260 王政復古の大号令
十月に幕府は討幕を目論む薩長を出し抜く形で大政奉還をしたけれど、長いこと政治から離れていた朝廷にいきなり全ての政治を行えるはずがなく、辞職を願い出た慶喜公はいまだ将軍職を勅許されたままでいる。
だから、今後正式に朝廷が政治を担うことになったとしても、知識や経験だけでなく諸外国との繋がりもある慶喜公が要職に就き、これからも政治に係わっていくのはある意味必然、と幕府を支持する藩はそう思っている。およそ二百六十年という歴史ある徳川幕府の政権を返上したのだから、無用な混乱を避ける意味でもそれくらいは当然だろうとも。
けれど、それでは今と大して変わらないから、納得できない討幕派は徳川家に変わって政権を握りたい薩長を中心に、慶喜公を外すためならいまだ武力も辞さないといった構えだった。
そんな中迎えた、十二月九日の朝。
夜通し行われていたという朝廷の会議が終わったあと、薩摩、芸州、尾張、越前、土佐の藩兵が突然御所の門を封鎖してしまい、それまで警備を任されていた会津藩兵らが追い出されたらしい。
まるで、文久三年に長州が追い出され時みたいに……。
そういえば、その長州はその後の禁門の変で朝敵とみなされ今の今まで京へ入ることすらできなかったけれど、朝議で赦免が決定、同時に藩主父子の官位復旧も認められたらしい。
巷では薩摩藩による攻撃の噂があり、守護職屋敷の近くでは会津藩士と薩摩藩士が衝突するという事件が起きたりした。
世の中が大きく動いている……そんな雰囲気をみんな肌で感じながら、新選組は与えられた任務を一つ一つこなしていく日が続いた。
そんな中、二条城からのお達しがあり出動すれば、会津藩、桑名藩などのいわゆる佐幕派が武装して二条城に集結していて、城門前には大砲まで置かれていた。
先日、会津をはじめとした佐幕派が朝廷から追い出されり、長州の朝敵が取り消されたりなど、強引な薩長に対する不満は今にも爆発しそうな雰囲気で、そこかしこから納得がいかない! 挙兵すべき! 薩長を討つべし! といった声があがっていて、物々しい雰囲気に包まれている。
幕府側に与する新選組も、近藤さんや土方さんをはじめ、本音ではここに集まった人たちと同じ気持ちなのは見ていてよくわかる。私ですら、ここのところの薩長のやり方には全然納得がいかないくらいなのだから……。
けれど、争いを避けたい様子の慶喜公はただひたすら暴走しないようにの一点張りで、過激な発言には一切耳を傾けようとしなかった。
そして、ここでの警備を任された以上は新選組もそれに従うしかないから、些細なきっかけで爆発しそうな二条城の警備をしながら、側にいる土方さんに訊いてみた。
「私だって戦なんてしたくないですし、戦を回避しようとする慶喜公のその姿勢は素晴らしいとも思うんです。……けど、だからってどうして何もしないんですか? いくら大政奉還したからって、ここまで強引にやりたい放題されて悔しくないんですかね……」
どんな理由があれ、戦争なんて回避できるならそれが一番いい。
だけど、それとは裏腹に“悔しくないのか”というのも本音だった。
「慶喜公は水戸出身だ。水戸藩は御三家でありながら尊王思想が盛んだからな、朝廷を敵に回すようなことはしたくはねぇんだろうよ」
「でも、敵は朝廷じゃなくて薩長ですよね?」
「今の朝廷を味方につけてるのは、何が何でも討幕したい薩長みてぇだからな」
「なるほど……」
味方につけていなきゃ、そもそも会津藩らを御所から追い出すことなんてできないもんね……。
こんなこと言いたくはないけれど、攘夷を強く迫りながらも幕府に寄り添い過激な長州を朝敵とした孝明天皇が存命だったら、こんな風にばなっていなかったんじゃないのかな……。むしろ薩摩の方が追い出されていたりして? ……なんて思ってしまった。
それからしばらくして、この二条城に勅使が来るという報せが入った。ただ、その勅使の警護には薩摩藩がついているという……。
薩長憎しとこの殺気立った群衆の中に入ってくるなんて、何が起きてもおかしくない……。そう思ったのは私だけじゃなかったようで、決してこちらから発砲などしないように、とのことだった。
まぁ、そんなことになったら本当に戦になりかねないし、より一層殺気立つ群衆に緊張と不安を抱えながら警備を続けたけれど、結局、その勅使が来るのは延期となり新選組も翌朝には屯所へ戻るのだった。
二条城から帰ってくると、さっそく文机に向かう土方さんが呟いた。
「ひとまず三千両は返しとくか……」
「返す? って、どっかから三千両も借金してたんですか?」
「いや、借りたのは全部で四千両だがな」
「よ、四千!?」
どうやら十二月上旬、徳川家を支持する藩や見廻組らが参加した軍議に新選組も参加していて、そこで近々戦を始めるといった話になり、ならば資金集めを……と大坂にある鴻池屋さんなど十軒から四百両ずつ、合計四千両を借りていたのだと。
ただ、二条城に集結している兵らの外出を禁止してしまうくらい、慶喜公の武力衝突は避けたいという頑なな姿勢に、戦の話は消え返済することにしたのだと。
「……あれ? でも全額は返済しないんですね」
返すのは四千でなく三千だと最初に言っていた気がする、とついさっきの会話を思い出せば、土方さんは突然腕を組み、何やら大げに考える素振りを見せながら目を閉じた。
「実はな、会津から支給金も入ったから隊士たちにも臨時で分配しようと思ってるんだが……。そうしたら、総司あたりは普段食わない旨い菓子をたくさん買うんだろうなぁ」
「そうなんですか!? そんなにもらえ――」
「だが、お前はいらねぇのかぁ、そうかぁ」
「……え?」
「お前の頑張りを側で見てきた副長としては残念だが、お前がそこまで言うなら仕方ねぇよなぁ」
「あのー……土方さん?」
「お前の分の金は返済に回そうとおも――」
「土方さんっ! って、イタッ!」
思わず身を乗り出したところでデコピンが飛んできた!
