261 別れ、伏見奉行所へ

 今日は朝から厚い雲が広がっていて、時折雨もぱらついていた。

 そんな中、土方さんが言っていた通り隊士たちに臨時の手当てが配られ、同時に、僅かだけれどそれぞれ自由時間まで設けられた。


 出立前にわざわざそんな時間が設けられたのは初めてだった。

 慶喜公は今も変わらず武力衝突を避けようとしているけれど、たとえば小石一つを投げ入れるだけで戦に雪崩れ込んでしまいそうなくらい、特に会津、桑名両藩の怒りは収まっていないという。いつ戦になってもおかしくないからこそ、そんな時間が設けられたのだと。


 配られたお金を持って家族や馴染みの芸妓のもとへ向かう人が多い中、そのどちらもいない私は一瞬お墓参りを考えたけれど、それじゃまるで本当にこれで最後みたいに感じてしまったから、あえて普段通り甘味屋へ行くことにした。

 本当は沖田さんも誘って行きたいところだけれど、ここ数日また体調を崩して寝込んでいて、下手に顔を出せば一緒に行くと駄々をこねられそうだから、適当に見繕ってくることにした。


 今頃は自分の部屋で寝ているはずだけれど、それでも無意識にそーっと歩いていたら、屯所の門の向こうに赤ちゃんを抱えた女性が一人、こちらの様子を窺っているのが見えた。

 何か用があるのかな? と外へ行くついでに声をかけようと思うも、辿り着く前に去ろうとするから慌てて追いかけた。


「あのっ。何か用があったんじゃないですか?」

「い、いえ……忙しそやさかいやっぱしええどす……」


 そう言うわりには、どこか迷っている気がして引き止めれば、女性は諦めたようにある名前を口にした。


「……永倉新八様にお会いできるでっしゃろか?」


 永倉さんなら確かまだ屯所にいるはず。ここで待っているよう伝えて永倉さんを連れて戻ってくるも、当の永倉さんはこの女性が誰だかわからない様子。

 すると女性は、赤ちゃんの乳母だと名乗った。


「永倉様……こないだ、小常はんが亡くなりました。この子はお二人の子、いそどす」

『えっ!?』


 揃って驚きの声を上げるも、身に覚えはあるのか永倉さんはすぐに落ち着きを取り戻した。


「春、悪いが近くの店に案内してそこで待っててもらえないか」


 すまん、と言いながら返事も待たずに屯所の中へ戻っていくから、言われた通り案内して一緒に待った。

 やがて戻ってきた永倉さんと入れ替わるようにして外へ出れば、永倉さんが赤ちゃんを大事そうに抱き上げるのが見えた。

 やっぱり永倉さんの子供なのかな……?




 盗み見するつもりはなかったのだけれど……想像以上に早く出てきてしまい、屯所へと戻りながら二人と別れた永倉さんが説明してくれる。

 どうやら永倉さんは、小常さんという島原遊郭出身の芸妓と随分前から夫婦同然の仲だったらしい。その小常さんとの間に今年の七月、赤ちゃんが生まれ磯と名付けられていたのだと。そして、小常さんの方は産後の肥立ちが悪く先日亡くなってしまったのだと。


 ……って、永倉さんにそういう人がいたことにはそこまで驚かないけれど……誕生から半年近くも経つというのに、赤ちゃんがいたことを知らなかったってどういうこと!? その間、一切会っていなかったってこと!?


「忙しかった、を言い訳にはしたくないが、今年は何かと忙しなかっただろう……。小常の方も、そんな俺に気を遣って黙っていたらしい」


 言われてみれば伊東さんの分離とか幕臣取り立てとか……ちょうどその頃も色々あったっけ。

 新選組として常に死と隣り合わせの永倉さんに、余計な心配をかけまいと自身の体調のことも妊娠から出産のことも、何より、亡くなる直前にはそれすら告げなくていいと乳母に伝えてあったらしい。

