第3話 寡兵の難題
話は少し戻り、未だ先鋒軍が戦闘中のことである。 怒声と悲鳴が混じり合う最前線とやや距離を離したところで先鋒指揮官のムラーノ伯爵は未だに目の前の光景を信じられずにいた。傭兵混じりで精鋭と言うには程遠かったが、送り出した最先鋒はそれでも5000を数える。
魔術的な防御によって射撃は矢を浪費するだけにとどまっていたが、それは相対する彼らも同じと考え、進軍は順調だったはずだ。三十分前まで彼は己の勝利を確信していた。しかし、その三十分で送り出した兵達は要塞から白煙が上がるたび斃れ、傷つき、敗走を許される間もなく蹂躙された。
「伯爵閣下、ここは一度退いて体勢を立て直したほうがよろしいのでは?」
そんなことができるかと伯爵は従者に心の中で悪態をつく、情報では多くとも兵力は10,000足らず。箱は大きいが、砦というのは遊兵を作るのが常識で、貴族連合軍は彼らの10倍以上の兵力を有している。
攻略できないまでも、捨て駒に使った傭兵達のいくらかは壁へたどり着き、敵兵を疲弊させてくれるはず……だった。
「5,000を相手取って無傷というわけはなかろう、後詰め3,000を送り込め」
伯爵も馬鹿ではない。無理を言って先陣を願い出たという手前引き下がれないという事情はもちろんあるが、地上を見れば先程から降り注いでいた暴風のような爆発は今は無い。
先鋒達に多少の哀れみは感じるが、無限にあのような強力な力を行使することが出来ないことは明白であり、それが尽きたと判じた。だからこそ今ここで攻め切らねばならない。未だ頑強に抵抗する城塞だが、今前進を始めた3000以外にも手持ちは充分にある。
号令に応じて兵たちが激地へと歩みを進め始めた時、更に後ろに控えていた兵たちが宙を舞う。正確にはその体や装備の一部がだ。破片が預かった兵だけでなく、彼の手持ちも兵たちをも巻き込んだ。
「何が起きた」
答えの代わりに帰ってきたのはうめき声とさらなる悲鳴だった。
「閣下! あれを!」
指された先に見えたのは赤く尾を引く何かで、それが此方に危害を加えるものだとしか彼らにはわからない。一つや二つでは利かない数が今まさに降り注ごうとしている。未知のものに対する混乱が、退却の号令を遅らせる。いや、それが見えたときには手遅れだった。
退却の号令を言い切る前に伯爵達は空から放たれた炎に包まれた。
「敵は退き始めたました。追撃なさいますか? 閣下」
ムラーノ伯爵達が炎に包まれ、開始から一時間の時を数えぬうちに戦闘は終息した。未だに要塞内、壁上にはもうもうと白煙が立ち込め戦場全体を見渡すことは難しい。
「それはわかってて聞いてるでしょ、まだ第一波が終わったに過ぎませんよ。とりあえずは損害報告を」
退き始めたとはいえ容赦なく銃弾を敵兵に浴びせる兵士も多くいる。繰り返される撃ち方止めの号令も銃声と興奮によって気づかぬ者も多く、すべての兵が銃撃を停止したのはしばらく経ってからのことだった。
「ご苦労さん。もうひと手間かけて悪いがこの煙をなんとかしてくれねぇか?」
最も激戦となった南側の壁上でペドロが兵を労いながら細々と指示を出す。魔術師達が風を呼ぶ言葉を口にすると、向かい風が追い風に変わり白煙は戦場へと散っていった。視界が晴れ、明らかになった壁下の惨状から吐き出すものも居る。
一応であるが戦闘が終了したことから、生き残ったものは安堵し、傷ついた者達は手当を受けしばしの休息を得ることができた。ヴァレリーやペドロのような上級指揮官や直接戦闘に携わらない後方職を除いてのことであるが……。
「やはり損害ゼロとはいかないか、だけどこれだけの損害を出したんだ早く諦めてくれればいいのに」
ため息をつきながらも椅子へ深々と沈み込むヴァレリー。しばらくして、ペドロを始めとした連隊長以上の指揮官と、参謀たちが司令部へと集まった。
