262 襲撃事件

 ぐずついた天気が続く中、予定通り伏見へと移動した。

 伏見奉行所に着くとさっそく“新選組本陣”と書かれた看板が掲げられ、赤地に白で“誠”の一文字と、下部には山形模様が染め抜かれた幕も掲げられた。


 一応、私たちは慶喜公の命でここへ来たのだけれど……快く思っていないのであろう薩摩や長州、土佐の人らが用もなく奉行所付近をうろうろしていたりと、結局ここへ来てもピリピリとした雰囲気は変わらなかった。




 翌日、ようやく天気が回復した。

 数日ぶりに見るお日様は本当に気持ちがよくて、昼食後の眠気を覚まそうと冷たい空気を我慢しながら日光を浴びていたら、ふと思い出した。


「あっ!」

「どうした!?」


 墨が跳ねそうな勢いで筆を置いた土方さんが、すぐにでも立てるような体勢で開け放った障子の向こうを警戒している。どうやら敵襲か何かと勘違いさせてしまったらしい……。


「えっと……煤払いするのすっかり忘れてたなーと……」

「何だ、んなことかっ! びっくりさせやがって」

「すみません……。でも、毎年十二月十三日は煤払いをしてきたじゃないですか?」

「今年は忙しくてそれどころじゃなかっただろうが」


 まぁ、そうなんだよね。だからこそ、私も今の今まで忘れていたわけで。


「……あっ!」

「ッ!? 今度は何だっ!?」

「……今からでも煤払いしますか?」


 しばらくはここに住むことになりそうだし、よく見れば部屋の隅とか埃がたまって……って、なんだか鋭い視線を感じて目線を戻せば鬼がいた。


「馬鹿か! この状況で呑気に掃除なんてやってられるか!」

「で、ですよねー!」

「……いや、どうしてもって言うなら止めはしねぇ。お前一人でやってこい」


 隅だけでなく部屋全体を見渡してみるものの、この部屋だけならまだしもさすがに一人じゃ終わる気がしない。だいたい寒さ厳しいこの季節に暖房器具も乏しい中大掃除だなんて、正直苦痛でしかない。

 言い出しっぺは私だけれど、ほら、移動してきたばかりで何かとまだ忙しいし? 治安維持に尽力したいし? 今年一回サボったくらいで罰は当たらない……?

 よしっ! と部屋の隅にたまった埃から目を背ければ、土方さんに見透かされ鼻で笑われた。


「んなことより、天気も良くなったんだ。そろそろ総司の奴を迎えに行ってやれ」

「そうですね。さっそく今から行ってきます」

「あ、おい、ちょっと待て」

「はい?」


 軽く手招きする土方さんが、財布から取り出したお金を私の手のひらに乗せた。


「あいつのことだ、臍曲げてるだろうから団子でも買っていってやれ」

「はいっ!」




 さっそく甘味屋へ寄ってから沖田さんのところへ行けば、出迎えてくれたお孝さんが、部屋へ案内しながらここ数日の様子を教えてくれる。時折激しく咳込むことはあるけれど、熱は一応下がったみたいだと。

 お孝さんが声を掛けて開けた襖の向こうで、沖田さんはすやすやと眠っていた。


「あら? ついさっきまで起きていらしたのやけど」

「それじゃ、このままここで少し待たせてもらいますね」

「ほな、しばらくお任せします」


 お孝さんを見送って、眠っている沖田さんの側で腰を下ろした。

 今は症状も落ち着いているのか呼吸も穏やかで、顔色も出立時に比べたら随分よくなっている。一応熱も確認しようと額にそっと手を乗せてみたけれど、確かに熱くはなかった。

 移動には駕籠を使うし大丈夫そうかな、と手を離そうとするも、上から押さえるようにして掴まれた。


「……春くんの手、随分冷えてますね」

「外は寒いですし……って、すみません。起こしちゃいましたね……」

「いいえ~。起こすも何も最初から起きていましたから~」


 ……なるほど。まぁでも、起きているのなら支度をしてもらって、その間に駕籠を呼んでくればちょうどいい。沖田さんにもそう伝えてみるけれど、なぜか手を離してくれない。


「沖田さん?」

「外、寒そうですね~」

「はい。だから暖かい恰好してくださいね」

「せっかくだから、一緒にもう一泊してから行きませんか~?」


 何がせっかくなのかわからないうえに、なぜ私まで?