 屯所の前で乳母が迷う素振りを見せていたのは、そのせいだったのかと納得がいった。


「せっかくの親子の時間なのに、あんなに短くていいんですか?」

「今は仕方ないだろう。それに、あんまりゆっくりしてたら小常に怒られそうだからな」


 ……確かに。余計な心配をかけまいと、ここまで徹底していたくらいだもんね……。

 その代わり、お金と自身が前にいた江戸の松前藩邸を頼るよう手紙を託してきたらしい。


「ま、生きてりゃいつかまたどこかで会えるさ」


 そうは言っても、少し歩調を速めたその背中はほんの少し寂しそうだった。




 永倉さんと別れて甘味屋へ行ったその帰り、おまさちゃんのところへ行くという原田さんに会った。

 明日には大坂へ行かなければいけないし、その間に何かあったら困るからと、生活に困らないようお金を渡しに行くという。

 そして、おまさちゃんも会いたがっているから、と私も一緒に行くことになった。

 よく考えたら、私も忙しさにかまけて全然会いに行けていなかったから、永倉さんのこと言えないかも……なんて思った。


 おまさちゃんは相変わらず元気な笑顔で出迎えてくれた。

 ただ、お腹はもう随分大きくなっていて、訊けばいつ生まれてもおかしくないという。

 そっとお腹にさわらせてもらいながら訊いてみた。


「男の子かな? 女の子かな?」

「そんなん、生まれてみいひんとわからへんで。そやけど、茂の時と違うてお腹突き出てへんさかい、たぶん女の子や思う」


 そう言っておまさちゃんが微笑めば、その隣では、原田さんがそれ以上ににやけていた。


「女の子だったら、原田さんデレデレになっちゃいそうですね?」

「絶対、おまさに似て可愛いに違いない」

「もう、左之助はんってば! 恥ずかしいさかい人前でそんなんいうのんはやめてや」

「事実だから仕方ねーだろう」


 なんだかこっちまでにやけてしまいそうなやり取りは、相変わらず仲睦まじくて安心する。

 けれど、おまさちゃんの顔がほんの少し曇った。


「おまさちゃん?」

「きょうび世間は一層やかましいやん? 今回は一人で産むことになりそうやなって、ちょい不安になってもうただけ。って、こんなんうちらしゅうないなぁ。かんにんえ」


 そういえば、前回は夜通し原田さんが付き添っていたんだっけ。

 本来ならこの時代、出産に夫が立ち会うことはまずないらしいけれど、この二人なら納得だ。だからこそ、明日から大坂へ行かなければならない原田さんも不安なのだろう。

 さっきまでのにやけ顔が一転、大真面目な顔をした。


「おまさ、俺はちゃんとお前たちのところに帰ってくる。だが、万が一ってこともあるから当面の金は渡しておく」

「……はい」


 原田さんが、側で遊んでいた茂くんを抱き上げ膝に乗せた。


「一つだけ約束してくれ。もし俺に何かあったら、俺に代わって茂を立派な武士にして欲しい」


 すぐに返事はなかった。

 少しの間、膝の上で遊ぶ茂くんの声だけが部屋に響くも、おまさちゃんは決心したように顔を上げて頷いた。


「任せといて」

「おう!」


 原田さんが茂くんごとおまさちゃんをぎゅっと抱きしめれば、おまさちゃんはにじむ涙を原田さんの着物に隠しながら笑った。


「もう~、恥ずかしいさかいやめてってばぁ」


 ここから先は、限られた時間を家族だけで過ごして欲しいから……。


「そろそろお暇するね」

「あっ、お春ちゃん。二人目生まれたら、また抱っこしたってな?」

「もちろん、喜んで!」


 その日を楽しみに思いながら、またね、と原田さんの家を後にするのだった、






 翌日。

 大坂へ向かわなければいけないというのに雨だった。おまけに風も強く、こんな中出立するのは正直面倒くさい……なんて思っていたら、後ろから舌打ちが聞こえた。

 恐る恐る振り返るも私に対してではなかったようで、土方さんは大事なことが書かれているという書状を睨むようにして眺めていた。


「先日、山崎が言っていた王政復古の大号令が出た」


 後日正式に通達があると言っていたから、その報せなのだろう。

 そういえば……。


「新選組の名前も変わるとか何とか言ってませんでしたっけ?」

「新遊撃隊……、御雇」


 最後だけぼそっと付け足したあたり、よっぽど気に入らないらしい。

 すかさずじろりと睨まれるけれど……。


「本当に変わるんですかね?」

「あ? 一緒にそう書いてあるんだ、そうなんだろうよ」

「でも私、そんな名前知らないんですが……」


 私の言いたいことを察したのか、土方さんは腕を組み考え込むもすぐに顔を上げた。


「そうは言ったってお前、新選組の前身が壬生浪士組だったことも知らなかったんだろう?」

「う……」


 確かに、反論のしようがないほど知識はその程度だけれども!

