第12話 僕らは空を仰ぎ見る。

 どうやら自分は、他人とは少し違うらしい。


 物心ついた頃から、少女はそう感じていた。鳥の囀りも野良猫の鳴き声も、他の人間からはただの雑音でしかないそれを、彼女の耳は意味を伴う「声」として受け止めるのだ。そうして、さしたる知識や技術も必要とせずに彼女は動物の話す言葉を理解すること幼い頃から可能だった。

 その影響なのか、鳴き声を真似しなくても彼女は動物と「話す」ことが出来た。


 それが異常なことであると初めは分からず、身近な大人たちにそのことを伝えてみたこともあったが、彼らはみな彼女の言う事を子供時代特有の絵空事であると真面目に取り合う事はなかった。

 そのうちそれはどうやら特異なことであると、いつの間にか彼女は肌で理解するようになった。人間は動物と話せるわけはないのが人間社会の常識だと。そしてその「常識」から外れるのは危険な行為である、と。いつしかこのことは彼女と、彼女と話したことのある動物達との公然の秘密となっていた。


 明るい色のポニーテールをなびかせながら、ルフは古ぼけたアパートの屋根を疾駆する。

 建材に足を受け止められるたび、ガシャリと靴のローラーは絶え間なく硬質な音を立てる。建物の屋上に申し訳程度に取り付けられた華奢な鉄製の手すりの上を靴のローラーをなすりつけるように滑走すれば、耳障りな摩擦音が湧く。

 脚からの強い振動と抵抗を振り切るように、滑走の勢いに任せて手すりの角から弾みをつけて隣のアパートの屋上めがけて彼女の身体は空中に飛び出した。抵抗する空気がルフを包み、耳元ではびゅうびゅうと風の唸るような音が聞こえた。大きくがしゃんと音を立てルフは隣の建物の上に着地し、また何事もなかったかのように滑り出し、スピードを全く緩めることもなく屋根から屋根へと飛び移っていく。


 まるで映画のワンシーンの様にファンタジックな光景ではあるが、これを彼女は何気ない行動のようにこなしている。


「え~っと、次の予約は……」


 そうルフは呟きながら手元の紙切れに視線を落とす。


「ヒュー……ガ? ヒューゴさん?」


 彼女の持たされた伝票用紙の表面には、踊る人形に見えなくもない文字がある。

 この伝票は店長の手書きという事らしいのだが、どうやら書いた本人に似て字は豪快だったようだ。悪筆に加えてところどころにあるミススペルのせいで、ルフは伝票の内容を確認しようとするたびに、しげしげと見つめ解読しなくてはならなくなっていた。


「もー……また文句言わないと!」


 ブツブツと言いながらも目的地の地区番を地図上で確認する。

 あの店長は確かに、素直に改善要求を呑んではくれるのだが、それらを長く覚えていた試しはない。イレギュラーに働かせてもらっている手前、あまり強く指摘をするのは気分的に進まないが、この難解な伝票に毎回付き合わされている店員達の気苦労は今の彼女の比ではないだろう。アットホームな職場を店主は謳っているのだが、それには若干店主の筆跡と性格はワイルドすぎるような気がする、とルフは思った。


 気を取り直して、地図上で現在地と目的地を見比べれば、目指す家はもうすぐそこであった。


「あ、もう、すぐ隣のブロックじゃない?」


 ただし、ここ一帯に共通して言えることだが、その周辺にはある罠が存在していた。

 そこは都市の中心街に近い場所であるためどうしても地価が高い。そのためひとつ建物を建てるにしても郊外などの一軒家などとは違い1階は店舗、それより上階は住居、など複数の利用形態を想定した建て方をしていることが多い。そしてそれらはたいていエントランスを完全に分離している間取りである事が多く、それは道の裏手であったり建物の影であったり、一見しただけでは想像できないような場所にあったりする。

 酷い時になると、無理やり外壁に階段を取り付けてやっと上階へのアクセスが確保できるようになった建物や、逆に、店舗階にある出入り口を利用しないと目指す階にたどりつけないといった建物の例もある。


 最終的に、総じてこの地区の地図は複雑怪奇な表記となり、目指す建物を無事に見つけたとしても、その構造をも正確に推察してやらなければ、ただいたずらに時間が過ぎてしまうという、そういった問題を抱える地区であった。


「えーっと……確かあっちがセントラルパークで、向こうがマーケット……で、この通りが」


 ルフは建物の屋根でも更に視界の開けたところに立ち地図を掲げ、実際の街並みとを見比べながら正確な建物の配置を把握しようとした。

そんな彼女の視界の端の空に、何か、小さな黒いゴマ粒が集まったようなものが映っているのが見えた。

 そのかたまりのようなものに彼女は異変を感じ、何だろうと思って顔を上げれば、それが結構な速度で空中を飛び、こちらに向かっているのが見て取れた。かたまりが大きくなってくるに従って、カァカァと人の声が枯れたような音が聞こえてくる。


「なっ……なん!?」


 そしてそれは全く遠慮なくルフの立っている場所を目がけまっすぐ飛んでくる。しゃがれた鳴き声に加え、バッサバッサと幾つもの翼の羽ばたき音も今ははっきりと聞こえている。

 それはカラスの群れであった。何かに追い立てられているのか、かなり騒々しい鳴き声を上げながら、わき目も振らずに元凶から遠ざかろうとしているようだ。


『クルマー!』

『ジコー!』

『アブナイアブナイ!!』

「ちょっ!! ちょっと、あんたたちストップ!!! 」


 ルフには幸い彼らの言い分は理解できるはずであった。しかし口々にわめきあい、すっかりパニックを起こしているカラス達に落ち着けなどという言葉は届くことはなかった。


「高度上げて!!」


 彼女の要請も空しくカラスの大群はルフを避けることなく、少女の姿はすっぽり群れに呑みこまれてしまった。カラスの羽はというものは、その見た目以上にしなやかで力強い。

 群れに巻き込まれたルフは両腕でみずからの身体を庇うことしかできず、それらの衝撃に完全に押され、あっという間に立っていた屋根の端へ、そしてそこから更に外の何もない空間へと放り出されてしまった。


 ふわり、とした不快なまでの浮遊感がその瞬間ルフを襲った。背負ったピザの保温器が重石となり、空中でルフは完全な仰向けの状態となり落ちていく。


「うっわぁああ!?」


 視界いっぱいに広がる空の青が、やけに冴えわたっている気がした。

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