「もしかして、まだ動くのだるいですか? それなら後日改めて迎えに来ま――」

「一人はつまらないんで嫌です」

「嫌も何も、体調が優れないなら一人でゆっくり休んだ方がいいと思いますけど……」


 私だって、この寒いなか外へ出ないで済むならそうしたい。

 けれど、一日伸ばしたところで冬は終わらないし、どの道外へ出なければ帰れない。何より、遅くなればなるほど土方さんの雷が落ちる気がする。

 って、土方さんで思い出した。


「そういえば、お団子を買ってきたんです。よかったら食べますか?」

「もちろん。じゃあ、それ食べたらゆっくり行きますか~」


 そう言って、私の手を開放して起き上がる。実は体調より面倒くさくて動きたくないという沖田さんに、まだほんのり温かいみたらし団子を一本取って差し出した。

 けれど、なかなか受け取ってくれないうえに大口を開けて待っている……。


「……沖田さん?」

「早くしないと布団にみたらしが垂れちゃいますよ~?」

「だから早く受け取ってくだ――」

「ほらほら~、あーん」


 って、子供か!

 とはいえ、いい加減みたらしが限界で、仕方なく沖田さんの口へ突っ込んだ。


「ん~、美味ひいですね~」

「……それはよかったです。それじゃあ残りは自分で――」

「え~。食べさせてくれないと行きませんよ~?」

「なっ……」


 これは……一人はつまらないなんて言っていたし、たった三日……されど三日の留守番に拗ねている?

 だからって、私で憂さ晴らしするのはやめて欲しいのだけれど。

 とはいえ、この調子じゃ私一人で戻るのは難しそうだし、食べたら帰ると言っているのだから仕方ない……。




「はい、もうおしまいです! そろそろ行きますよ」


 まさか、買ってきたお団子がなくなるまで口に運ばされるとは思わなかった。


「食べてすぐ動いたら消化に悪いじゃないですか~」

「……それはまぁ、確かに。じゃあ、少しだけ休憩したらいきますよ?」




「沖田さん、そろそろ行きますよ!」

「お腹も満たして休憩もしましたが、急に身体を動かすのは良くないと思うんです。だから少し慣らしてから行きませんか~?」


 そう言うと、沖田さんは私の返事も待たずに独楽や福笑い、双六などの子供たちとよく一緒に遊んでいた玩具を取り出してきた。

 そういえば最近遊んでいないなぁ……と、それらを眺めながら思ったが最後、何だかんだと言いくるめられ少しだけ遊ぶことになったのだった。




「沖田さん! いい加減にしてください! もう行きますよ!」

「あ~あ、残念です。もう少しねばれたら、一緒に泊まって行けたかもしれなかったのに~」


 一緒に泊まるも何も、伏見奉行所だって同じ屋根の下じゃないか!

 昼過ぎにここへ着いたはずなのに、空は夕焼けすら通り越して真っ暗になっている。さすがにこれ以上は限界で、お孝さんに呼んでもらった駕籠に沖田さんを押し込み伏見奉行所へ戻った。

 何とか朝帰りは阻止したものの、土方さんの第一声が“おかえり”ではなく“おせぇ!”だったのは言うまでもない……。






 翌朝。

 お孝さんからとんでもない報せが届いた。未明に、沖田さんを狙った襲撃があったのだと。

 幸いお孝さんは無事だったけれど、押し入ってきたのは三人で、その全員が前まで新選組にいた顔ぶれだった、と。

 つまり、新選組隊士……。


「御陵衛士の残党だろうな」


 沖田さんに割り当てた伏見奉行所の一室で、当事者である沖田さんに伝え終えた土方さんが憎らしそうにそう締めくくった。

 すると、布団の中で話を聞いていた沖田さんが、私に向かって冗談めかすように微笑んだ。


「やっぱり、あのまま泊っておけばよかったじゃないですか~」

「……え。あのままいたら危なかったってことですよ?」

「そうですか~? 仕留めそこねた残党を始末できる、良い機会だったと思いますよ~?」


 なんとも沖田さんらしい発想……。

 とはいえ、いくら沖田さんといえど私に心眼があろうと、複数で寝込みを襲われたらどうなっていたかわからない。沖田さんの強さはよく知っているけれど、そもそもそんな風に布団の中から言われても、説得力に欠けるわけで……。


