【蒼】セックスという言葉が似合わない場所。

※タイトル通り、少々性的な内容が含まれます。

 苦手な方はページを閉じていただく方がいいかもしれません。


 ――――――


「ごめんね。上手くできなくて。満足できないよね? 男の子だもんね。もっと、激しいことしたいよね。ごめんね、体弱くて。行きたかったら風俗とか、セフレとか作っても良いからね」


 なにを言っているんだろ?


 僕は伊代の言葉が上手く飲み込めずに、ベッドの上で言葉を失ってしまった。

 確かにここ二週間、僕と伊代の夜の営みは上手く行っていなかった。

 その原因は伊代の肉体的な部分にあったが、根底には日々の疲れや、僕との関係によるストレスだって考えられた。


 どんな人間関係にも片方が百パーセント悪いということはない。

 それは夜の営みだって、そうなんじゃないのか?

 いや、それは僕の当たり前でしかない。


「ねぇ、伊代。夜の営みを挿入とか射精だって考えてない?」


「違うの?」


 なるほど。

 確かに挿入や射精が夜の営みであるなら、男女共に肉体的な理由でおこなえない場合はある。

 けれど、それだけが夜の営みであるはずがない。


「違うでしょ。互いに身体を触り合ったりして、互いの気持ちを確かめ合うのだって、十分な夜の営みだよ」


「けど、蒼はそれで満足できるの?」


「できるよ。というか、伊代は別に僕を満足させようとしなくていいって」


「どうして? 男の子だもん、途中までだとしんどいんじゃないの?」


「しんどくないよ。少なくとも、僕は」


 伊代の偏った考えは過去の経験からくるものなんだろうか。

 今までの伊代が付き合った男たちが挿入や射精がセックスだと言っていたから、伊代はそう認識しているのか。


 僕も男だから、過去の男たちが言った「しんどい」状態でいると思っていて、それを自分では解消できないと認識している。

 だから、それを解消できる方法として、風俗やセフレの話を提案した?


 だとすれば、伊代は僕を「男」という表面だけを見て、判断している。

 僕は確かに男で、そのように扱われてきたけれど、男である前に一人の人間でもある。

 恋人に人間扱いされない、というのは辛い。


 ただ、それは――。


「昔……、」

 と伊代が言った。「小さい頃の記憶なんだけど、話をしてもいい?」


 僕と伊代は真っ暗な部屋のベッドの上に二人で布団をかぶって横になっていて、互いの表情も上手く掴めない状態だった。


「もちろん」

 伊代の話はどんなものでも聞いてみたかった。


「もしかするとね、私自身が記憶を捏造していて、本当とは違うかも知れないんだけどね」

 と妙な前フリをしてから、伊代は話はじめた。


「夜、たぶん、深夜くらいに私は何かの音で目を覚ましたの。うっすらと目を開けたら、母が小さく嗚咽を漏らしてたんだ。

 その頃、両親の仲って言うか、父が一方的に母を怒鳴ることが多かったの。母が泣いているのは、私の日常だった。


 それで、私はまた眠ろうと思ったんだけど、家のチャイムが鳴ったんだ。

 深夜だよ?

