ほんとうのきもちは、どこにあった?

佐藤更紗

震えた声

「舞子!ごめん、次の時間英語なんだけど教科書貸してくんない?俺忘れてきちゃって」

そう言って血相を抱えてわたしの教室に飛び込んできたのは隣のクラスの柊雅人だった。

「いいよー。てか、また忘れてきたの?英語の課題はちゃんと提出できそうなの?」

わたしはロッカーに置いてあるはずの英語の教科書を探しながら雅人に聞く。

「またって、英語の教科書を忘れてきたのは初めてだろ!他の教科はよく忘れるけど…家で珍しく英語の教科書出して勉強したもんだから、課題はバッチリなんだわ!」

雅人は言い訳を並べながらも、同時にVサインをわたしに向けてくる。

「その代償に教科書を忘れてきたわけね…ドジだなぁ、もう。はい、コレ」

と、わたしは雅人に英語の教科書を手渡した。

「ありがとな、舞子!助かった!」

雅人は顔をくしゃっとして笑った。雅人はよく笑う。声を出してもよく笑うし、今みたいに嬉しくて笑うときもある。そうすると、雅人の嬉しい気持ちや楽しい気持ちがわたしにもよく伝わる。そして、わたしも不思議と温かい気持ちになる。

「やべ、ベル鳴った!んじゃ、サンキューな!」

雅人の笑った時にできるえくぼを眺めながら、温かい気持ちに浸っていると、授業開始のベルが鳴り始めた。

わたしも次の時間の準備をしながら、席に着いた。


「ねえ、舞子はどうして今日、英語の教科書を持っていたの?」

席に着くと隣の席の友恵がわたしに聞いてきた。友恵とは中学時代からの付き合いだ。高校も同じ学校に入学し、晴れて今年も同じクラスとなった。わたしは1番の友達でよき理解者であると思っている。故に、わたしが隠していることにもすぐに気づいてしまう。

「どうしてって…たまたまだよ。ホラ、昨日荷物多くて英語の教科書置いていったんだ」

「ふーん…どうせなら今日ある教科を置いていけば良かったんじゃないの?課題がない教科もあるじゃん」

「んと…今日ある教科は、課題がなくても家で予習しておきたかったからさ」

「ふーん、なるほどね」

友恵はそれ以上詮索しなかった。だけど、友恵ならわかっているだろう。昨日わたしがわざと英語の教科書を置いていったことを。隣のクラスの時間割を把握していることを。忘れっぽい雅人が教科書を借りにくるかもしれないことを予測していることを。

「でも、英語の教科書借りにくるの初めてだったんじゃない?なんかあいつ、いつも数学ばっかり借りにきてる気がする」

友恵は同じクラスの同世代の他の友達に比べて大人っぽい外見をしている。髪も長く、身長も高い。化粧をすれば大学生に間違えられることもあるようだ。そして、気付かないことにもよく気付く観察力を持っている。

「友恵、よく見てるね」

「まあね。舞子ほどじゃないけどね」

と友恵はイタズラぽく笑う。そういう時に見せる友恵の一瞬の笑いは年相応で、普段とのギャップがあり友恵が魅力的に見える。

「え、それってどういう…」

わたしが友恵に言いかけると教室のドアが開いた。

「はい、授業始めるぞ」

ベルが鳴って先生が入ってきたため、友恵とそれ以上の会話はできなかった。


雅人とわたしは同じ小学校からの付き合いだ。家も近く、小学校の集団登校では2人きりでないにしろ、6年間一緒に学校に通った。中学生になると、雅人は野球部に入部した。野球部は朝練が多く、わたしと雅人は自然と別々に学校に通うこととなった。たまに朝練がない時は一緒に通ったが、周りから冷やかされることが多く、それを雅人が嫌がり、中学2年になってからはもう一緒に登校することはなかった。小学生の時は、姉弟に間違われるほど仲がよかったのに。

中学生になり、雅人がわたしの身長を追い越してから、雅人が妙にわたしを避け始めた。年齢を重ねるにつれ、どんどん雅人と話す機会が減っていく。わたしはもっと昔みたいにたくさん話したいのに。わたしはずっともどかしい気持ちで中学時代を過ごしていた。

しかし、高校生になると、同じ中学の人が少なくなり、わたしたちをからかう人も少なくなった。そして、わたしは雅人と少しずつまた話せるようになってきた。今では、雅人はクラスに他にも知り合いがいるのに、必ずわたしの教科書を借りにくる。

部活動も別々で、話す機会も少ない。登下校時間も違う。クラスまでわざわざ話しかけにいくことは、冷やかされることを嫌がる雅人は望んでいないはずだ。

わたしが雅人に会いに行かず、雅人がわたしに会いにきてくれる時間。必然的に雅人が教科書を借りにくる時間がわたしにとって、とても貴重な時間になったのだ。


「舞子はさ、柊がなんで英語の勉強始めたのかって知ってる?」

昼休み、友恵はわたしと弁当を食べながらふいに言った。

「んー、わからないけど…勉強に意欲的なのはいいことだよね。ただの野球バカじゃないってことだ」

わたしは笑いながら友恵に話した。しかし、友恵は浮かばない表情をしている。

「どうしたの?」

「んー…舞子にはなかなか言えなかったんだけど」

珍しく友恵が言いにくそうな顔をしている。

「この前さ、ちょっと話聞いてさ」

「話?」

「うん。柊、東京の大学を志望しているらしい。しかも、女の先輩を追いかけてって話」

東京の大学を志望しているらしい。トウキョウノダイガク?トウキョウ?女のセンパイ?オンナ?

