二章

二章 1



「どうぞ。ここが僕の部屋です」


 少年に案内されて、たどりついた部屋を見て、ワレスは絶句した。これは苦笑ではすまされない。


「ほんとに、こんなところに?」


 それは裏庭にある離れだった。いや、もっとハッキリ言えば、物置きだ。

 納屋を急きょ片づけた雑然とした室内。

 かろうじて人が住めるようにはなっているが、天井からはクモの巣がたれさがっているし、壁にはネズミの出入りしそうな穴もある。


 強烈なイヤガラセだ。しかも、大人げない。


 ユリエルはおかしそうに笑った。

「スゴイでしょ? 『小公子ミカエル』みたい!」


 とつぜん家をのっとられた貴族の少年が、苦労のすえ生家をとりもどす童話をたとえに出して、ユリエルはむしろ楽しそうだ。


「仮にも貴族の継承者候補なんだろう? おまえはイヤじゃないのか?」

「なんで? ここは僕が子どものころに、フランと遊んだ場所だよ。フランはもう忘れてしまったみたいだけどね」

「フラン?」

「フランシスだよ。オージュベール伯爵」

「ああ……」


 どこまで本気なのかわからないが、伯爵の兄という立ち位置をしっかり守っているのだ。


 ワレスはとりあえず、ユリエルのあとについて室内に入る。戦車か馬車の一部らしい大きな車輪や、古い戸板をかいくぐり、人間がすわれる椅子を見つけた。


「いつから、ここに住んでるんだ?」

「住んではないよ。いつもは実家にいるんだ。今日は都から侯爵さまがおいでだから、こっちにいなさいって、大伯母さまが」


「おまえの実家は?」

「来るときに町の南のほうに、赤い屋根の屋敷がなかった?」


 ワレスは馬車で通った道すじを思いうかべる。

 赤い屋根の大きな屋敷は一つあった。


「宝飾店だったな」

「うん。そこ」

「なんだ。じゃあ、金持ちの息子じゃないか」

「うん。まあね」


 妙だ。てっきり金めあてだと思ったのに。

 どう見ても、うらぶれた片田舎の領主である伯爵家より、あの宝飾店のほうが、はるかに裕福だ。


「ねえ、見て。見て。この暖炉だんろまだ使えるんだよ。じつはね、この裏に——」


 嬉しそうにガラクタだらけの室内をウロチョロする少年の背中に、ワレスは問いかけた。


「先代伯爵の生まれ変わりだというのは、ほんとうか?」


 暖炉のなかに手をつっこみかけていたユリエルが、ピョコンと立ちあがる。


「ほんとだよ」

 ワレスを見る目は真剣だ。


「いつごろから、そう思うようになったんだ?」

「思うようにっていうか、そうなんだよ。ずっと小さいときからわかってた。おしゃべりできるようになったころには、『ぼくは、ほんとは伯爵なんだよ』って、言ってたんだって」