 それでも、後世“新選組”として伝わっている……はず。


「やってみる価値はあるか」

「へ?」

「無視する」


 何を? と首を傾げる側で、土方さんは手にしていた書状をぐしゃぐしゃに丸めた。


「俺たちは、今まで通り新選組で通す」

「……そんな勝手許されるんですか?」

「お前が言ったんだろう?」


 そう言ってわざとらしくにやりとした次の瞬間、丸めた書状をくずかごに投げ入れた。

 ナイスショット! ……って、責任なんてとれないからね!




 しばらくして、雨足を確認する土方さんが障子を閉めながら言った。


「そろそろ総司の奴を移すか」

「近藤さんの休息所に、でしたっけ」

「ああ。あそこにはお孝がいるからな」


 やむどころか、さらに酷くなりそうなこの雨風の中、昨夜から熱も出ている沖田さんを一緒に大坂へ連れて行くのは難しいと判断、お孝さんのもとに預けることになっているのだけれど……。


「いつも通り屯所で留守番でもいいんじゃないですか?」


 わざわざこんな雨の中移動させなくても……と思う。


「今回は全員出払っちまうからな」


 どうやら警備が手薄になったところを、新選組をよく思わない勢力から狙われる可能性が無きにしも非ず……ということらしい。

 確かに、いまだ坂本龍馬暗殺の犯人疑惑も払拭できていないみたいだし……。その点、お孝さんなら信用できるしつきっきりで看病もできて安心だから、と。


 けれど、沖田さんに移動の話を告げたら案の定渋られた。移動についてではなく、留守番であることを。

 ただ、それを見越していた土方さんが近藤さんを連れてきていたおかげで、説得にさほど時間はかからなかった。


「あ~あ。僕もみんなと一緒に行きたかったのに……」

「総司。表に駕籠を呼んである。いつまでもぐちぐち言ってねぇでとっとと乗りやがれ」

「その駕籠で僕も大坂まで連れて行ってくれればいいじゃないですか~」


 鬼~、と悪態をつきながらも渋々立ち上がる沖田さんに、近藤さんが苦笑した。


「まぁまぁ。天候が回復して拠点も決まり次第、約束通り迎えを寄こす。だから少しの間だけ辛抱してくれないか?」

「……近藤さんがそこまで言うなら仕方ないですね~。約束ですよ?」


 ああ、と微笑む近藤さんの横で、すかさず土方さんが付け足した。


「熱も下がったら、だ」

「鬼のくせいにいちいち細かいですね」

「あ?」


 まぁまぁ、と再び近藤さんがなだめに入るその光景は微笑ましく、つい頬が緩むのを感じれば沖田さんが私を見た。


「迎えには春くんが来てくださいね?」

「え、私ですか!?」

「おい総司、こう見えてこいつだって暇じゃねぇんだぞ!」


 こ、こう見えてって失礼な!


「大人しく留守番に応じるんです。それくらいいいじゃないですか~。ねぇ、近藤さん?」

「ん? あ、ああ、そうだな」

「総司、てめぇ近藤さんを巻き込むんじゃねぇ」

「最初に巻き込んだのは土方さんでは~?」

「んだと!」

「まぁまぁ。春、すまないが頼んだぞ」

「わ、わかりました……」


 頷いた瞬間土方さんが睨んでくるけれど、こうして迎えは私が行くことで決着がついたのだった。




 無事に沖田さんを移動させると、大坂行きを勧めてくれた若年寄の永井尚志さんという人とともに出立となった。

 大雨の中、警護をしながらの移動は大変なうえ、沖田さんの留守番は改めて正解だったと思うほどに寒い。

 それでも予定通り大坂へ着くと、その足で近藤さんは永井さんとともに大坂城にいる慶喜公のもとへ向かい、残りは人数も多いので大坂天満宮を宿舎にすることとなり、夜になって戻ってきた近藤さんがみんなを集めて言った。


「我々新選組は、慶喜公より伏見での警備を命ぜられた。よって監察方には偵察に先行してもらい、明後日本隊も伏見奉行所へと移動する」


 今、伏見辺りの治安はかなり悪く、王政復古が発令されたことでさらなる混乱を招く可能性が高い。だから伏見奉行所に陣を構え、新選組が警備と治安維持をすることになったという。

 それから、と続ける近藤さんが、さっきまでの硬い表情を緩めて大きな笑窪を作った。


「我々は新遊撃隊御雇などではない、新選組である! と伝えてきた」


 集結している百名を超す隊士たちが、一斉にどよめいた。

 近藤さんもあの名称は気に入らなかったのかな? それともやっぱり御雇の方が……?

 何はともあれ新選組はやっぱり新選組だし、何より土方さんの表情も嬉しそうで、つられて私まで嬉しくなるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る