 誰が来たんだろうって思ったんだけど、母は動こうとせず、父が荒い足音を立てて玄関へ行ったの。


 私たちが住んでいたのはマンションの四階で、私と母がいる子供部屋は玄関の近くにあったの。

 深夜に尋ねてきた人と父が話す声が聞こえて、訪ねてきたのが若い女性だって分かった。


 父と若い女性が喋っていて、母が小さく泣いている。

 なんだか、よく分からないけれど、とても残酷なことが起っているような気がした。


 母が私の頭を撫でてくれたけど、その手のひらには妙な熱があって不快だったんだ。

 子供部屋の前の廊下を父と若い女性が無遠慮に行き来をして、シャワーの音がした後、両親の寝室へと行ったのが分かったの。


 何が起きているのか、当時の私には見当もつかなかった。

 ただ、分かっていることは、私が起きていると母が気付けば、今よりもっと悲しい思いをするんじゃないか、ということだった。


 私は自然な吐息を意識して、寝たフリを続けた。

 睡魔はどこかへ行って、しばらくは戻ってこない気がした。


 どれくらい時間が経ったか分からなくなり、今日はもう朝まで、このままなのかな? 思った頃に、廊下でドアが開く音がした。

 父が子供部屋の扉を軽く蹴った。


「お前もなぁ、テクとか教えてもらうべきじゃねーのか」


 母は変わらず嗚咽を漏らして、答えなかった。

 玄関で若い女性の声がして、彼女が帰っていったのが分かった。

 父が子供部屋を通り過ぎる際に短い舌打ちをした。


 私は全身に汗をかいていて、布団が重くて仕方がなかった。

 当時の私は言葉にできなかったけれど、今なら分かる。

 母は女で、私も女である以上、こんな理不尽が私にも起こるかも知れないんだって怯えたの。


 母はまだ嗚咽を漏らしていたけれど、私は目を開けて、それを確認した訳じゃなかった。

 もしかしたら、母はもういないのかも知れない。

 いや、いないでほしかった。


 母の嗚咽も、父の残酷な言動も、若い女性も、すべて嘘であればいい。偽りで、単なる勘違いで、夢であればいい。

 強く、強くそう思ったの。


 けれど、そう思う程に汗が滴る感触が気持ち悪くて、布団の重さが苦しくて仕方がなくなった。

 これは現実だぞ、と誰かに言われている気がした。


 私は最低な父の子で、泣き続ける無力な母の子だった。そして、母の姿は未来の私かも知れなかった」


 真っ暗闇の中で伊代を見た。

 伊代は天井を見つめていて、僕の方を見ようとはしなかった。

 僕は伊代をそのまま抱きしめた。

 伊代も僕の背中に手を回した。


「あまり、こういう言い方をしたくないけれど、伊代のお父さんは間違いなく最低だと思う」


「うん」


「男が全員、伊代のお父さんのような言動や行動をする訳じゃない。どんな理由があったからって、してはいけないことはあって、伊代のお父さんは許されないことをした」


「うん」


「少し強い言葉を使うなら、それはレイプに近い。レイプは被害者の魂を殺し、肉体を奪う行為なんだと思う」


「どういうこと?」


「レイプは暴力な訳だけど、その記憶は鮮明に残っていて、その上、自分の身体を他人が勝手に使う行為でもある。だから、」

 だから、なんだろう?


 僕は動揺している。

 伊代に、君は父親にレイプされたような状態だと言って、何になる?


 冷静ぶった言葉で、分析してどうなる。

 傷ついてるのは伊代であって、僕ではない。

 話を聞いただけで、僕まで傷ついて言うべきことを見誤ってどうする。


「伊代、ごめん。言葉を間違えた。僕は何がどうであれ、伊代の味方で、伊代のお父さんの敵だ。伊代のお父さんのような人間は許さない」


「でもね」

 と伊代が言う。「でも、人の欲求の中に性欲はあって、それは仕方がないとも思うの。性欲をちゃんと処理させてあげられないなら、それを別の形で処理しないと駄目で、だから……」

 と言ったところで、伊代の声は続かなかった。


 だから、仕方がないことだと、伊代は言いたかったのかも知れない。


 そう言ってしまえば、伊代の父親の行動は一応、筋が通る。

 ただ、そうなると男性は欲求を溜めこんでしまったら、父親のような行動、言動を取ることになってしまう。


 だから、風俗へ行っても良い、セフレを作っても良い、と伊代は言ったのかも知れない。

 母親の姿が未来の自分であるなら、その時の傷を今から少しでも和らげる為の予防線。

 ふざけてるな。


「込み上げてくる欲求は、どういうものであれ、その人間だけのものだよ。そして、欲求に素直に従うのは動物の生き方で、人間のものじゃない」


「本当に? 本当にそうなのかな?」


「そうだよ」

 頷いた瞬間、別の考えが浮かんだ。


 世の中には、もしかすると自分では抗えないほどの欲求が込み上げ、支配され、自分の意思とは異なる行動、言動をする瞬間があるのかも知れない。

 それがないとは言い切れない。


 人間は常に理性的でいられる訳ではなく、時に動物のようなだらしのない欲求に支配される、……のかも知れない。

 それでも大切なものを見失いたくないし、傷つけない努力はしたい。


「僕は伊代とセックスがしたくて好きになった訳じゃないから。伊代は伊代のままでいいんだよ」


 あえてセックスという言葉を使った。

 下品な言葉。

 あまり好きじゃない。


「蒼は私のこと、嫌いにならない?」


「少なくともセックスができないことで、嫌いになったりはしない」


「そっか」

 言って、伊代が少し笑った。「ねぇ、蒼がセックスって言うの、はじめて聞いたけど。なんだか似合わないね」


「そうだね。たぶん、伊代も似合わないよ」


「うん、そんな気がする」


 僕らはセックスという言葉が似合わない場所にいて、たぶん、それで良いんだと思う。

 少なくとも、今は。

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拳銃と月曜日のフラグメント。 郷倉四季 @satokura05

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