皆疲れた顔をしているが、それ以上に誇らしげな表情をしているものが多い。ホルベルトが被害の集計を出す。敵の矢の殆どが防御の魔術により弾かれ、敵からの直接的な被害と言えるのはハシゴをかけられ、白兵戦となった南側の一部にとどまる。被害の殆どは銃の暴発によるもので、その多くが斉射時に発生していることなども報告された。
「第一波の防衛おめでとう。これがいつまで続くかを考えると頭がいたいが」
ヴァレリーのその一言で皆の表情が少しだけ和らぐ。会議ではこの世界で初めて大規模に銃が用いられた戦闘の問題点と、今後の作戦についてが議題に上がった。問題点として挙げられる暴発と白煙による視界不良だが、不発による二重装填などは避け得ぬ問題で具体的な対策についてはこの場では得られなかった。
白煙対策には、風向きなどの都合にもよるが一部の魔術師隊を当て、その間防御が薄くなっている箇所は射撃を中止し、矢盾を用いることによって応急的な対策とする。
「第一波で撃破出来たのはおそらく敵の一割ほどだろう。それもすべてではない」
「あれだけやっておいて敵さん何の対策もせずやってくるかね?」
第一波の作戦は敵に手の内を見せないため極端――要塞壁面に迫られるまで――引きつけるというものだ。無防備にも見える姿勢は敵の油断を誘い防御を担当する魔術師達が最前線にわずかに届く距離で支援を行うように、との狙いもあった。
一度白兵戦に突入すれば防御魔術は何の意味もなさないし、攻城戦という敵味方が入り乱れる戦場では魔術による攻撃は強力だが味方を巻き込むリスクが高すぎるためである。
魔術師隊の編成にはある程度の素質がある人的資源と多額の育成費がかかることも考えればそんな死地に魔術師を突っ込ませる指揮官は居ない。それを見越して出来うる限り引きつけた上で叩いた事により第一波は撃退出来た。
「何の策もなく突っ込んでくるならただの阿呆だ。考えうるのは二つ……いや、事実上一つか」
来援の見込みが無い籠城が愚策であることは兵学の常識で、いかに堅牢な要塞と屈強な兵があろうとも食料が尽きればまともに戦うことは出来ない。攻囲さえできればただ待つだけで敵の瓦解を狙える。しかしながら貴族連合軍は要塞前面に迫っているとはいえ、要塞に至るまでの街道上を占拠出来ていない。
そして、数こそ減ったとはいえ未だ8万以上の兵力を本領から離れて維持することは籠城による持久よりも至難の事だ。
「短期決戦ですか、壁の全面に展開されると兵力差もありますし面倒ですな」
第一波では北側を指揮したマティアスが答える。第一波では彼らの正面である西壁のみの戦闘で収まった。北壁側には山があり大規模兵力を維持するには向いていない。逆に街道がある南壁であるが、貴族連合軍が展開した時点で工兵たちが既に多数の障害物を設置しているためこちらの突破も不十分とは言え対策されている。
「数に任せれば街道の障害を排除されるのは時間の問題だろう。そうなれば流石に持たない」
街道側の障害は一度突破されれば広く駆け抜けやすい地形から魔術騎兵の機動を許してしまう。これらの迎撃に失敗すれば魔術によって南門が破壊されるのも時間の問題だった。門が破壊されればそこから敵がなだれ込む。壁上からの射撃では抑えきれない数になる。
「いっその事打って出るかい? それなりに暴れてみせるぜ、ただし決死隊になるだろうがな」
要塞というのは遊兵を生む。先程の戦闘にまともに参加していない兵も多い、要塞から出て野戦を仕掛けるほうがすべての兵を活かせる。問題は彼我の兵力差が8倍ほどはあるということだ。要塞という利点を活かしても防戦がやっとの状況では無謀であると誰もが判断した。ヴァレリー一人を除いては。
「南側の突破を阻止できればなんとか持たせられるかい?」
ヴァレリーが皆の顔を見渡す。マティアスは、阻止できるならと頷き、ペドロはニヤリと口角を上げる。他の連隊長たちは一応は、といった顔で頷き次の言葉を待つ。
「では、隊の再編を行う。大隊長以上の者を追加で集めてくれ」
その手には一通の書簡が握られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます