創作の大海原へ、飛び立つ翼を持って

Win-CL

第1話

 21XX年――ネットの情報をブラウザの表面でなぞるのをやめた時代。

 自らがダイブし、情報に触れるようになった世界。


 服を買う時は、その場で好きな服装へ着替えてイメージを確認することができ、乗用車などについても、その場でチューンナップ後の性能が確認できるなど。人々の生活は2000年代と比べて確実に向上していた。


 そんな世界で、僕が足を踏み入れたのは――


「ここが……『カクヨム』……」


 大手小説投稿サイト『カクヨム』だった。


 大樹の中を模したような空間に、数多の本がフワフワと浮いている。


 どの本の表紙にも、タイトルと大きく二行で書かれたキャッチコピー。『このサイトでは誰もが好きに物語を書いて、読んでもらうことができる』とは聞いたことがあったけれど、やっぱり本当らしい。


 右も左も分からないままに、試しにそのうちの一冊を手に取った。


 ――自分にも生み出せるのかな。目の前にあるような、一つの物語を。


「――――」

「新しいユーザーの方ですね! 今日はどのような御用ですか?」


 ちょっと目を通してみようと本を開いた瞬間と、突然横から声をかけられたのは、ほぼ同時のことだった。


「『カク』ですか? 『ヨム』ですか?」

「えっ? えっ?」


 亜麻色の髪が、目の前でふわりと揺れる。

 綺麗な女の子の顔が、すぐ近くに迫っていた。


 え? 今なんて言ったの?

『カク』? ……『ヨム』?


 突然のことに思考が追いつかない、どうしよう。

 ユーザーと言われたような気もするけど。


「ええと……。カクヨムの人、ですか……?」


 質問に対して質問で返すのは良くないというのは、データベースに保存されていた昔の漫画の台詞。けれど今の僕には、そう尋ねること以外の選択肢が思いつかなかった。


 向こうは向こうで、少し驚いた顔をして。『自己紹介を忘れていましたね!』とそっと僕から離れてくれて。


「初めまして! 私は、お手伝いAIのリンドバーグです! あ、『カク』というのは作品を執筆することで、『ヨム』というのは誰かが書いた作品を閲覧することです!」


 マリンブルーの帽子とスカート。

 所々に付いているリボンが、お辞儀と共に大きく跳ねていた。


「お手伝いAI……」


 情報化が進んだ今の時代、AIが企業の一員として活動するのも珍しい話じゃない。この間のニュースでやっていたのは……どこかの大企業が実は人間はトップの一人だけで、あとの社員が全員AIだった、という話。


 ……相手が人じゃないと分かっただけでも、幾分か落ち着きを取り戻せた気がする。けど……AIにしては妙に人間っぽ過ぎやしないかな?


 と、なんだったけ。

『カク』……執筆。作品を生み出すこと。

 僕がしたかったのは、それだ。


「ええっと……『カク』方を――」

「それでは“作者様”ですね、良かった!」


 最後まで言い終わらないうちに喜ばれた。……良かった?


「私はこのサイトで、主に『カク』についてを担当していますので! これから頑張って、作者様の創作活動をサポートさせていただきます!」

「でも僕……いままで、そんなことしたことがなくて……」


 不安を隠せずに漏らしてしまった言葉に、バーグさんは『誰だって最初はそうですから!』と、満面の笑みを浮かべていた。






 ――それからは、一日のうち三時間は『カクヨム』で過ごす毎日が始まった。


 作者用のスペースへと初めて案内された時は、あまりにさっぱりとした設備に驚いた。なにせ、置かれているのは一本のペンと一枚のボードだけだ。


「ペンを握って考えるだけで、文章が浮かんできます。それの一文、一句、一文字を吟味しながら、お話を組み立ててください」


「文字を吟味?」

「そうですね……たとえば、七十代の女性を思い浮かべたとしましょう」


 バーグさんの言うとおりに、七十代の女性を思い浮かべてみる。

 すると、ボードの上にいくつかの言葉が浮かんできた。


『白髪の女性』『おばあさん』『お婆さん』

『老婆』『ババア』『BBA』『妙齢の女性』


「というように、こうやって浮かんできたのが作者様の貧相な語彙です!」

「貧相……」


 一つの物・事柄に対して、それを表現する方法は言葉だけに限っても膨大にあって。それは、その人の成り立ち・経験によって大きく変わってくるとのこと。


「現に『妙齢』というのは、十代後半から二十代――大きく意味を広げても六十代までを指す言葉ですので、今回の表現には当てはまらないかもしれません。このように、間違って覚えている言葉も出てくることがあります」


 真逆に憶えていた自分の知識を指摘され、申し訳ない気持ちでいると――バーグさんは『これもれっきとした“経験”ですから』とフォローをしてくれる。


「同じ出来事を書いたとしても、人によって違う文章になるのはそのためですね。“そこ”にこれといった正解はありません。わざと間違った言葉を使う作者様もいます。それを工夫するのも、楽しむのも、『カク』上で大切なことです」


「『カク』……」

「それでは、作者様の創作活動を応援していますね!」







 それからというもの、僕は創作の魅力にどっぷりと浸かっていた。


 空を作る、大地を作る、人を作る。自分が作った世界の中を飛び回るような、そんな感覚。新しい場所を、新しい人を生み出すのが楽しくて、どんどんと世界を広げていく。


『文章はまだ拙いですが、ちゃんと物語として形になってますよ!』

『一文に同じ単語が何度も出ていますけど、それだけ強調したいってことなんですね!』


 時には軽く傷つくことも言われたけれど……。それでも、次から次へと浮かんでくる展開を、文字として積み重ねていくのが楽しかった。


 ――それが、ずっと続けば幸せだったのだけれど。


 ある日、限界が訪れてしまった。


「なんだか、最近は書くペースが落ちていますね。大丈夫ですか?」

「……うん。大丈夫……」



 広げに広げ、書きたいことは書いた。

 ただ、その世界に見合う終わりが、自分の中に無かった。


 どこを探せばいいんだろう。どこから探せばいいんだろう。

 頭の中は空っぽになっていた。燃料がもう残っていない。


 いくら言葉を紡いでも、一向に終わりが見えない。

 果ての無い海を、延々と泳ぎ続けているような感覚だった。


「作者様。筆が止まって一週間ですけど……」

「…………」


 空を飛ぶなんてとんでもない。

 創作という大海原で、僕は溺れかけていたのだ。


 ……この話は、どういう物語に成りたがっているの?

 僕が一番、それを知りたかった。






 ……それから『カクヨム』へ足を運ばなくなるのは、至極当然の流れだった。


 行った所で、筆が進むあてもない。物語はあれ以上、前へ進むことは無い。どうせ無為に時間を消費するのなら、別の事をしていた方が幾らかは建設的なように思えた。それに……


 最後に見たバーグさんの表情は、僕の事を真っ直ぐに心配していて。

 またその表情をさせてしまうのが、辛かったのだ。


「……あぁ、面白かった。けど今度のランクマッチがなぁ――」


 今日もネットサーフィンをして、流行りのゲームを少し遊んで。

 それで満たされている筈なのに、まだ心のどこかに隙間があるようで。


「……リンド……バーグ」


 その名前が、ふと気になっただけのこと。

 情報系サイトの検索窓に試しに入力してみただけ。


 バーグさんが検索結果に出てきて、ここからでも『カクヨム』に繋がるのかな、と思っていたら、想像と違う結果が自分の手元に届いた。


「……チャールズ・リンドバーグ?」


 それは二百年以上も昔の人の記録だった。


 プロペラ機に乗り、単独で大西洋無着陸横断を達成したという飛行士の名前。他にもいろいろと経歴が乗っていて、とにかく凄い人だということは分かった。


 飛行士……。


 単独飛行ということは、たった一人で飛び続けるということだ。変わってくれる仲間もいない、それはもう孤独な戦いなんだろう。それでも、彼は成し遂げた。


《挑戦にはリスクはつきものだ。それは挑戦なくして成功がないのと同じことだ。》

《勇気が必要なのは打撃を受けた瞬間ではなく、正気と信念、安全に立ち戻るための長い上り坂においてである。》


 名言の欄にある言葉が、自分の胸に次々と刺さる。


 彼女の名前がそこから来ているかは分からない。……けれど、僕に飛ぶための力を貸してくれたのは彼女だった。たまに失敗することもあったけど、彼女は真剣に応援してくれていた。


 震える手で『カクヨム』のページを開き、ダイブする。


 創作活動は――決して孤独なものじゃない。確かに物語を作るのは作者自身だけども、周りには支えてくれる人がいるのだ。


 彼女が支えていた翼を勝手に折って、勝手に溺れてしまった。それは、他でもない僕の責任だ。それなのに――


 ……それなのに、彼女は『ごめんなさい!』と僕を出迎えてくれた。






「やった……なんとか書けた……」

「おめでとうございます! 作者様!」


 それは――別に壮大でもなんでもない物語の終わりだった。


 文字で埋め尽くされたボードにあるのは――膨らますだけ膨らませて、着地点はぐっちゃぐちゃ。決して褒められたものではない、物語もどきの姿。


 ――それでも、これが僕の作品。初めて踏み出した、大きな第一歩。楽しんで、苦しんで。バーグさんの手助けを受けて。そうしてなんとか作り上げた、たった一つの僕の作品。


 書きあがった作品を置いておくための棚へ、ボードを収めようとしたのだけど――『ちょっと待ってください』と、バーグさんに止められる。


「今日のこれで……完成ですよね……?」


 まさか、ここから推敲作業に入るなんて。そんな体力は残っていない。と言うと、『そうじゃありません』と彼女は小さく笑った。


「最後に“これ”を書くために、多くの作者様は頑張っているんですよ。これが物語を閉じる最後のキーです。ほら、文章の最後、この空いているところに――」


 バーグさんに促されて、言われるがままに“それ”を書き足す。


 それは僕の“作品”が――創作の大海原へと、羽ばたいた瞬間だった。






(了)

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