレス自身なのだ。


「じゃあ、僕の騎士になってよ。ねえ、ワレス」


 むじゃきに無心するユリエルの頭をくしゃくしゃにかきまわす。


「ユリエル。おまえは冷水の風呂なんて、今まで入ったことないだろ? すぐに体をふいて髪をかわかすんだ。風邪ひくぞ」

「わかったよぉ。ワレスって、意外と優しいんだね」

「…………」


 なんだろうか? このふりまわされる感じ。以前にも経験した気がする。


「意外にはよけいだ。さっさと服を着ろ」

「はーい」


 ひさしぶりに男どうしで、くつろいだ時間をすごせた。

 ジゴロの仲間は、みんな商売敵だから、客のうばいあい、足のひっぱりあいに忙しい。気のゆるせるような相手は誰一人いなかった。

 同性とこういう時間を持つのも、なんだか楽しい。学校を卒業して以来だ。


 その夜。あてがわれた部屋で休んでいるときだ。

 ワレスは目がさめた。


 となりでユリエルが眠っている。

 ベッドの数がたりなかったので、同じベッドで寝ることになったのだ。ユリエルは年のわりに小柄なので、ならんで寝ていても、さほど苦にはならない。


 ユリエルは幼児みたいにヨダレをたらして寝ていた。

 ワレスは失笑をさそわれたが、そのとき、どこからか話し声が聞こえてきた。


 時刻はわからないが真夜中らしい。

 あたり一帯、静寂に包まれたなかで、その声は思いのほか、よく聞こえた。


 壁のむこう? いや、ろうかだ。


 今、ワレスたちが使うこの部屋は、伯爵家の騎士宿舎の一端である。そのなかでも端にあって、裏庭に続く出入口がすぐそばにある。


 ワレスはそっと寝台を起きあがると、そろっと扉をあけた。木の扉をきしませずにあけるには、そうとうの労力を要した。


 扉のすきまから、ろうかをうかがう。

 田舎の館にはランタンや燭台しょくだいが少なく、ろうかは真っ暗だった。


 そのろうかのさきに、ポツリと小さな光が見える。

 ロウソクの火のようだ。

 誰かがロウソクを立てた手燭(手に持つ燭台)をにぎって、そこにいるのだ。


 人影はハッキリとは見えない。黒いシルエットになっている。こちらに背をむけていると、かろうじてわかった。


「……いいえ。大丈夫。問題ないわ。あの子は何も疑ってない」


 しわがれた、ささやき声。

 それに対して、同じほど低い声が、ぼそぼそと応えた。何を話しているのか、その言葉までは聞きとれない。


「わかっていますよ。計画は順調です。必ず、このままでは終わらせません」


 押し殺した声だが聞きおぼえがある。

 女の声。それも、かなり高齢の……。


(この声、もしかして……?)


 しばらく話したあと、ロウソクの火がゆれた。


 シルエットになっていた人物が動く。

 よこをむいて歩きだしたとき、顔が見えた。

 まちがいない。

 ユリエルの大伯母さんだ。


(あの子は疑っていないと言っていたな。ユリエルのことか?)


 だとしたら、ユリエルはあの大伯母にだまされているのだろうか? なんのために?

 伯爵家の実権をにぎるためだろうか?


 たしかに、領地のほとんどは森で、税収になるのは小さな町二つだが、固定の収入ではある。ユリエルの実家にくらべたら裕福でないとはいえ、伯爵家の財産をほしがる者は充分いるだろう。


 ワレスだって自分が伯爵家の一員として生まれていたなら、どうにかして手に入れようと考えたかもしれない。それは、ちょっと手を伸ばしたところにある、安易に手中にできるものだからだ。


 とにかく、老婦人の姿が見えなくなるのを待って、ろうかに出ていった。さっき老婦人が立っていた出入口まで行ってみたが、すでに人影は見あたらなかった。


 しかたなく、ワレスはもとの部屋に帰った。

 ベッドで、ユリエルが幸せそうに眠っていた。

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