魔術世界の戦列歩兵
麻野栄五郎
第一部
第一章 モーロ要塞戦
第1話 戦争を変える一戦
「戦争は変わった。いや、この一戦が戦争を変える」
眼下の大地を埋め尽くさんばかりの人馬の群れを前にヴァレリーはぼそりと呟いた。彼らは今街道の真上に建てられた壁の群れに居る。彼とそれに従う兵たちは自らを遥かに上回る兵たちと殺し合いを演じるためにそこにいた。
向かってくる者たちはそれが砦、もしくは何らかの防御施設であることは理解している。間近に迫るにつれ、壁上に兵らしき者が見えるのだ。
門を守る塔のようなものは無く、多少城壁が此方にせり出しているに過ぎないそれは石造りであるだけ異民族よりもいくらかマシと言った程度のものだ。とはいえ、高所から放たれた矢の一部は防御の魔術を貫くことを彼らは識っていたし、いくら魔術による保護があるとはいえすべてを防ぐことは出来ない。この広大な戦域ではそれも何処まで期待できるものともしれない。
そのため歩兵達は皆それらを防ぐための盾を携えている。しかし、矢の一本どころか投石の一つも飛んでこない。いかに立派な城があろうともそれを運用する兵がいなければ無用の長物である。
通常はここまで近づけば魔術にしろ矢にしろ、兵は倒れるものだ。だが、城壁に立つ兵たちは皆槍兵のようで高々とその槍を天に掲げていた。その様子を見て一人がつぶやいた。
「弓すら扱えねぇくせに金だけはあるみてぇだ。みんな同じ格好で揃えてやがる」
歩兵の最先鋒を切っていた傭兵が彼らを見て言い放つ。彼らにとって貴族お抱えのいわゆる正規兵は羨望と侮蔑の対象だ。金があることをいいことに、高価な鎧とまではいかずとも胸甲などを同じデザインで揃える“制服”はその象徴でもある。
「目に見えるところだけ見栄えのいい部隊を置いてるんじゃねぇのかい。あんな派手な色だとまるで鳥の求婚だぜ」
挑発を兼ねて声を張り上げる傭兵たち、後少しすれば壁にたどり着く。
前線に居るのは傭兵だけではない。貴族が徴用した農民歩兵も居るし、何より戦功を焦った中小貴族もお供を連れてすぐそこに居る。
彼の雇い主であるボロロ男爵も彼から見える範囲で軍旗を誇らしげに掲げていた。
「敵先鋒は赤旗を超えました」
報告を聞いたヴァレリーが右腕を静かに上げると、彼を中心に構えろと号令が波及してゆく。相対する者たちが槍と判じたそれは挙げられた腕が降ろされると一斉に轟音と白煙を吐きだす。
爆発を思わせる音と煙が前線より少し後方にいた者たちには自爆したかに思えたが、それはすぐに否定された。それが二度、三度と繰り返されるたび膝を折る友軍と、悲鳴が轟音に混じって彼らの耳朶を打ったからだ。
先程まで矢の一本も降らなかった前線は地獄と化し、慌てて後方の弓兵達が矢を射掛けるが、白煙と防御魔術によって効果はあがらない。
「
壁の上にそれぞれ配された指揮官は三度の斉射を終えたあと、部下達に号令をかけると揃っていた轟音が小さくまばらに小さく変わっていく。彼らには威力が減じたことよる平静は訪れず、音の頻度が上がった事による恐怖心がさらなる混乱を招いた。
先程まで彼らを挑発するよう大声を張り上げていた傭兵たちは身につけた鎧を派手な赤に染めて地に這いつくばるか逃散し、運良く壁際まで迫った者は狭間からの銃撃により同様に赤に染まっていった。
「敵の魔術兵の居所は特定できたか?」
下の混乱を壁上から眺めながら、上級指揮官であることを示す装飾をいじりながらペドロは部下たちに問う。火薬によって押し出された鉛の弾がいかに強力であろうと、防御の魔術があればその威力も十全に発揮することは難しい。混乱しつつも未だ壁へと向かってくる者たちの勢いが減らぬのがその証左だ。被害の少なかった隊の中で足の早い者たちはすでにハシゴをかけ、少なくない兵が登り始めている。
「目星はついています。あの青の軍旗のすぐ左の騎兵隊と右側の黒と黄色の軍旗の隊です」
友軍の魔術師が答える。鉛の雨が敵に降る度に現れる魔力の傘。その元をたどる作業を硝煙で視界が悪くなりつつあったが行なっていた。加えて彼らは飛来する矢や投石から兵を守る役割も担っているため負担は大きい。
「魔術師に当たらなくてもいい、集中出来ないようにしてやれ」
「了解」
短いやり取りが終わった後、壁上からまばらに続いていた音とは比べ物にならないほどの轟音と大量の白煙が各所で吹き上がり、鉛玉の雨を避け、距離を取っていた魔術師たちの側へと降り注ぐ。
それらの内の一つは狙われたボロロ男爵の麾下であることを示す軍旗をへし折ったあと、男爵の首をもぎ取っていった。
砲撃は壁上からだけでなく、要塞内に設置された砲達も続々と火を吹き始め、最前線を支援するために進んでいた兵たちに降り注ぐ。
降ってきた砲弾に直接体を押しつぶされた者、頭上で炸裂した榴弾の破片に頸動脈を切り裂かれ、周囲に血を撒き散らし絶命する者など銃撃とは比べ物にならない地獄を作った。
魔術の保護を失った最前線の兵たちは、壁上からの銃撃により次々と斃れ、壁に取り付いた者も登る途上でハシゴと共に命を落とした。運良く登りきった者には銃剣の歓迎が待ち受けていた。
生命を永らえるために後方へと駆け出した者も数多く居たが、彼らの目前には友軍の大部隊が所狭しと並んでおり、退路などどこにも無かった。その友軍たちも頭上から降り注ぐ砲弾により、無傷な隊は数える程だ。
「視界が悪すぎる。なんとかならんのか」
戦闘開始から三十分が経過した壁の上では、銃や砲が発する硝煙が彼ら自身を包み混んでいた。山脈から吹き込んだ向かい風が発泡するごとにそれを彼らの方へと押しやり、白煙が視界を奪う。
砲撃により前進の足が鈍った後続部隊のことを考えると、このままダラダラと続けたところで無駄弾を浪費するだけに終わりかねないとヴァレリーは苛立ちを見せる。
「可能ではありますが、魔術師を使うと防御が薄くなり、敵の矢が兵たちに届く可能性が高くなります。いかがなさいますか閣下」
参謀長であるホルベルトがヴァレリーの問いに答える。弱まったとはいえ、未だ彼らは城壁にとりつかんと前進中なのだ。
「何か案はある? 先生」
「酒豪は自分の懐が痛まない間はいくらでも飲み続けるものです」
「なるほど……伝令兵!」
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