「何さいぐらい?」

「うーん、たぶん、二、三さいじゃないかな」


「なんで伯爵だとわかるんだ?」

「夢を見るから……かな?」


「どんな夢?」


 ユリエルは急にクスクス笑いだした。

「僕を疑ってるの?」


 ワレスは子ども相手だからって、信念はまげない。


「おれは生まれ変わりなんてないと思ってる」

「ほんとだよ。毎晩、夢に見るんだ。僕がまだ、この屋敷で暮らしていたころのこと。

 僕の前世の名前は、ユリウス・アシュレイ・ル・オージュベール。父の名前はアウグスティス。母はラウナ。弟が二人と妹が一人。

 でも、妹は赤ちゃんのときに亡くなってしまったんだ。母上は女の子をすごく楽しみにしてて、アウリナって名前も考えてたのに……」


 そう言って、沈痛なおももちをする。

 しかし、このていどなら、屋敷の古い召使いでも知っていることだ。転生の決定的な証拠にはならない。


「先代伯爵しか知らない記憶はないのか? それを聞けば、みんなが納得するような」


 すると、ユリエルはあっさり、うなずいた。

「あるよ」

「あるのか?」

「うん」


「それを話してはくれないか?」

「今はダメ」

「どうして?」


 ユリエルは説明する。


「大伯母さまによれば、侯爵さまの前で公表するのがいいんだって。そしたら、証拠を消されたり妨害されたりしなくなるから」

「なるほど。それは大伯母さんの言うとおりだな。ところで、あの伯母さんは、おまえのほんとの……というと、ややこしいな。今の実家の大伯母なのか?」


 ユリエルは首をふった。


「違うよ。先々代伯爵のお姉さんなんだって。僕が先代伯爵の生まれ変わりだっていうウワサを聞いて、うちにたずねてきたんだ。それで、ここにつれてこられて、爵位を僕にゆずれとかなんとか、今の伯爵に言いだして……」


 ユリエルの顔つきは、あまり嬉しそうではない。


「イヤなのか?」

「だって、僕は伯爵になんてなりたくないし、おうちのほうが居心地がいいし、お父さんやお母さんにも会いたい。早くおうちに帰りたい」


 ワレスの予想を完全に裏切る答えだ。

 ユリエルは金めあてでもなければ、爵位がほしいわけでもない。


 当然と言えば当然だ。

 ユリエルは宝飾店の息子として、何不自由なく暮らしていたのだ。それ以上の望みなど、とくにないだろう。


 しいて言えば、ユリエルの両親が身分をほしがっているのかもしれない。人間、金を手に入れると、次には地位や権力がほしくなる。


「ふうん。その公表はいつやるんだ?」

「五日後が僕の誕生日なんだ。もちろん、今の僕の誕生日なんだけど。十五さいになるから、その日にパーティーをひらいて、その場で公表しましょうって、大伯母さんは言ってる」


「五日後?」

「うん。なんで?」

「いや……」


 こんな田舎に五日も足止めされるつもりじゃなかった、とは言えない。


「しかたないな。たまには、のんびり狩りでも楽しむか」


 とつぜん、ユリエルが言いだした。

「ねえ。あなたの名前は?」

「ワレスだ」

「ねえ、ワレス。僕の騎士になってくれない?」

「イヤだね」

「侯爵さまのほうがお金持ちだから?」

「そういうんじゃない」


 騎士とジゴロの違いを教えてやるには、少年はまだ少し早いようだ。


「なんで騎士なんてほしいんだ?」

「怖いんだよ。なんとなく」

「さっきは小公子みたいだと言っていただろう?」

「小公子ごっこは楽しいよ。でも、夜中に変な感じがするんだ」

「変なって?」

「誰かが外を歩きまわってるような」

「森が近いからな。野生動物かもしれない」

「そうかもしれないけど……」


 ユリエルはをかいて、うなだれた。

 別にワレスはほっといてもよかったのだが……。


「わかったよ。今夜一晩はいっしょに寝てやろう」

「ほんと?」


 パッとユリエルの黒い瞳が輝く。

 苦労知らずで育っているせいか、反応が素直だ。年より幼く見える。


「しかし、ここで寝るのなら片づけないと……」

「手伝うよ!」


 よっぽど怖いのか、熱心に掃除してくれる。


 ワレスも大きな車輪や戸板をどける。が、戸板を動かしたときに気がついた。床に大きな黒いシミがある。


 ランタンか料理用の油でもこぼしたのだろうか?

 あるいはタールのような?

 カビが繁殖したのか匂いもヒドイ。


 ワレスは、そっと戸板をもとのように床に置いた。


「ここを片づけるより、騎士たちの部屋に戻ろう。おまえが寝るベッドくらいはあるよ」

「あの乱暴な人たちといっしょに寝るの?」


 しかめっつらをしているユリエルが、なんだか、ワレスはおかしかった。


 ランスだって誰にでも、あんな態度をとるわけじゃないだろう。あれは単に、女主人のふところに巣食う害虫のようなワレスが気にくわなかっただけだ。


「大丈夫。子どもには優しいよ」

「ほんとに?」

「おれが美男すぎるから、やっかまれてるだけさ」と言うと、ユリエルは笑った。


「わかった。じゃあ、待ってね。荷物をまとめるから」


 ユリエルはキレイな革のカバンに、本や服や身のまわりの品々をつめこんだ。ユリエルが自宅から持ってきたものだろう。どの品も美しく、見るからに高価そうだ。

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