「あー、すぐ病人扱いする~。酷いな~」


 そう言ってわざとらしく口を尖らせる沖田さんを横目に、土方さんが険しい顔をした。


「んなことより、問題はどうして総司があそこにいるとわかったか、だな」

「うわぁ、もっと酷い人がいた。僕のことより、隊内に間者がいるかもしれないっていう心配です~?」

「馬鹿。襲われたくらいで簡単にくたばるお前じゃねぇだろうが」

「ふ~ん? まぁ、否定はしませんけど~」


 あはは、と笑う沖田さんにつられたように、土方さんもにやりと笑みを返すのだった。




 その日の夕刻。

 まだ布団で横になっている沖田さんの様子を見に行こうとしたら、突然入り口の方が騒がしくなった。尋常じゃない騒々しさに土方さんも違和感を覚えたようで、一緒になって見に行けば怪我人が屋敷の中へと運ばれているところだった。


「おい、どうした!? 誰がやられた!?」


 土方さんの声に集まっていた人たちがさっと道を譲れば、開けたその先に見えたのは朝から二条城へ行っていた近藤さんだった。

 右肩を負傷しているのか左手で押さえているけれど、傷口から溢れ出た血で着物が真っ赤に染まっている。額には大量の脂汗まで浮かんでいるのに、土方さんに気付いた近藤さんは無理やり両頬に笑窪を作った。


「……歳か。すまん、この様だ」

「一体何があった!?」


 血相を変えて土方さんが走り寄るも、先に駆けつけていた山崎さんが間に入った。


「副長、今は手当てを急ぎましょう」

「あ、ああ、そうだな。頼む」


 そこへ、近藤さんと一緒に行っていた島田さんが戻ってきた。乱れた呼吸を整えようともせず、帰り道での出来事を土方さんに報告する。

 島田さん曰く、墨染付近で突然馬に乗っていた近藤さんが右肩を撃たれたのだと。追撃だけは避けるべく、咄嗟に近藤さんの馬のお尻を叩いて走らせその場を脱出させたという。

 つまり、近藤さんは肩を撃たれながらも痛みを堪え、全速力の馬に振り落とされることなくここまで戻ってきたということ。凄い。


「で、近藤さんを撃ったのは誰だ!? 顔は見たのか?」


 土方さんが島田さんに詰め寄った。


「……御陵衛士の残党でした」


 チッと土方さんが舌打ちをすれば、側で一緒に話を聞いていた永倉さんが言う。


「このまま黙っちゃいられないだろう。間に合うかわからんが今からそこへ向かってみる。土方さん、いいだろう?」

「ああ。頼んだぞ、しんぱ――」

「僕も行きます」


 背筋も凍るようなただならぬ殺気を感じて振り返れば、そこに立っていたのは騒ぎを聞きつけてやって来た沖田さんだった。寝間着姿なのに、その手にはしっかりと刀が握られている。


「近藤さんを傷つけた奴らを絶対に、許……さ――ゲホゲホッ!」

「沖田さん!?」

「総司!」


 沖田さんの気持ちとは裏腹に、咳は徐々に激しさを増しその場に膝までつかせた。


「総司! 気持ちはわかるが今は新八に任せてお前はここでじっとしてろ!」

「おう。俺に任せておけ! 一番組、二番組は俺について来い!」

「……僕、もッ――ゲホゲホッ」


 それでもまだ永倉さんを追おうとするから、思わず沖田さんの両肩を掴んで早口に捲し立てた。


「私が行ってきます! 私は一番組の組長なんですよね? ならここは私に任せて沖田さんは近藤さんの側にいてあげてください。もしここにも襲撃があったら、近藤さんを守れるのは一番組の組長である沖田さんだけです。沖田さんが護衛についているなら、近藤さんだって安心するはずですから!」


 返事なんて待たずに永倉さんを追いかけた。だって、沖田さんの気持ちを考えたら素直に首を縦に振りたくなんかないはずだから。


 それからすぐに永倉さんと一番組、二番組の隊士らとともに近藤さんが襲撃された現場へ向かった。

 けれど、犯人たちはすでに逃走していて遭遇することはなく、現場に残されていたのは、襲撃時にともに襲われたのであろう近藤さんのお供の隊士ら数名の亡骸だけだった。

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落花流水、掬うは散華 ゆーちゃ @yuucha_siren

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