「そこがさ、結構レベル高いところらしくて。うちら来年受験じゃん。今からガッツリやれば間に合うかもしれないって。それで柊、英語も勉強し始めたっぽい」

ガッツリやれば間に合うかもしれない。間に合うかもしれない。…ジュケンに。

「友恵は…どうして知っているの?」

わたしが声を振り絞ってようやく聞いたのがその言葉だった。

「この前、柊に聞かれたんだよね。わたし英語得意な方だからさ。どうやったら成績伸びるんだ?って。それで、なんで勉強したいの?って聞いたらその答えが返ってきたわけ。もしかしたら舞子知ってるのかって思ったけど…」

「わたしは…何も知らないよ」

突然ムカムカしてきた。腹の底から湧き上がる吐き気。クラクラするめまい。大丈夫、大丈夫、大丈夫…。

「だってわたし、ただの幼馴染だもん。雅人がどこの大学に行こうが、わたしには関係ないから」

関係ないから。関係ない。大丈夫。

「ねえ舞子、柊に直接聞いてみたら?わたしのことからかって柊はそう言ったのかもしれない。本当は女なんていないのかも。一時的に東京に憧れてるだけかも。本当のことは舞子が聞いたほうがいいよ」

「なんでわたしが…」

「だって舞子、柊のこと」

「やめてっ」

わたしが大きな声を出したため、周りの何人かのクラスメイトがこちらを振り向く。

「…ごめん。ちょっとトイレに行ってくる」

「…うん」

わたしは、涙がこぼれそうになりながらも、トイレの個室までは決して泣かないと唇を噛みしめ、教室を後にした。


本当は気付いていた。

最近、雅人がきちんと時間割を揃えるようになったこと。そのため教科書を忘れる頻度が減ってきたこと。わたしのところに来ることが少なくなったこと。課題もしっかりやるようになってきたこと。

それと同時に、わたしは雅人にただの教科書を貸すだけの便利屋だと思われていることも気付いていた。雅人はわたしに教科書は借りに来るけれど、課題を見せてとは言わない。わたしは隣のクラスの分の時間割を知っており、必ず他のクラス分の教科書も持っていると伝えてあるから。

彼が勉強で本当に頼りにしているのは友恵。わたしは予習していても成績は平均で、友恵の成績には敵わない。わたしはわたしなりに努力している。けれど、その努力を彼があてにすることはない。

わたしの努力を彼が必要にしていないこと、教科書の保険のためだけにつながっていること、わたしをみていないこと。

小学校から一緒で、それに気づかないわけが、なかった。


どうか、すきだなんて言わないで。言葉にしないで。口に出してしまったら、全てが壊れてしまうから。自分の気持ちが、溢れ出てしまうから。


「舞子ー!ごめん、教科書返しそびれた…って、どうしたの、その顔」

午後の授業が終わり、そろそろ下校しようとした時、雅人が英語の教科書を返しにきた。

「いやー、ちょっと色々あって。大丈夫だよ、うん」

あの後トイレで散々泣きじゃくり、昼休みが終わり教室に帰ってきたころには目が腫れとんでもない鼻声になっていた。友恵は、何も言わなかった。

「それより聞いたよー!東京行くんだって?」

わたしは努めて明るく雅人に話しかけた。雅人は一瞬驚いた顔をした後、少しばつが悪そうに、

「まあ決定ではないけど、それも視野に入れて考えてる」と言った。

「すごいじゃん、わたしと友恵遊びに行くからね!…てかわたし達が遊びに行ってもいいのか、彼女さんに聞かなきゃね」

笑顔で笑顔で。大丈夫だよ。

「彼女じゃないよ」

雅人は少し怒ったように言った。

「彼女じゃなくて、ただ憧れてる先輩。部活のマネージャーでさ。1年の時世話になったんだ。…でも、大学とか相談に乗ってもらってるうちに、うちの大学に来てみない?とか言われてさ。自信はないけど俺にもできるのかなと思って、いまはまだ勉強途中。でも最近、ようやくいろんなことがわかってきて少し楽しいかな」

雅人がイキイキした顔をすればするほど、わたしの心には鉛が落ちてくる。

「そっか、すごいね!いいじゃん、大学にも行って彼女も作っちゃえば。すごい楽しい学校生活になりそう!」


置いていかないで。


気持ちとは裏腹に

出たのは震えた声

(せいいっぱいの、虚勢)


どうか気付かないで、誰も、わたしも

この思いに



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