にやりとする顔と目が合うけれど、今の今まで見えていなかったはずなのにどうして命中するのか!
「あのなぁ、こんな状況じゃいつ何が起きてもおかしくはねぇんだ。いざって時に足りなかったら困るだろうが」
「あ、確かに……」
おでこをさすりながら納得するも、ふと思う。
こんな状況だからこそ何かあったら返すあてもなくなってしまうのでは? と、さらにふと思う。
そもそも、今まで借りてきたお金はちゃんと全額返済したのだろうか……と、つい首を傾げたのがいけなかったのか声に出してはいないはずなのに、馬鹿野郎! と睨まれるのだった。
十二月十二日の夕刻。
いまだ二条城の混乱は収まらず、大坂へ下ることを勧められた慶喜公は集結していた会津、桑名の藩兵を引き連れ大坂城へ向かったらしい。
二条城の留守居は新選組が任され出動するも、同じく留守居を任されたという水戸藩がいて、ちょっとした小競り合いになった。
どちらも正式に任されているからこそ互いに引けず、といった様子だけれど、正式に任されているのなら協力すればいいのに……なんてうっかり口を滑らせるのは憚られるほど、水戸藩側は自分たちだけでやるから帰れ! と言わんばかりにピリピリしている。
だからって、こちらも正式に任されている以上帰るわけにもいかず、幕府のお偉いさんに相談に行けば理由が判明した。
どうやら家臣は新選組に、そして慶喜公自身は水戸藩にそれぞれ二条城の留守居を頼んでしまったらしい。結局、相談に乗ってくれた人の勧めで二条城の警備は水戸藩に任せ、新選組は慶喜公のいる大坂城へ向かうことになった。
そして、出立へ向けての準備をしていれば、山崎さんが部屋へ飛び込んできた。
ちょっと天然の気はあるけれど、いつも落ちついている普段の山崎さんからは想像がつかないその慌てぶりが、事の重大さを物語っていた。
いかにも内緒話をする、という距離まで土方さんが山崎さんの方へ身体を寄せるから、私も同じように距離を詰めた。……って、大事そうな話なのに私が聞いてもいいのかな? まぁ、この状態でも何も言われないのだからいいのだろう。そういうことにしておこう。
「おそらく近日中に正式な通達があると思いますが……どうやら九日に王政復古の大号令が宣言されていたようです」
「王政復古の大ごッ――!?」
「春さん、しーっ!」
「この馬鹿っ!」
思わず大声を出してしまえば山崎さんには慌てて人差し指を立てられ、土方さんには無理やり口を塞がれた。
確かに今のは私が悪い……反省しているから早く離して欲しい。その手が鼻にまでかかっていて息がっ!
「いいか、騒ぐなよ? 次騒いだら部屋から追い出すからな?」
コクコクと必死に返事をすれば解放され、すぐさま深呼吸をする横で山崎さんが眉尻を下げた。
「すみません。驚かないでください、と最初に伝えるべきでしたね」
いやいやいや、山崎さんは何も悪くない。相変わらずの過保護っぷりに、土方さんはなぜか私をひと睨みしてから続きを促した。
王政復古とは、読んで字のごとく“天皇を中心とした政治体制に戻る”という意味らしい。
これにより大政奉還後も実質政治を担っていた幕府は正式に廃止、同時に天皇以外の朝廷組織も解体して、新たに“総裁”“
そして、なんだか便乗したかのように新選組や見廻組の名称も変更となるらしい。
「はぁ!? 新遊撃隊だと!?」
「落ち着いてください、副長。新遊撃隊は見廻組で、新選組は新遊撃隊
「チッ。新遊撃隊なんて変な名前も気に食わねぇってのに、何が御雇だぁ!? 見廻組の下につけってことじゃねぇか!」
気に入らないのは名称ではなくそっち……?
とはいえ、見廻組は新選組と違って元から良いとこでのお坊ちゃんたちだし……なんて思えば鬼のごとく睨んでくるから慌てて口を開いた。
「で、でもほら、王政復古の大号令で幕府がなくなってしまったら、幕臣とか階級とか関係なくな――」
「馬鹿野郎! 俺たちはようやく幕臣になれたばっかりだろうがっ!」
「あっ……」
フォローするつもりが火に油を注いでしまったことに気づくも後の祭り……。
強烈なデコピンが飛んできて山崎さんが心配してくれるけれど、おでこを押さえながら思うのはやっぱり王政復古の大号令のことだった。
歴史には詳しくないけれど、大政奉還に引き続き幕末を象徴するようなその単語は、近頃肌で感じる情勢とも相まって、とうとうここまで来ちゃったのか……と思わざるを得ないのだった。
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